第218話 ガラバ、ウザ姫長に絡まれる

「お待ち下さいガラバ様」

「ふぇ?」


 早く魔界に行ってシーマに会いたいので、いそいそと旅立ちの支度を始めていたガラバは眉を動かした。


 若紳士は燕尾服背面の長いしっぽテイルを本物のしっぽのように動かしながら一礼し、その姿勢のままで話を始めた。


「ガラバ様を指名依頼するにあたりまして、冒険者ギルドに申告するのが難しい理由をご説明せねばと……」

「あー、大丈夫大丈夫。ギルドの受付統括はこの学校の副学院長だから言付けておくわ」

「いえ、だめです!」


 若紳士が慌てる。


「その者の耳に入れたくないので、こうして押しかけたのです」

「む? あんたもシャクティさんにこき使われてムカついた口か?」


 ガラバはレッドヘルム学院に纏わる依頼を受けているが「いつが終わりかわからない依頼」など不履行でいいと考えている。


 そもそも今は学院に潜入するための仮身分として用意された用務員の仕事がほとんどで、本来の依頼がどうなったのかはサッパリだ。それでいて用務員業務の給金は入らないという「タダ働き」をさせられているので不満ゲージは満タンなのだ。


「いえ、わたくしは会っておりません。ですが我が配下の者たちが何人も―――」

「ま、報告しなくていいんじゃない? 俺はどうせ冒険者引退するつもりだったし、あの蛇女は無視して行こうぜ」

「ふふふ……コホン、これは失礼を。豪気なお方なので思わず笑ってしまいました。お許しください」


 若紳士は黒く赤い瞳を潤ませながら微笑んだ。


 なぜかその笑顔を見て淫靡な気持ちになったガラバは「え、男相手に!?」と自分の心境に驚いた。


 若紳士は瞳をもっと潤ませてガラバの瞳を覗き込んでいる。


「ああ、不躾ではございますが、どうかガラバ様の神璽みしるしを頂戴したく……」

「みしるし……ってなんだ?」


 若紳士が黒い眼球と赤い瞳を向けてくるだけで、ガラバは喉を鳴らす。妖美な視線は種族や性別を超えて魅惑的なのだ。


 だが、その蠱惑の時間はあっという間に終わった。


 若紳士は宿直室の在らぬ方向を見上げて舌打ちするや、なにやら強い殺気を放ったのだ。


「何者かに監視されていたようです。ガラバ様、明日の夜お迎えに上がりますので、ご準備のほど、よろしくお願い申し上げます。どうか副学院長には悟られぬようにご注意ください」


 若紳士は再び一礼すると、姿勢正しく宿直室から出ていった。


「……なんで俺は男相手にドキドキしたんだ?」


 一瞬で正気に戻ったガラバは、自分の心境のおかしさに首を傾げた。




 □□□□□




 レッドヘルム学院の闇には吸血鬼ハイエルフたちが住んでいる。


 この世界で最高の文明水準を持つエルフ族ですら及ばない、太古の超科学文明を今も持つ彼らは、人間より遥かに高度な学問を得ているので、レッドヘルム学院で教わる教科はない。


 だが、それでも夜学部の生徒として学院に通っているのは、彼らが地下に隔離されていた間に変わってしまった「地上世界の常識」や「歴史」を学んでいるのだ。


 その吸血鬼たちの長、カミラ様と呼ばれる美女は呼びつけたガラバに対して目を細めた。


 以前、ガラバとシルビスが二人して罠に引っかかり『不惑の迷路』に落ちた時に救ってもらった縁もあり、彼女の所に赴いて酒を分けてもらうことが増えた。が、呼びつけられたのは初めてだし、こんな目で見られたのも初めてだ。


「な、なんですかカミラ様。呼び出しといてその目は……」

「そなた、ダークエルフ種スヴァルトアールヴのシーマ嬢と付き合っておったな?」

「ええ、そうですが?」

「ダークエルフは我らハイエルフにとっては親戚筋のようなものだ」

「……はあ」

「その誇り高きダークウルフの女とイチャコラしておきながら、彼女が留守の間にを引き入れるとは、そなたの貞操観念は腐っておるのではないか」

「は!? ち、ちょっとなんですか。誤解もいいところです! 他の女なんて引き込んでませんよ、何言ってるんですか、滅多なこと言わないでください!」


 ガラバが盛大に焦ったのは、間者スパイのシーマを怒らせるとガチで寝首を欠かれて殺される可能性があるからだ。


 以前話の流れで「俺がウワキしたらどうするぅ~(にやにや)」と問いかけたら、シーマはハイライトが入っていない眼差しをこちらに向けて「死なす」と無感情な声で言ってきたことがあった。それは本気だと悟ったガラバは「絶対浮気なんかしない」と固く誓ったものだ。


