第222話 うざ丼と堕天使と熾天使と神使と

 イッカクリクウナギは沼地の泥の中に潜んでいる臆病な生き物だが、ルイードとアラハ・ウィにかかれば、その辺りの木の枝を垂らすだけで勝手に食いついてくるから不思議だ。


 そのイッカクリクウナギの旬は夏だと思われているが、冬から春にかけてのものは脂も乗っていて美味い。だが、そのまま焼いても泥臭くて食べられたものではない。


 まずは清水に浸して泥を抜く。その際、イッカクリクウナギが空腹になって目に涙を浮かべながらこちらを見て「まおんまおん」と可愛そうな声色で鳴いても無視しなければならない。


 大概の人間は心折れて餌を与えてしまうが、餌を消化する臭みが体内に残り続けるので絶食させるに限る。もちろん先に殺してしまっては臭みが抜けないのでジッと我慢だ。


 そして濁りなく川のせせらぎのような澄んだ味わいが生まれる。


 身を摘めばぽろぽろと崩れるが、口の中に放り込むと解けて消えていく証拠だし、このままでも十二分に美味い。だが、このイッカクリクウナギの肉と脂を堪能するには、ルイードお手製「秘伝のタレ」が必要だ。


 濃い醤油と味醂と砂糖と酒。稀人たちが故郷を懐かしんで研究開発して完全再現した調味料達によって作り出された秘伝のタレには、ルイード独自の材料も入っている。


「このタレ、何が入っているのですかねぇ?」


 ウナギの表裏に丁寧にタレを塗り込んでいくルイードの手元を見ながら、アラハ・ウィが問いかけるが秘伝とはそう簡単には教えないものだ。


「神鑑定で成分を分解してみたが、なにかの果実のようだな」


 王妃は瞳を金色に輝かせて天使の力を使っているようだが、それでも秘伝のタレの成分を完全に解き明かすことは出来なかった。もちろんルイードが王妃と同等かそれを上回る力で認識阻害させているのだ。


「あと何回焼くんでしょうかねぇ?」

「もう十分焼けているのではないか」


 仮面の魔法使いと王国王妃が仲良く並んでウナギの焼き上がりを待っている。ちなみにこの二人はお互いに忌み嫌っている堕天使と熾天使なのだが、イッカクリクウナギの焼き上る香りの前では敵対関係など些末なことのようだ。


「はじめカピカピ、中ぐちょぐちょ……」


 ルイードはウナギを焼きながら、どこかイヤラシげな言葉を漏らし王妃を憮然とさせた。


「貴様、食事を作りながらなんと卑猥な―――」

「ああん? 俺様の米の炊き方にケチつけるってのか? おお?」

「コメ?」


 ルイードは焚き火のそばに置いてある大竹筒を指差した。


「米の炊き方ってのはなぁ、はじめはカピカピだけど、水を入れて焼くと中がグチョグチョになって、炊きあがる頃には糠の隙間からプシャーって潮吹きして……」

「貴様がいいたいのはもしかして『はじめちょろちょろ・なかぱっぱ』か?」

「!?」

「それは『はじめは弱火でちょろちょろ炊き込んで、中頃は火の粉が飛び散るくらいの火力で炊き込め』という意味で、沸騰して吹きこぼれてきたら火を弱めて、少しばかり追い焚きして、蒸らし上がるまで蓋を取らないのがルールだ」


 王妃の説明にルイードとアラハ・ウィは「おおー」と感心しているが、この分では米の出来上がりには期待できそうにない。


「アザゼル、皿」

「はいはい、土を錬金して……はい、こちらですとも」

「ミカエル、テーブル出して」

「うむ……地下千メートルの所に埋まっている石を切り出してこんな形でよいか?」


 こうしてなにもない野原には熾天使ミカエルが生み出した大理石のテーブルと椅子が置かれ、堕天使アザゼルが創造した白磁の皿が並び、同じく堕天使ウザエルが調理したうな丼がランチョンマットの上に置かれていく。


