第238話 この赤子、ウザく動くぞ!?

「俺の知らないところで世界が大変なことになっている気がする」


 御者台で漠然とぼやくガラバは、馬車の中で聖なる稀人をあやしているレーザー・レッドゴールドとアンドゥをチラ見して「はぁ~」と溜息を付いた。


 普段なら恋人であるダークエルフ種スヴァルトアールヴのシーマといちゃこらチュッチュしているはずなのに、どうしてこうなった……。と悔やんでも仕方ない。彼は冒険者として依頼された仕事を完遂するため、無心に戻って馬車クレスト号を走らせた。


 しかしいかに魔馬スレイプニルでも、長距離を休みなく走り続けることはできない。


 適度に休憩を入れなければならないのだが、あたりを見回しても岩山の合間の道がまっすぐ続くばかりで、馬車一台しか通れない。ここでは端に寄って休めもしない。


「はぁぁぁぁ~~へ。ったく、いつまで続くんだよ、この道は」


 また深い溜息をこぼした時、行く手の道の空間が微かに揺らいだ。それはルイードがたまにやってみせる空間転移の兆候だと気がついたガラバは、慌ててスレイプニルの手綱を引いて足を止めさせる。


 と、空間がガラスのように割れて、小柄な少女の姿を生み出した。


「?」


 見慣れない服を着た少女。


 その顔つきからして、東の大国「王朝」のヒュム種のようだが、どうにも纏っている雰囲気が人為らざるもののようだ。


 この雰囲気は前にも出くわしている。恋人シーマに取り付いた悪魔……その雰囲気に似ているのだ。


「やあやあまた会えたね」


 大当たりだったようだ。その軽い口調は聞き覚えがある。悪魔パズズに違いない。


「だけど挨拶より大事なことをしなきゃ。そこに赤ちゃんがいるよね? 僕に渡してくれないかなぁ。そしたら命は助けてあげるよ?」

「何だお前は」


 一応確認のために尋ねておく。この少女が悪魔パズズなら勝ち目は……馬車の中の赤子に頼るしかない。


「あれぇ? この前も会ったじゃないか。僕の名前はパズズ。パズズだよー? 覚えてない? ほらほら、君の恋人のダークエルフに憑依していた悪魔さんだよー? あ、ちなみに今のこの体は東方の神の使いのものなんだ。僕ら悪魔はこちらの世界で具現化するには依代が必要だからねぇ。それがないとすぐに霧散しちゃうんだ。嫌だよねぇ」

「……よく喋る悪魔だな」


 ガラバはオリハルコンの大剣を持って御者台から飛び降りた。


 馬車が止まったのでクレスト号の中からレーザー・レッドゴールドとアンドゥが顔を出してきたが「出てくるな!」と強く恫喝する。


 悪魔。それは天使の対局に位置する高次元生命体だ。いかに人間より遥かに優れた魔族でも悪魔や天使に及ぶはずもない。それは巨女ジーナやシンロク執事長、猫系魔族のジュウザと共に戦ったときに実感している。


「この前は赤ちゃんにやられたけど、今回の体は神の使徒だからね。あの程度の光の力じゃ僕に効かないと思うよ、ふふ」

「悪魔のくせに神様の使徒にも取り憑けるのかよ節操ないな。ヤリピーンって言われないか?」

「そのピーの中に何が入るのかわからないけど悪魔や天使に性別はないから、ピーで正解かな、ふふ」

「ばぶー」

「!?」


 ガラバが驚いて足元を見ると、いつの間にか赤子がハイハイしていた。


 あの二人は何やってやがったんだ!?と振り返ると、二人の魔族夫婦はクレスト号の扉からべろんと上半身だけはみ出して白目を剥いて気絶していた。一体何があったのか。


「いつの間に!」


 少女の姿をした悪魔パズズが顔を歪める。悪魔の察知能力と動体視力を持ってしても赤子の動きを悟れなかったのだ。


「ばぶー!」


 赤子はハイハイの姿勢から力をため、その短く小さな腕の力だけで矢のように跳んだ。


「「はぁぁ!?」」


 あまりにも想定外の動きにガラバと悪魔パズズは同時に驚きの声を上げた。が、次の瞬間その声が「ぐえ!」に変わったのはパズズだけだ。赤子は凄まじい速さで自分の体ごと少女に特攻し、洗濯板のようなつんつるてんの胸元に頭突きを食らわせたのだ。


 パズズの体は石ころよりも簡単にふっとばされて岩山の岸壁に叩きつけられた。その体は分厚い岩にめり込み、衝撃で岩石がゴロゴロと落ちてきて埋まってしまう。


 ガラバは呆然とした。


 この赤子が対悪魔最終兵器たる光の稀人だということは聞いていたが、この人智を超えたパワーには驚きよりも恐怖を覚える。


「これが……稀人の力? いや、鍛えていない稀人はちょっと強いだけの普通の人間だろ……。なんだこれ」


 ガラバがしかめっ面で唸っている最中に、赤子はスタッと二足歩行に切り替え、崩れた岩山を指差してかっこよく決めポーズをとった。


「ばぶー(てめぇの罪を数えなさい)」

「何この子……。ルイードの旦那のとこにつれていく必要ないんじゃねぇか」


 まさかこの赤子が道中ずっとルイードと念話を繰り返してきたことで、力を発露できるように「精神と肉体の連動」が終わっていたと知るわけがない。


『いいか、テメェら稀人はこの世界では鍛えないとちょっと強い只の人だ。だけどな、自分が強いと認識するだけでも随分と強くなるんだぜぇ。よく言うだろ、病は気からって』


 ―――まったく言ってる意味はわからないけど、私、ほんとに強いの? 生後数ヶ月の赤ん坊なんだけど。


『少なくとも他の稀人より恵まれてるぜぇ。今のままでも身体能力は俺が育てた勇者たちと同等かそれ以上だ。ただ心と体がまだ連動してねぇから、遠隔で話しながらそのあたりを正していこうぜぇ』