 シーマがちょっとした旅行に出かけてからも、ガラバは決して飲みに行かず、娼婦も抱かず、街往くお嬢様方や学院内の女生徒を口説くわけでもなく、修行僧のような生活をしてきた自負がある。カミラの言いがかりも甚だしい。


「宿直室」

「……はい?」

「シャクティ殿の依頼で我々は学院内のありとあらゆる所に監視カメラを設置している。公共の個室である宿直室も防犯のためにつけているのだ」

「言っときますけどね、俺は宿直室に女を引き込んだりしてませんよ! シーマに一番バレそうな場所に引き込みますかっての! あいつは髪の毛一本からでも相手の素性を調査できるスパイなんですよ! 俺の爪の伸び具合を見て自慰回数を当ててくるような女ですよ! そんなのが彼女なのに浮気できるはずないでしょうが!」

「言い訳が必死過ぎる。なんだかんだ言っておるが、魔族の女を招き入れて『いくぅ♡』と言っておったではないか」

「女!? え、魔族……、ちょっとまって!?」


 公爵魔族ヤチグサの執事長。若紳士。燕尾服の美男子―――あれはガラバの目から見て男だった。


 髪は短く切りそろえられ、着ていた燕尾服に女性らしきフォルムは感じなかった。今思えば確かに声は軽かったが、誰がどう見ても男のはずだ。


「そなたの目は節穴か?」


 カミラが指を弾くと空中に映像が浮かび上がった。そこに映し出されていたのは、宿直室でダラダラしているガラバと、招き入れられたセクシードレスの魔族美女の姿だった。


「ちょ!? はぁーーーーーーー!?」


 こんな女知らない! とガラバは必死に叫ぶ。


「ふむ。この女、淫魔の血を引き継いだ魔族のようだな。幻術で男の姿に化けていたのだろう。ほれ、ここを見ろ。無駄に露出が多い腹の臍の下あたり、そう、そこ。淫紋が浮かんでいるな? 相手から生気を搾り取りたいときに出てくる印だ。そして、ここで映像が途切れているな? この女が監視に気付いて機械に干渉したのだ。この後、さぞかし盛り上がったのではないか?」

「してない! してないしてないしてないしてないしてないしてない! とするよりありえない!」


 緑の狸とは、連合国のとある女性州知事の愛称……いや、蔑称だ。


 その政治家は政策すべてを部下に丸投げして「いかに自分の立場をよく見せるか」に特化した智謀知略を張り巡らせ、人は騙してナンボという根性と、いつも緑色の貴族服を着ていることから「緑の狸」と呼ばれている。


 近い内に州知事選挙が行われるせいで街角には緑の狸が厚化粧で笑っているポスターが貼り出され、レッドヘルム学院にも表敬訪問に来たことから思い出してしまい、若執事との比較対象として名前を上げた。


 が、自分で言っておきながら「緑の狸とやるくらいなら、このエロいねーちゃんとやるよなぁ、普通」と思ってしまったガラバの心境は、すっかりカミラに見抜かれていた。長年生き続けてきた吸血鬼の瞳術は人の心も読み取るのだ。


「ガラバ、ガ、ウワキ、シテイル、シキュウ、カエレ」

「ちょ! カミラ様、なに書いているんすか!」

「シーマ嬢に矢文でも送ろうかと」


 不穏な文章をしたためた紙を折り曲げて鏃に巻きつけると、カミラは闇に向かって弓を構えた。


「我ら吸血鬼の作る闇は世界中につながっている。シーマ嬢の所にも届くぞ」

「やめてええええ! ひどい! そりゃ濡れ衣だぜ!」

「あの娘なら一両日中に帰ってくるであろうから、言い訳を考えておくがいい」

「くそっ! なにも悪いことしてねぇのに!」

「くっ……くっくっくっ、冗談だよガラバ。そなたが宿直室で何もしなかったのは他のカメラが確認しておる」


 カミラは笑った。


「でしょ! そうでしょ! いやほんとひどい」

「しかしヤチグサ侯爵の執事長を名乗る者は、どうして性別を偽ってそなたの前に? 女の姿のままであるほうが籠絡しやすかろうに―――ああ、ガラバが男色だからか?」

「いやまって。シーマと付き合ってる俺が男色なわけ無いでしょうが」

「実はシーマ嬢のことはカモフラージュで……」

「カミラ様、俺をおちょくって遊んでます?」

「バレたか。くっくっくっ。あっ」


 気を抜いた瞬間、カミラの手から矢が放たれて闇の中に吸い込まれた。

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