第232話 忘れられていそうなウザヒロインたちのところでも

「ばぶー」


 赤子の小さな声一つ。たったそれだけで悪魔パズズに支配されて変容したシーマの体は溶けていき、元の健康的な褐色肌に戻っていく。


「な……なんなんだ、これは……」


 溶け出していく自分のに驚愕しながらも悪魔パズズはシーマから離れるしかないことを悟った。このまま憑依し続ければ自分を構成している要素、つまり魂の部分まで消失していくのを察したのだ。


 ―――人間にとっては高次元生命体である僕の魂を溶かすなんて! それが悪魔退治する稀人か!



 シーマの頭上で膨大な魔素が奇っ怪な姿を形作る。それこそが悪魔パズズ本来の姿なのだろう。


 頭頂部に生えた鶏冠状の突起も不気味だが、左右に伸びる羽は一枚一枚が鋭利な刃物のようで、両手足の猛禽類のような爪と相俟って近づくことすら恐ろしい姿をしている。


 ―――光の力? 僕たち悪魔と相克関係にある天使共とはまた違うこの力は……ええい、近寄ることもできないなんて!


 悪魔パズズは恨めしく罵ると霧散するように消えてしまった。また別の憑依先を探すのだろうが、とりあえずこの場は乗り切ったというところだろう。


「マジで勘弁」


 ガラバはオリハルコンの大剣を地面に突き刺して、それを杖のようにして腰を折った。悪魔と対峙しただけで生命力をごっそり削られた気分だ。


「あんなものが魔族の祖だとは到底思えませんね」


 シンロク執事長は男の姿に戻ろうとしたが魔力が底をつきかけているせいか、ちゃんと変身できなかったので諦めたようだ。


「うへぇ。あたいの戦斧、欠けてるじゃないかぁ~」


 巨女ジーナは涙声だ。一介の冒険者の稼ぎで買うには、ちょっと値が張る代物だったのだろう。


「おぅい。このねーちゃん、大丈夫か?」


 猫系魔族のジュウザが足元に倒れているシーマを指差しながら声をかけてきたので、ガラバは慌てて近寄った。


「おいシーマ! シーマ!? 無事か!?」

「……ガラバ」

「おお! 大丈夫か? 体の痛いところはないか!?」

「……」


 シーマは自分を覗き込んでくるガラバに視線を合わせ、次にその両隣にいて自分を見ている巨女ジーナとシンロク執事長を見て、一瞬で瞳に正気を取り戻した。


「この浮気者!」

「違うからな?」


 ガラバは力なく飛んできたビンタを避けて、シーマの両腕を押さえつけた。


「こいつらは旅の仲間で、ルイード親分のところに行くんだ」

「うるさい! 浮気者! チ◯カス! 短◯包◯! 右乳首弱太郎!」


 抵抗しようと暴れるシーマの体力がなくなるまで待つ構えだったガラバだが、矢継ぎ早に罵倒され続けて心が砕けそうになった。




 □□□□□




「なるほど」


 ミウザの家で腰を落ち着けて話し合った結果、シーマはやっと納得してくれた。


 吸血鬼ハイエルフレッドヘルム一族の当主カミラが余計な言い回しをしなければ、シーマが暴走することはなかったのだろうが、そもそもはシーマの性格に難がある話だ。


「面倒をかけたなガラバ」

「それにしても闇落ちして悪魔に取り憑かれるとはなぁ」

「恥ずかしい限りだ」

「だからこそ、あの赤ん坊を早くルイード親分の所に連れて行かないと、この世界は大変なことになっちまうって実感したぜ」

「無論、私も同伴させてもらうぞ、ガラバ」

「ああ、頼もしい……と、言いたいところだが、今のままじゃ無理だ。とにかく体を休めてくれ」


 シーマは悪魔パズズに憑依されて生命力を随分と持っていかれたようで、治癒魔法では到底回復しないほど衰弱していた。


「あたしは足手まといにしかならないようだね」


 巨女ジーナは戦斧を指先でピンと弾いた。それだけで半分の刃がポロポロと落ちていく。もはや使い物にならないようだ。


「私もシーマ様がガラバ様との仲を誤解なさらぬよう、ご同伴するのを控えたほうが良いかと判断いたしました」


 シンロク執事長が頭を下げる。ヤチグサ公爵魔族に命じられてガラバに同伴して赤子の世話をするつもりだったが、浮気を疑うだけで悪魔に憑依されてしまうようなサイコパス彼女とやり合いたくはないのが本音だろう。


「スレイプニルの健脚と堅牢なクレスト号があれば、魔界の魔物を振り切ってギュラリントの森まで行けるんじゃないか? もちろん荷台は軽いほうがいいだろう」


 ジュウザは「ガラバ一人で行って来い」と言っているようだ。


「いや、魔界の魔物とか人間の俺じゃ太刀打ちできないからこの二人について来てもらっているわけで」

「それ以前にあんた、女難の相が出てるからな」

「マジで?」

「ああ。出てる。できるだけ女は避けといたほうがいい」

「いやマジで?」


 思わず二回聞き直したガラバだが、ジュウザの妹で赤子に乳を分け与えてくれたミウザが「兄の人相占いは当たります」と付け加えたものだから、思わず天井を仰ぎ見てしまった。


