第86話 ウザったいおっさんの名は・・・

「え? どうやって檻から……」


 堕天使ラミエルの魂は、憑依した人間の女──クレメリーに驚きの表情を浮かべさせた。それは当然魂が驚いた証であり、ウザ絡みのルイードは伝説の存在である天使……いや堕天使を驚かせることに成功したのだった。


 しかし少しも嬉しそうじゃないルイードは、出血多量で息絶えているランザに暖かい光を浴びせ続けている。


「あなた、待ちなさい。まさかその光……治癒魔法かと思ったけど、もしや!」


 悲鳴に近い声を上げる堕天使ラミエルに対し、完全に事切れていたランザはガバッと起き上がった。


「川の向こうに死んだ父君が見えた!」

「よぉおかえり」


 死から蘇って最初に見る顔が胡散臭いおっさんだったのでランザはガッカリした。


「はっ!? ガッカリしている場合じゃない! 俺はクレメリーに刺されて……クレメリーから羽が? え?」

「うっせぇなぁ。少しの間おとなしくしてろ。オメェの仕事は全部終わった後からだぜ」

「さ、再教育するのか?」

「……何言ってるのかわかんねぇし、とりあえず寝とけ」


 ルイードはトンとランザの額に指先を当てるだけで昏倒させた。


「さぁて、そこのきったねぇ羽のやつ! いろいろメンドクセェことしやがって!」

「……死者蘇生の秘術。それは生態系を乱す禁忌だから私達も人間に教えなかった秘術よ? どうして小汚い冒険者風情のあなたが使えるのよ」


 堕天使ラミエルはルイードを指差しながら言葉を続ける。


「その檻だってそうよ。現次元の生き物が触れたら魂魄から消えてしまうくらいの神気で作ったのに、どうやって出てきたのよ」

「どうやってだろうなぁ?(ニヤニヤ)」

「随分と舐められたものね。稀人ならいざしらず、こんな冒険者風情に……」

「おう、まったくだ。この俺様が三流天使の絞りカスみたいなテメェとやり合うなんざ、ほんっとに舐められたもんだぜ!」

「なんですって!?」


 ラミエルの全身から迸った神気は、その場にいた弱い人間たち……アジーン、ドヴァー、エランダ、シルビスを気絶させるのには十分すぎる圧だった。


 多少腕に覚えのあるクールなビランと元気なアルダムですら、その神気とも殺気ともわからない圧に屈して気を失いそうになったほどだが、それを真正面から浴びせられているルイードは変わらずヘラヘラしている。


「この私が三流? 面白いことを言う虫けらね!」

「なぁにが虫けらだボケェ。その虫けらとイチャコラしたせいで天から見放されて地獄に落とされたんじゃねぇか」

「!?」


 何もかも知っているという風のルイードに、さすがの堕天使も顔をひきつらせる。それに追い打ちをかけるようにルイードは続けた。


「それにな、地獄ってのは神格が高いやつほど囚える力が強くなる。こうやって魂だけ抜け出てこれるってこたぁ、テメェが大したことがない神格の三流だって証拠だろうがよ」


 ルイードに小バカにされた堕天使ラミエルは、斑色に汚れた翼を羽ばたかせて少し宙に浮いた。その全身からは黄金色の光……神気が明らかな怒りを伴って漏れ出している。


 さすがにその怒りの波動を受けたクールなビランと元気なアルダムも「あふん」と気絶し、この場で正気を保っているのはルイードとラミエルだけになった。


「あなた、何者なのかしら。私達エグレーゴロイはそんな知識を与えていないはずだけど?」

「俺もテメェに聞きてぇなぁ。地獄に落とされた見張りの天使エグレーゴロイが、どうやって這い出てこれたんだ?」

「神に質問するなど不敬が過ぎるわよ」

「神wwww 堕天使風情が神を名乗るなっつうのwww」

「この……不愉快なゴミめ!!」


 堕天使ラミエルが光を集めながら手を伸ばすと、岩石でも一瞬で融解するほどの熱量がルイードめがけて放たれた。


 それはシェースチが使った第七位階の戦略級破壊魔法を遥かに超えた一撃で、どんな魔法障壁も意味を成さず生きとし生けるもの全てが消滅する天使独自の攻撃───の、はずだった。


「!?」


 驚愕するラミエルの眼下でルイードは全くの無傷で立っている。自分が放った天使の一撃が消失した事を知り愕然とするラミエルだったが、その膨大な熱は祭壇内に風を起こし、ルイードの前髪をふぁさ~(↑)と揺らした。


「なっ……、えっ……」


 堕天使ラミエルは言葉を失った。


 今の今まで小汚い虫けらだと思っていた男が、天使より逞しく美しい顔を晒したのだ。


 神に愛された天才画家が生涯に一度だけ生み出すことが出来る完璧な輪郭の線とすらりと伸びた鼻梁。ラミエルが放つ光に照らされた肌は神々しく輝きを放ち、思わず吸い付きたくなるような唇はニヒルな微笑を湛えている。


「あ、ああ……」


 人間風情とは次元の違う高等生命体である「天使」が……。


 あらゆる人間が恍惚と見上げる美しさを持つ「天使」が……。


 その「天使」が人間ごときの顔を見た瞬間に頬を赤らめてしまうとは!


 ラミエルは意地でも平静を保とうとしたが、ルイードの前髪がスローモーションで降りきるまでの間、それは不可能なことだった。


 堕天使ラミエルの魂とそれに憑依されている修道女クレメリーの肉体は、ルイードの顔に魅了されてしまったのだ。だからその前髪がふぁさ~(↓)と降りてしまった時には、魂と肉体が同時に「あぁ……」と残念な嗚咽を漏らした。


「おまえは……一体……」


 先程よりも力のないラミエルの問いかけにルイードが何か言おうと口を開きかけたその時、二人の間の空間が割れた。


「んあ?」


 ルイードが素っ頓狂な声を上げているうちに、ガラスのように割れた空間の中から仮面をかぶった魔法使いが現れる。


 はもちろん、スペイシー領の砦でゴブリンたちをけしかけて小さな戦争を起こし、そのどさくさに紛れてランザを殺そうとしたアラハ・ウィだ。


「いやぁ、もう。見ていられませんな。全くもって度し難い。なにをしているのですかラミエル。せっかく地獄の底から掬い上げたんですから、いい加減ピリッとパリッとやってくださいよ」

「あー、この三流天使を地獄から連れてきたのは、やっぱりテメェの仕業か───アザゼル」


 懐かしい天使の名で呼ばれた仮面の魔法使いは、とても嬉しそうに微笑むと背中から十二枚の黒翼を広げてみせた。


 かつて神に背き、人間と交わって堕落した「神の如き強者」の名を持つ天使……。


 大天使ラファエルとウリエルが多大な犠牲を払いながら、地獄のさらに深い場所に通じるダドエルの穴に閉じこめた堕天使……。


 それは仮面をかぶった魔法使いの姿でこの世に顕現していた。


「アザゼル様! こ、この男は何者なのですか! どうして貴方様の神名みなまで知っているのですか!!」


 アラハ・ウィはラミエルを無視して周りを見渡し、起きている人間がいないかどうかを確認すると、唇の端だけを吊り上げるようにして笑った。


「わかりませんか? それはこの男が人間ではないからですとも、えぇ」

「は?」

「おやおや、忘れたのですか。私達見張りの天使たちエグレーゴロイを率いていた罪深き天使───ウザエルのことを」「は………?」

「どーも。ウザエルです」


 ルイードが面白くもなさそうに言うと、堕天使ラミエルは天使らしからぬ悲鳴に似た叫び声を上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る