「よし、食うぜぇ」

「いただきましょうとも、えぇ」

「妾もご相伴に与ろう」

「いただきまーす」


 ルイードたちはうな丼を手を取って、そして固まった。


 ルイードとアラハ・ウィと王妃の視線が四人目に飛ぶが、当人は気にした風もなくうな丼を食べて「なにこれ、うま!」と喜んでいる。


 色白で小柄な巫女服の少女は、三人の視線を無視してうな丼を掻き込んでいたが、さすがにしんと静まり返った食卓の雰囲気を察して目を泳がせた。


「わ、わしの分もおいてあったから……」


 その巫女少女は王朝側を掌握している別の神『天照大神』の神使しんしたる鶏の化身だ。稀人のエージたちと共に去ったはずの彼女がどうしてここにいるのか。


「なぜか四人分作ってたんだが、テメェがなにか干渉してきたんだな?」

「あぎゃあああ、いたいいたいいたい! こめかみぐりぐりはやめてぇぇぇ! 高天原から便りを届けに来たんじゃ!!」


 巫女少女は薄っぺらい胸元から便箋を取り出した。地上の生き物には見ることも触ることも出来ない神々御用達の高次元便箋だ。


 ルイードが渋々それを受け取ると、それだけで勝手に便箋が開いてルイードたちの脳裏に目も眩む光が現れた。


 ルイード達のような高次元生命体であっても姿を直視できないのは、相手が神だからだろう。


 なかなか現れることがないこちらの「神」と違って、天照大神は頻繁に人間の前にも顕現すると言われている。しかしその時は神威を限りなく抑えた姿で現れたのだろう。本来の姿のままで現れたら、人間はその神威を前に消滅してしまうに違いない。


 ―――スサノオを上手く扱ってくれているようで助かっています。最近ようですが。


 光にそう言われて三人は顔を背けた。


 ルイードとアラハ・ウィの戦いに飛び込んできたスサノオは消滅と再生を繰り返した結果、再生の一部にバグが生じてしまい須佐之男の之男が取れて「スサ」になってしまったのだ。


 破壊神スサノオはミュージィと結婚したはずだが、女になったままで大丈夫なのかはここにいる者たちの興味を惹かなかったようでスルーされた。


 ―――実は、世界中のいたる所で女性化が進んでいます。これは私達「神」の領域での干渉が行われているようです。


 ―――高天原の神々はそれを「魔神」の仕業と断定しております。


 ―――各方面の神々とも連携し、事の解決に当たることが決まっておりますが……唯一、そちらの「神」が応答なさらず困っております。


「出たよ。うちのカミサマ」

「適当すぎるのですよ、うちのカミサマは。えぇ」

「貴様ら、神を冒涜するなど!」

「ちょっとあんたら、わしの主様の声に集中して聞くんじゃ!!」


 ―――とある方面の神は、あなた方の神が悪魔たちの神……魔神と繋がっているのではという疑念を持たれているようです。


「なんと失礼な! どこのなんという神だ! 我ら熾天使が抗議に出向くぞ!!」

「おいミカエル、うっさい。手紙相手に吠えるな」

「そうですともミカエル。手紙に向かって怒鳴りつけるなんて、どんだけ感受性豊かなんですかねぇ」

「だーかーらー、真面目に聞けっての!!」


 ―――その証拠に地上に転生して堕天使の監視を行っている熾天使の一人、ウリエルさんが悪魔に憑依されているようですし。


「「「は?」」」


 ルイード、アラハ・ウィ、王妃は一斉に首を傾げた。


「レッドヘルム学院副学院長兼連合国冒険者ギルド受付統括兼四大熾天使の一人ウリエルが、悪魔に憑依されただと!?」


 王妃が早口で言い切ると鶏の化身たる巫女少女が拍手を送った。

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