第228話 ガラバとウザい酒場
「さすがに飲まず食わずじゃ赤ちゃんが可愛そうじゃないか?」
巨女ジーナは男装執事長のシンロクに抱かれた赤子を覗き込んだ。
確かに布にくるまれた赤子は元気がなく項垂れていて、眠そうなのか疲れているのか表情からは読み取れない。
「近くの村に寄って、牛か羊の乳を分けてもらうか。オレたちの食料も足りないからな」
ガラバはクレスト号を引く魔馬スレイプニルの手綱を緩めた。それだけでスレイプニルは歩みを緩めてくれる。実に賢い魔物だ。
「普通に食糧難です。全部ジーナが食べてしまいましたからね」
シンロク執事長が憮然と言う。
「サキュバス系のあんたはガラバの旦那からエナジードレインしてりゃ生きていけるだろうけど、あたいはそうじゃないんだよ!」
「そんなことしてませんから。しないという誓いを建てるためにも男の姿をしているのです」
「てことは普通に腹減ってるのかい?」
「そうですね。あなたのせいで」
勝手についてくる二人は犬猿の仲のようだが、ガラバからすると仲良く喧嘩しているように見える。
ただの冒険者と公爵貴族の執事長ともなれば身分も振る舞いも考え方も違う。まさに陰と陽、動と静、脳筋と頭でっかちという、まったく交わらない対極関係だ。
二人が相容れることはなさそうだが、その二人を中和しているガラバにとってはありがたい旅の友だった。
まず巨女のジーナは見た目通りのパワーファイターで、並の魔物は彼女の覇気を感じただけで逃げていく。人間の国では一頭現れたら大問題になって討伐隊が組織されるレベルの魔物でもだ。そして道中のサバイバル知識も豊富で、これまでのところ危険に面したことがないのは彼女のおかげだ。
そしてシンロク執事長は豊富な知識で旅路を支えてくれる。ギュラリントの森に向かう最短ルートの確認、至るまでの路銀の確認や必要経費の計算はもとより、立ち寄る集落では様々な交渉役にもなってくれる。バカみたいな食費を必要とするジーナを制御できているのも彼女のおかげだ。
「この街道の先に宿場町があるので、そこで休みましょう」
シンロク執事長に言われた通り、暫く進むと宿場町があった。街と言っても酒場と宿と道具屋が数店並ぶ程度の小さな集まりだが、長旅するにはこういう小拠点があるのとないのとでは随分苦労が違う。
「あたいはギルドの出張所に顔出してくるわ」
「私は宿と食料を確保してきます。ガラバ様、酒場で落ち合いましょう。赤ちゃんのミルクも酒場で頼んでください」
「お、おう」
女性二人の機敏な行動についていけなかったガラバは言われるがままに酒場の横に馬車を止め、店に入った。
中はごった返しているが、すごい人種、いや、魔族種の坩堝だ。
人間の国々にも多種多様な種族がいるので、単一種族の集まりにこだわる帝国や王朝以外の酒場はこういった様相をしているが、それでも人の形に大くな違いはない。
だが、魔族は人の形をしていない種族が多く、一見すると魔物としか思えない刺々しい体をしている者もいる。両手がカニのハサミみたいな形をしている種族もいるが、どうやって器用にコップを持っているのかわからない。
人間のガラバが店内に入ると、一斉に視線が集まった。
ここは宿場町だから全員余所者だろう。だが、人間ほどの余所者はなかなか現れないに違いない。しかもその余所者は全身オリハルコンの鎧を着込み、赤子を腕に抱いている。
『知らない街の冒険者ギルドに行くとこういう空気になるよなぁ』
オータム男爵の手から逃れている間、各地を転々としていたイケメン三人衆は何度となくこの空気感を味わっている。だからガラバは気にすることなくカウンターに座った。
バーテンは頭が二つあるリザードマンのような種族だが、魔族の種族名はサッパリわからないので、これも気にしないことにして喋りかけた。
「ミルクをくれ」
酒場の中にいた全員が「ぶふー!」と吹き出し、爆笑の渦が巻き怒った。二つ頭のバーテンも顔を背けて背中を揺らしている。
「うはwwww 聞いた? 聞いたよな!? 酒場に来てミルクを頼むなんて、そんなベタなやつがいるなんて思わなかったわwwww」
「そういうやつは強いってパターンだよなこれwwww」
「魔界に人間ってだけでも珍しいのに、赤ん坊抱いてるとかもう『俺は強いぞ』って言わんばかりだぜあいつwwww」
「やばいwwww 普段から鎧着込んでるのやばいwwww」
「あの鎧、オリハルコンじゃね?wwww」
「金持ちアピールかよwwwwwwww」
好意的な声は一つもない。小馬鹿にしたように、全員の語尾に
「ミルク、ないのか」
ガラバは周囲を完全に無視してバーテンにもう一度訊ねた。
「sd:;ghon5i4gn+*ONF(;」
「はい?」
「:opi9hvriuhgp}TYDGU:ho/i8?」
聞いたこともない言語で語りかけられてガラバは太い眉を寄せた。
