第217話 悪魔の影とガラバへのウザ依頼

 鬱蒼とした森の中に現れたのは、キャンパーのような格好をした【稀人】だった。


 目深にかぶった帽子は顔立ちを隠そうとしているようにも見えるが、口元から下の部分を見るだけでも若いと分かる。なんせほうれい線はなく肌もツルツルで唇の色艶もいい。


 それでいて体つきは細く、大きなザックに押しつぶされるのではないかと思えるほど華奢。さらに帽子に押し込んでいる長い髪がちらほら垂れているところまで観察すれば、顔を隠しても女だと推測できるだろう。


 もちろんルイードとアラハ・ウィは、その【稀人】がであろうがであろうが感心がない。人間が虫を見てオスかメスか気せず「虫」と認識するように、人間より遥かな高位生命体である彼らにとって、人は等しく「人」なのだ。


「こんな所に稀人とは、やれやれですなぁ、えぇ」


 いつの間にか仮面をかぶり直していたアラハ・ウィは、天を見上げて毒づくように言った。もちろんこれは運命を操作しているであろうに対して言ったのだ。


「どうしますルイード。きっとこの稀人は対悪魔用に光の因子が強いタイプですよ。神のやり方にしては安易すぎませんかねぇ」


 アラハ・ウィが文句を言っていると女性キャンパーはおずおずと近寄ってきた。


「あ、あの、私、迷ったらここにいて。見たことのない動物がたくさんいるし、違う世界なんじゃないかとは思ってたんですが、やっぱりそうなんですよね? お二人は素手で何でも作ってるし……」

「えぇ、えぇ。あなたからするとここは異世界で私達は異世界人ですね。とーぜん私達からするとあなたが異世界人なんですけど。そうですよねルイード」

「そうだ。ここは異世界だ」


 ルイードは稀人最多出現国である【王国】で「稀人の管理監督をする係」として務めてきたので、こういうやり取りは慣れているのだろうか。さっきからしらっとした顔で魚を炙り続けている。


 アラハ・ウィはニコニコしながら女性キャンパーに「焚き火に当たりますか? 魚を食べますか?」と勧めてくる。女の独り身だけにどこかおどおどしていた女性キャンパーは、勧められるまま焚き火の前に座った。


 するとルイードがボサボサの前髪を掻きながら睨みつけてた。


「おい」

「は、はい」


 ルイードに声をかけられて女性キャンパーはビクッとする。


「テメェじゃねぇよ。おいアラハ・ウィ。どうして俺の横に座らせんだよ」

「おやおや。稀人はあなたの管轄でしょう?」

「稀人なら、な」


 ルイードは女性キャンパーを帽子の下から覗き込むように見た。


「な、なんですか」

「この世界には魔物がいるし、悪い堕天使や魔王もいる」


 ルイードはチラッとアラハ・ウィを見ながら言った。


「そして悪魔もいるんだぜ」

「そ、そうなんですか。怖いところなんですね」


 ルイードは焼いていた魚を女性キャンパーに突きつけた。


「もっと上手く化けろや。次があればだが」


 女性キャンパーは奇声を発しながら背中から黒く光る翼を生やすと、焚き火の前から飛び退いて逃げようとした。だが、目にも留まらぬ疾さでアラハ・ウィがその首を掴み、地面に叩きつけた。


 その衝撃で女の姿は変貌し、帽子の下にある顔が名状しがたきモノThe Unnamableに変わっていく。


 どんな種族であっても人間がここまでおぞましく醜い造形にはならない。彼女の鼻梁から額までの間は無数の短い触手に覆われ、目も鼻もメチャクチャな位置についているのだ。


「悪魔は『神』の創造物に長い間化けられないから。なのにこいつは取り憑く相手がいなかったのか、わざわざ化けて現れやがった。ダドエルの穴にいたやつよりも雑魚も雑魚。下級悪魔の使い魔レベルの雑魚野郎だぜ」

「やーい雑魚ぉ」


 アラハ・ウィは馬鹿にしながら雑魚に神気を注ぎ込み、その体を溶解させた。


「……」


 悪魔に触れていたアラハ・ウィの手がしゅうしゅうと煙を吹いて焼け爛れているのは、相克効果によるものだ。


 闇に位置する悪魔を倒すと、対極の光に属する堕天使もダメージを食らってしまう。天使に比べたら軽度だが、それでも「敵を倒すと自分も傷つく」という理不尽な理がある。天使と悪魔と対になるもので運命共同体なのだ。