『こーゆー時、ビランやアルダムだったらどーするだろうか……。おっと、いかんいかん。結婚間近なビランと女化したアルダムにゃ任せられねぇ仕事だぜ』


 男三人で気ままに旅をしていた頃は良かった。オータム男爵に命を狙われ続けていたので気が休まるときはなかったが、少なくとも痴情のもつれなどという面倒くさい事態はありえなかった。


「よし、さっさと親分に引き渡してくるとするか」

「すまないダーリン。後で追いかける」


 薄く笑うシーマの顔には生気が足りない。


「無理すんなハニー。赤ん坊を届けたら迎えに来るから養生しててくれ。宿賃は払うから俺の恋人の面倒を頼むぜミウザさん」

「任されました」

「それとジーナ、シンロク。ここでお別れだ」

「いい旅だったぜ」

「公爵様にはここまでの経緯をお伝えいたします」


 こうしてガラバは赤子を抱え、単独で馬車を走らせるのであった。




 □□□□□




「おほほほほ? そんなことあのよろし」


 レッドヘルム学院生徒会役員たちとお嬢様ごっこ中のシルビスは、よくわからない貴族語を使いながらアフタヌーンティーを楽しんでいた。


「というか皆様お聞きになりまして? 副学院長が夜な夜な怪しい魔法を使っているっていう噂」


 シルビスが話題を振る。


 最近学年学部を問わず聞こえてくる噂話だが、レッドヘルム学院副学院長にして連合国ギルド受付統括のシャクティが、人が寝静まった頃、学院のあちこちで怪しげな魔法を使っているとか。


蛇人種ナーガの奇術か、おまじないでは?」


 エマイオニー生徒会長が一蹴する。あの厳格な副学院長が怪しいはずがない、と。


「夜中にぃ? こそこそとぉ? しますか、そんなこと~」


 シルビスは「あんた何も知らないのねオホホホ」と言いたげにウザ絡みしてくるが、エマイオニー会長とナタリー副会長は、この巨乳ノームの空気の読めなさ、いや、読まなさを好ましく感じていた。


 なんせ貴族たちの社交界ではドス黒い腹のさぐりあいばかりで、こういう「わかりやすい同性の相手」と話す事がなかなかないのだ。


「夜中に副学院長の姿を見たという生徒は、規律を破って学院内を深夜徘徊していたということだな。誰だ? どうせ学院の規律を守らない中途入学者どもなのだろう?」


 ミラージョ風紀委員長がシルビスを睨みつける。


「いやぁ、噂ですから、う・わ・さ。出どころなんて知りませんのことあるよ」


 相変わらず貴族言葉が使えていないシルビスに、ミラージョは「ふん」と鼻を鳴らした。


「そんな浮ついた話をこの場に持ち出すなど、これだから庶民は」

「生徒会が差別意識を持つのはよくないわよミラージョ」


 アンジェリーナ庶務がなまめかしく注意する。そのぷっくらと厚めの唇と男の股間を弄るような流し目は、大人の男でも魅了されてしまうと言われている。が、当の本人はガチガチの武闘派でミラージョと共に「生徒会の二大脳筋」としても知られている。


 ちなみに会計のアンハサはヤチグサ公爵魔族の元に嫁いだので、生徒会会計は空席だ。


「そもそも副学院長がなにをしていようと生徒の私達では―――あら?」


 エマイオニー生徒会長は思わず窓の外を見た。


 学院を外界から守るための結界は本来なら無色透明なのだが、なぜか薄紫色の光を含んでいたのだ。


「外からの侵入者を拒む結界が……反転した?」


 お茶会どころではない。これは緊急事態だ。


「え、なにそれ。中から出られないってこと?」

「それに感じますか、この魔素……ダンジョンの最深部や魔界に行かないと感じられないほどの濃度ですわ」


 シルビスがキョトン顔をしているうちに、生徒会女子たちは一斉に頷きあって、生徒会室のあちこちに設置されている学院内通信機に走り寄った。


「教員室ですか。こちら生徒会司令部! 全学部の生徒に校舎から出ないように至急通達を!」

「魔法科の教職員を集めて結界の再構築を急がせて!」

「右舷弾幕薄いよなにやってんの!」

「なにを言ってるのかしらシルビスさん。邪魔なのでどいてくださる? 地下のハイエルフ組、聞こえますか、エマイオニー生徒会長です。実は―――」


 緊急事態で最も迅速に対応するのも生徒会の役割である。これは「貴族たるものは庶民を守るためにある」という教えから、実践的に生徒に主導権を渡しているレッドヘルム学院の方針でもある。


 だが、事と次第に寄っては大人がやらなければならないこともある。


 まさに今がそれ。学生ではどうにも出来ない天変地異がレッドヘルム学院に襲いかかろうとしているのだ。


「ほへーん?」


 シルビスは茶菓子を両頬いっぱいに頬張りながら、慌ただしく関係各所に連絡する生徒会役員たちを眺めるしかなかった。

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