第236話 慈母とウザいびきの道中
「ばぶー」
悪魔を駆逐できる光の赤子が微笑むのを見て、アンドゥは完全に慈母の顔になっていた。
太ももまで真っすぐ伸びた赤い髪を後頭部で束ね、赤子に乳を与える時の邪魔にならないように配慮するあたりはさすが子育て経験者だと思え、ガラバは安心して彼女に赤子を任せていた。
だが、なぜわざわざ自分の隣で子をあやしているのかは理解できない。
この御者台の椅子は硬いので(それでも王侯貴族の馬車より快適だが)快適な馬車の中にいればいいのに、と口まで出かかった。
「はぁ。うちの亭主が中で寝ちゃってるからうるさくって」
「え?」
「あの人のいびきがうるさくて仕方ないからここのほうがいいってことよ」
「俺、なんにも言ってないよな?」
「口には出していないけど言いそうだったわ。あぁ、ヒュム種には馴染みがないかもしれないけど、私は魔族のカクエン種なの。他人の表層心理を読める……サトリってやつ」
「知らないが、あんまり俺の心を読んでくれるなよ」
「読んで悪い人間じゃないとわかったから同行しているのだけれど?」
「あまりいい気味がするもんじゃない」
「シーマっていう
「ちょおおおい!? あんたが読めるの表層心理どころじゃねぇな! 名前まで言い当てやがった!」
「へぇ」
アンドゥはまじまじとガラバの横顔を見る。
「な、なんだよ」
「私みたいな痩せより豊満な女が好きなのね。え、乳輪の大きさにまでこだわりがあるなんて……キモ」
「小声でキモいって言うの、やめてくれ。マジで心に来る」
ガラバは早速この女を仲間にしたことを後悔したが、赤子の乳を提供できる上に長旅に同行できる女などめったにいるものではない。これは「神の与え給うた運命のめぐり合わせだ」と勘違いしても仕方ないほど都合よく見つかったものである。
ガラバはチラっと振り返り、馬車の中が見える覗き窓を開けてみた。
豪華な車内をのびのび使ってレーザー・レッドゴールドは爆睡中だ。どれだけ油断しているのか、真っ赤な革鎧は脱ぎ散らかし、赤いカーゴパンツだけ身につけて上半身は裸。靴も脱いでいる。
アンドゥが言うには「いびきがうるさい」ということだったが、完全防音のクレスト号は車内でどんな轟音を出しても外に聞こえてこないので、ガラバはその煩わしさがわからない。
「全裸じゃないだけマシではあるが、緊張感の欠片もねぇな、あんたの亭主」
「あんなのでも外の音には敏感に反応するから、魔物が来たら飛び起きてくるわよ」
「いやいや。この馬車は完全防音だから外の音は聞こえないぜ?」
「え? 聞こえてたけど? ほら、これがマイク。中にスピーカーがあったし」
「え? まいく? すぴいかあ?」
「人間の国にはないの? それともあなたが無知なだけ? ここにもほら、馬車の中と会話できるマイクがあるじゃない」
ガラバはちゃんと説明を受けていないので知らなかったが、このクレスト号には集音マイクやスピーカーが搭載されているので、完全防音でも外の音を拾えるようになっているのだ。
『忘れるところだったがヤチグサ公爵は魔族だけど稀人だもんな。あっちの世界の知識で作った馬車なら、そりゃなんでもアリだ』
いっそ魔法や魔術を付与された馬車だと言ってもらったほうが分かりやすいのだが、ガラバは機械や科学といったものに全く無頓着でむしろ恐れすら抱いていた。
「ねぇ旦那―――」
「俺の呼び方はガラバでいいよ。なんだ?」
「この子の名前は?」
「ない」
「え……えっ?」
アンドゥは一瞬驚いた顔をしてガラバを見て、また驚いた顔をした。きっとガラバの心の中を読んだら本当に知らなかったので二度驚いたのだろう。
「ないんだ。預けられた時にも聞いてない。魔界に現れた人族の赤子ってだけで親もいない」
「じゃあ、この子は身寄りがないのね」
「ああ。だからこの子を育てられる人のところにつれていくのが俺の仕事ってやつさ」
「そう……」
アンドゥは少し残念そうな顔をした。亡くなった自分の子供の代わりにこの子を引き取ろうと考えたのだろう。
魔族が人間を育てた事例はいくつもあるし、和平が成立して年月も過ぎた今では差別も減った。問題は人間が魔素に弱いので魔界では長生きできないというところだけだが、なぜかこの赤子はピンピンしている。
「ねぇ旦那……いえ、ガラバさん。どうして人間が魔界にいて平気にしていられるの? 魔素にやられたりしない?」
「しないなぁ」
なぜなのか理由はわからない。
ヤチグサ公爵魔族の妻となったアンハサは、公爵の加護を得ているのでピンピンしているし、女の子に性転換してしまった元気なアルダムも同じく公爵の加護があるからなのか、人の身でありながら魔界を駆け回って公爵の敵を叩き伏せている。
ではガラバはどうかというと、きっとオリハルコンの鎧やこの馬車自体に公爵の加護があるからなんの弊害もなく旅をしていられるのだろうと思っているし、この赤子が魔素にやられない理由は『稀人だし? しかも悪魔退治できる光の稀人だし? なんかすげぇ力が働いて魔素とかどうにかなってんじゃないか』くらいの感じである。
つまりガラバは「そもそも魔素をくらわない加護ってなんだよ? そんなもんがあったら人間はいつでも魔界に戦争仕掛けてるだろうに」という当たり前の常識も含めて、深いところまでは考えないことにしている。
ルイードという男のそばで、ウザ絡み冒険者として生きていくことにしたその時から「常識」なんていうものは捨てたのだ。
『それにしてもルイードの旦那、魔界の森でなにやってんだろう? あの人なら自分からすっ飛んできそうなものなのに』
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