 その理を無視して悪魔を倒せるのは、この世の理とは無縁な世界からやって来る「稀人」だけだ。


「まったく。カミサマはろくな仕組みを作りませんねぇ」

「悪魔の神……魔神のせいかもしれないけどな」

「やれやれ。それにしてもこんな所にまで現れるとは、油断も隙もないやつらですねぇ。あぁ、悪魔に触ってしまうなんて、ばっちぃばっちぃ」

「……全然気が付いてなかったくせに、よく言うわ」


 ルイードは魚を炙り直す。アラハ・ウィの爛れてしまった腕は「ばっちぃばっちぃ」と手を振った一瞬で元に戻っている。この男もまたルイードと同じく常識の範囲外の存在なのだ。


「そもそもあんな雑魚で私達をどうにかしようなんて、悪魔どもはナメすぎではないですかねぇ」

「そうか? 馴染むのに時間がかかる憑依体を用意するまでもなく、とにかく『化けました』って感じのでもいいから送りつけてきたってのは、俺たちを早く消したかったんだろ。奴らからすると悪魔を倒せる稀人を育成されちゃ困るってわけだ。その目の付け所は悪くないんじゃねぇか。結果が伴わないだけで」

「ふーむ。それですがねぇ……。本当に悪魔を倒せるくらい光の因子を強く持った稀人はいるんですかね?」

「わからねぇよ、んなもん」

「そんな無責任な」

「カミサマが安易すぎなパターンでそういう稀人を呼び出してくれりゃいいんだが、さっきどっかの仮面のアホが毒づいたから、探すのに一苦労しそうな気がするぜ」




 □□□□□




 ガラバに日常が戻ってきた。


 最強用務員決定戦で優勝しても「所詮は用務員の……」というレッテルを貼って認めようーとしない一部の貴族生徒たちの大きく騒がれることもなく、淡々と働けている。


 実際「所詮は戦闘員ではない用務員達の小競り合いだった」のは確かなことで、そこで優勝するのも不本意なことなのだ。


「ふう」


 用務員用の宿直室で熱い茶を淹れたガラバは、伝説の用務員キサクとやらを模した黄色いハンドタオルで顔を拭うと、茶菓子を口に放り込みながら一息ついていた。


 恋人のシーマは単身旅行中。

 公爵魔族に連れて行かれてアルダムは、魔界あちらでなにかしている最中。

 ビランは教職員として勤務中。

 ビランの婚約者のイリノイ先生も保健室で勤務中。

 袂を分かったシルビスの姉御は、生徒会役員たちとお嬢様ごっこ中。

 ルイードの親分は……消息不明。


 長い間、周りには常に人がいる環境だったので、一人でいることに慣れていないガラバは、空虚な気分のまま畳に寝転がった。


「シーマが帰ってきたら王国に戻って物件探しをするか」


 今やってる用務員業務はただの隠れ蓑であって、本気で取り組むつもりはない。さっさと副学院長のシャクティから任務完了のサインを貰ってお役御免になりたいところだ。


 茫洋とそんな事を考えていると宿直室の扉がノックされた。


「へいへい。開いてるぜ」


 生返事すると、扉が開いた。


「失礼いたします」


 軽い感じの男の声が聞こえたのでそちらをみると、学院にいるには不適切な燕尾服を着こなした若紳士が立っていた。


 貴族に仕える家令といった雰囲気だが、魔族と同じ肌色で白目部分は黒く、黒瞳は赤い―――魔族だ。


「なんだ? ヤチグサ公爵の使いか?」

「ご明察でございますガラバ様」


 若紳士は恭しく胸に手を当てて一礼した。


「亡国ゼットライトの王子であらせられたガラバ様におかれましてはご機嫌麗しく……」

「あー、そういうのはいいから、なんなんだよ要件は」

「失礼申し上げました。わたくしはヤチグサ公爵の執事長を務めており……」

「だーかーらー、要件をくれ、要件を! せっかくの休憩時間を無駄にしたくねぇんだよ」

「では、ご用件を先に。わたくしは三等級冒険者『熱血のガラバ』様に指名依頼を受けていただきたく、魔界都市カグラザカより馳せ参じました」

「そういうのは冒険者ギルドを通してくれ」

「それは難しいため直接お話に伺った次第です」

「は?」

「今回の依頼は……いえ、ここでは口にするのも憚られます。どうか我が領地まで足を運んで頂けないでしょうか」

「なんだよその意味深な感じは。めんどくさそうだから断るぜ」

「シーマ様もお待ちですので」

「いくぅ♡」


 ガラバはひょいと起き上がって、いそいそと身支度を始めた。

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