第237話 堕天使はウザい天使に拉致られる

「飽きましたね」


 仮面の魔法使いアラハ・ウィは、随分と焚き火の匂いで燻されてしまったマントを翻して自身に洗浄効果の魔法をかけた。


 ギュラリントの森で「なぜか」「無意味に」野営を初めてしまったアラハ・ウィとルイードは、うるさ方の王妃ミカエルが執務で王国に戻ってからというもの、日がな一日だらだらと過ごしているだけだった。


 最初の頃は薪拾いも楽しかったし、野草や魚を捕るのも楽しかったが、それがルーティンワークになったら飽きもするのだ。


「そろそろ街の酒場や貴婦人たちが恋しくなってきましたとも、えぇ」

「おいアザゼル。オメェまた人間の女をたぶらかしてネフィリムを産ませるつもりじゃねぇだろうな」

「御冗談を」


 堕天使たちが人間と交わった結果生まれた身の丈千メートルを超える巨人「ネフィリム」は、地上の作物、鳥や獣や魚、そして人間を食い尽くし、最後には巨人同士での共食いまで始めた。この破壊活動のせいで天界にその存在がバレ、見張りの天使たちエグレーゴロイは新たなる四大天使たちに弾圧され、地獄やダドエルの穴に落とされたのだ。


「そういえばウザエル。あなたも二人の子持ちではないですか」


 天使ウザエルは最初こそ他の天使たちの堕落を止めようと頑張ったが、やがて自分も人間の女「イシュタール」に口説き落とされて二人の子を設けることになった。


「あの女に最も禁断な知識まで与えて堕天したとは。くっくっくっ」

「うっせぇよ」


 最も禁断な知識。それは「神の秘密の名」である。それを知ったイシュタールは生身の体で天界へ行く鍵を得て、高次元生命体に進化した。そしてプレアデスの七つ星となり輝き放ち、逆にウザエルは秘密をバラした罰として鎖で繋がれ逆さまに吊るされた。


「やることねぇなら薪でも割ってろ!」

「必要ありますかねぇ、薪」

「……」

「電気、ガス、上下水道があるのに、薪とかいります?」

「……」


 二人がどうして布切れ一枚を屋根にした野営スタイルで野宿を始めたのか全く覚えていない。いつもなら亜空間から何でも取り出す二人が、あえて不便を楽しもうと考えたのは「なんでも出来てしまうがゆえの退屈」を紛らわすためだったのかもしれない。


 だが居住性を良くするために布切れ一枚はテントになり、雨風日差しからより快適に過ごすためにバンガローを建て、それに風呂やトイレなどを備えたロッジに進化させ、仕舞いにはガラバの様子を遠隔監視するテレビや冷蔵庫や電気も完備したコテージになったあたりで「これ野営じゃなくね?」となった。


 最終的にはアラハ・ウィが火熾しをめんどくさがって地下ガスを取り出してガスコンロを作ったことで、室内はエルフの文明に匹敵する高度文明となり、それにあわせてコテージもいろいろ拡張して現在は地下二階、地上三階建ての豪華な建造物になっている。


 さらにせっかく建てたのだからとペンキで外壁を白く塗り、それだけでは鬱蒼とした森とのミスマッチが半端なかったので、魔族の誰もが恐れる【ギュラリントの森】の一角に花畑を広げた。


 そこで二人の堕天使は気がついた。


 今は【森の中にある不思議な花畑に囲まれたメルヘンな白い家におっさん二人が暮らしている】という状況になっているのだと。


「そもそもここで待ってる理由はなんですかね」

「修行のうちだ。ガラバも、あの赤ん坊も、旅しながら成長してもらう」

「あなたの虚数空間で鍛えたほうが早いじゃないですか」

「身体的に鍛えることは出来ても精神は鍛えられないだろうが」

「それはあなたの教え方が悪いのでは」

「正論で殴りかかってきやがったなこのDV野郎!」

「暇つぶしに久しぶりに戦いますかこの野郎」

「上等だ悪魔に潰される前に俺の手でこの世界ぶっ潰してやろうじゃねぇかこの野郎」

「何だこの野郎」

「やんのかこの野郎」


 とあるレスラーの明言に「ちっちゃなケンカをするたびにスケールが小さくなる」とういう言葉があるが、まさに二人はそれを体現しようとしていた。


 二人が顎を突き出して野郎野郎と連呼していると、そこに王国王妃―――ミカエルが現れた。


 今回は一人ではない。


 王妃の隣には帝国の冒険者ギルド受付統括の鬼人種オーガドゥルガー―――ラファエルと、王国の冒険者ギルド受付統括のエルフ種のカーリー―――ガブリエルもいた。


 四大天使のうちレッドヘルム学院副学院長・兼・連合国冒険者ギルド受付統括のシャクティー―――ウリエルがいれば完璧だったのだが、そうはならなかったらしい。


 ルイードとアラハ・ウィは愚かな小競り合いをやめて、突如現れた輝く翼を持つ美女たちを薄目で見る。


「おいおい。てめぇら熾天使が天界の殲滅戦闘形態で出てくるってどういうこった」

「あなたたち、地上でアルマゲドンでも起こすつもりですか」


 その二人の問いかけに、王妃は一歩前に出て目を伏せながら言った。


「ウリエルが堕天した」


 それを聞いたルイードとアラハ・ウィは顔を見合わせた。


「やつはレッドヘルム学院にいる人間たちの魂を糧に、稀人のいる世界とこの世界をつなげるつもりのようだ。これは至急止めねばならない。たとえ、この地上が一掃されようとも、必ず」

「はて。なんでまたそんなことを」


 アラハ・ウィの疑問に答えられる天使はいなかったが、王妃ミカエルが輝ける複数の翼を広げながら高らかに宣言した。


「悪魔たちの活性化とウリエルの堕天。これは必ずなにかの因果関係がある。それは誰かが糸を引いていると私は見ている。そう、わかるであろう? 糸を引いているのは悪魔たちの神、魔神だ!」


 まるで歌劇のようなオーバーリアクションで勝手に会話を進める王妃を見て、ルイードとアラハ・ウィは白けている。だが王妃は気にせず話、いや、劇を続けた。


「我ら天使の軍勢は悪魔との均衡を保つために生まれた! だが悪魔たちが中立のエデンを攻めるのであれば我らも報復せねばならない! そう、我々は防衛するだけの天使ではない! だから魔神を撃つため地獄の先にある悪魔たちの反転世界に向かう! 貴様たちも来い!」

「「えー、やだ」」


 二人のおっさんは反抗期の女学生のような口調で声を揃えた。


「俺様には悪魔退治の赤ん坊を待つって使命があるからな、連れて行くならこいつだけでいいだろ。ほれアザゼル、贖罪のチャンスだぜ」

「いえいえ。私も魔王を名乗ったりなんたりで魔神には目をつけられていそうですしねぇ、えぇ。ここは一つウザエルが」

「理由が希薄で押しが弱いので、アザゼル貴様が来い」

「ひどい!」


 アラハ・ウィは王妃が放った光の輪っかに拘束された。


「ルイード様、事が終わったらこのついの棲家に私も住ませていただけるのですね?」


 確定事項のように言うカーリーも光の輪っかに捕まって王妃に引っ張られていく。


「それではまた」


 ドゥルガーが手を振って三人の跡を追いかけて亜空間転移していくと、ギュラリントの森にルイードは一人残された。


「さて……」


 適当に作ったハンモックに大きな体を横たえながら、ルイードはガラバの到着を静かに持つことにした。

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