これがビランなら半顔を隠している前髪をかきあげながら場の全員に翻訳できる者がいないか聞いて回るだろうし、本能でどうにかするアルダムは適当に頷いていることだろう。
ではガラバはどうするか。
「喉の調子が悪いのか? それとも俺とはお話したくないのか?」
ガラバはこのバーテンがわざと自分の種族言語で喋っていると看破していた。
このバーテンはおそらく共通言語も喋れるはずだ。そうでなければ嘲笑していた連中はすべて人間も使っている共通言語で話ししていたのに、こいつだけ特殊な種族言語だと商売にならないからだ。
「人間に出すミルクはねぇっつってんだよ」
バーテンは共通言語で言った。発音がおかしいのはそもそもそういう言語が使える声帯ではないのだろう。
「おっと。喧嘩売ってるんじゃないぞ。このあたりの牛乳や羊乳は人間からしたら『魔物』だ。つまり、お前さんたちの弱っちい体には刺激が強い魔素を含んでいる。そんなもんを赤ん坊に飲ませるつもりか?」
「こいつは飲めそうだけどな」
ガラバは布の中を覗き込んだ。
この赤子はただの人間ではない。違う世界からやってきた【稀人】であり、この世界に出没する「悪魔」を退治できる希望だ。ルイードに預けた末は勇者か英雄になる運命のパワフルベイビーが魔素を含んだ乳程度でどうにかなるようには思えない。
が、赤子は「バブー!」と拒否反応を示している。
大人たちの言葉を理解しているのかたまたまなのか……。ガラバはどこかで誰かに聞いた「転生してきた稀人は前世の記憶を持っている」という話を信じることにした。そうだとすればこの赤子は転生前の年齢分の知識を持っていることになるので、会話が理解できて当然なのだ。
「お前、俺の言葉が理解できるか? できるのなら右手を上げろ」
「ばぶー」
右手が上がった。
「魔素牛乳は嫌いか? 嫌いなら左手を上げろ」
左手が上がった。
「……おっぱいから直接吸うのが好きなら両手を開いたり閉じたりしろ」
超早く両手がグーしてパーしたが、それだけで疲れてしまったのか、赤子はへなへなと両手を下ろした。
「おっぱいか」
ガラバは母乳が出そうな魔族がいないか酒場の中を見回したが、性別がわからない姿形の魔族が多すぎる。
「旦那、観たところそのくらいの赤ん坊なら離乳食を食えるんじゃないか?」
二つ頭のバーテンは、カウンター越しに近寄って赤子を覗き込んでいた。
「いやいやマスター、まだ早いだろ」
「首も座ってねぇし、歯も生えてないだろうに」
「おい誰か、人間の赤ん坊のことに詳しいのはいないのか」
さっきはガラバを嘲笑していた客たちが集まってきてあーだこーだと議論を始めた。
「俺は酒飲んでりゃ飯食わなくてもいいけどな」
「テメェは酒マタンゴ種だからだろうが」
「肉を口に突っ込んだら生存本能で食わないか?」
「詰まったらどうするんだ。治癒魔法じゃ治らねぇぞ」
「おい、ゲロガッパ種のあんた、両性持ちだよな? 乳は出ないのか?」
「俺達の種族は卵なんでな」
酒場の客たちが頭を悩ませている。基本的に悪い連中じゃなさそうだと思えたガラバは、金貨を一枚カウンターの上に置いた。
「赤ん坊に飲ませるミルクを探してきてくれたら、もっと出してもいい」
あとでシンロク執事長から「旅費が」と怒られるだろうが、古来から荒くれ者のコントロールは金品でするのが一番だと相場が決まっている。
「おいまてバーテン。あんたは俺に酒を出してくれ」
いそいそと前掛けを外して店から出ていこうとする二つ頭のトカゲを捕まえたガラバは、魔族が飲む酒の「一番弱いやつ」を頼んだ。人間が飲むと一口でぶっ倒れるのが魔族の酒だ。
「あのぉ」
弱々しい声をかけられて振り返ると、農夫のような格好をした線の細い魔族が二人立っていた。気配が薄いのはこの二人の種族特性だろうか。
「あなた、冒険者さんです?」
「まぁそうだが」
「実は依頼したいことが……」
「悪いが俺は依頼を受けている最中だし、冒険者への依頼は冒険者ギルドを経由してもらわないと受けられないな」
個々人で依頼の遣り取りをする場合は「自己責任」である。
ギルドを通さなかった場合、依頼主が後になって「そんな依頼はしていない」とか「依頼料はなんだかんだで半額な」などという理不尽なことをされても当人同士で解決しなければならないし、依頼側も冒険者が適当な仕事をしても文句が言えない。
「依頼はギルドに出しています。依頼を貼り出しても全然冒険者が来てくれないんで、自分たちで探しているところなんです」
「だとしたら分の悪い依頼ってことだな。ほかを当たってくれ」
「う、うちらの村なら魔素がない牛の乳を提供できます。このあたりで魔素のない牛がいるのはうちらの村くらいです」
「ほう?」
ガラバは太い眉をしかめた。
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