 ルイードの念話の通り、赤子は化け物じみた力を発揮できるまでになっていた。


 岩石を弾き飛ばしながらヨロヨロと姿を見せたパズズは、その赤子に向けて殺意の籠もりまくった眼差しを向ける。


「もう容赦しないよ」

「ばぶー!(オラに元気を分けてけろー的な!)」


 赤子が短く小さな両手を頭上に掲げると、そこに光が集まってくる。この周辺で生きる者たちの中にある欠片のように小さな光の力を収束しているのだ。


「なにをしているきさまぁぁぁぁ!!」


 パズズは吠えながら赤子に飛びかかってその小さな体を蹴り飛ばした。普通の赤子ならそれだけで内臓破裂、いや、体が爆散するほどの破壊力を秘めた蹴りだったが、赤子はそれを小さなを片足だけ伸ばし、受け止めてしまった。


「なっ!? ばけものか!?」

「ばぶー」


 赤子の手から容赦なく光の玉が放たれ、天照大神の神使はそれに包まれた。


「ぎ、ぎゃあああ! ぼ、僕の存在が消える!? バカな! 僕の、悪魔の存在を消せるなんてぇぇぇぇ!!」


 少女の体から何かが失せた。


 そしてキョトン顔をした少女が周りを見回し、首をかしげる。


「はて。わしは一体……」


 ニワトリ神使の少女は、自分の目の前で胸を突き出してドヤ顔している赤子と目があった。


「ばぶー」

「なんじゃと。お主が光の稀人か!」

「ばぶばぶおー」

「そうじゃったのか、それはすまなんだ。わしとしたことが悪魔に取り憑かれるなど……。天照大神に知られたら羽をむしられてケンタ的なフライドチキンにされるところじゃったわ」

「ばぶみ~」

「おお、そうかそうか」


 なんで会話が成立しているのかさっぱり理解できないガラバだったが、自分が何もしていないうちにパズズとかいう悪魔は消し去られたんだな、ということだけは理解できた。


「おい赤ん坊。馬車の二人はどうして倒れてんだ」


 ガラバが質問すると赤子は振り返って人差し指を立て、横にチッチッチッと振った。


「ばぶぅ」

「戦ってる所を見られたら怖がって育児放棄されそうだから昏倒させた、と言っておる」


 少女が通訳してくれたのでガラバは「なるほど」と理解したが、この赤子がそれほどの思考能力を持っていることに驚いている。


「ばぶばぶぅーん」

「前世の記憶を持っているから、見た目は赤子、頭脳は大人、なんだそうじゃ」

「ばぶばぶ」

「ちなみにお主、この子のおしめを替えるときに股間を見たそうじゃな。万死に値すると言っておるが……」

「おいおい! やましい考えでやってんじゃねぇぞ! 大体な、下半身を見ずにどうやって替えろっつうんだよ。ケツだって汚れてるからフキフキしなきゃいけねぇだろうが! てか赤ん坊がそんな事気にするなよ気持ち悪い。それとも自分で履き替えるか? ああん?」

「ばぶー」

「ちゃんと淑女として節度を持って扱うように、と言っておる。然り然り」

「……」


 ガラバは頭を抱えた。とんでもなく扱いづらい赤子だと今知ったのだ。


「どれ、わしも罪滅ぼしのために同行させてもらおう」

「てか、あんたは何なんだよ」

「聞いて驚け人間。わしは天照大神の神使じゃ。頭が高いぞ、地面に額を擦り付けて崇め奉るがいいぞ」

「……」


 ガラバは無言でニワトリ少女に近寄って、その頭にげんこつを落とした。


「!!!」


 頭を抱えて涙目になってうずくまる神使を見下ろし、ガラバは「生意気言ってるとまたげんこつ落とすぞガキンチョ」と脅す。


「き、きさまぁ! 神使であるわしにげんこつを落とすなど、神をも恐れぬ所業を!」

「ばぶー」

「え、こやつがあのルイードの弟子!? なんでもっと早く言わんと!? ちかっぱい怖いっちゃけど!」


 突然東方の方言を交えてきた神使はふるふると体を震わせた。


『こいつ、ルイードの旦那になにかされたクチだな』


 ガラバは面倒な道連れがまた増えたことに、深い深い溜め息をついた。


 その頃、無事に体調を取り戻したシーマがシンロク執事長や巨女ジーナと共にガラバを追っかける旅に出たことや、王国王妃たち熾天使がアラハ・ウィと共に悪魔たちの世界に飛び込んでいったこと、そしてレッドヘルム学院の講堂にいた者たちが悪魔に住む世界に送られてしまった事など、ガラバには知る由もなかった。

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