第66話 ウザい人生に翻弄された侯爵の最期

 三人の子を男手一つで立派に育てるスペイシー侯爵。


 一族や他の貴族、更には王家からも次の妻を紹介されたが侯爵は誰にも魅力を感じなかった。それほどにリリアは彼に強い影響を落とした最高の女だったのだ。


 だがある日、領内で一番大きな商店を経営している所謂「成り上がり」の男が侯爵の前に現れた。


「まだ幼い男子を育てるためには、乳母ではなく実の母の存在が必要かと」


 人は自分の娘を紹介してきた。


 後妻を迎え入れる気はなかった侯爵だが、数年続く領内不作のためにどうしてもこの商人の手を借りなければならない状況だったので、侯爵はその娘に会うことにした。


 商人の娘エランダ。


 貴族の女にはない野性味があり、物怖じしないその態度はリリアを彷彿とさせる女だった。


 だがその性格はリリアより強い。


 周りの貴族女たちがどんないやがらせをしてきても、その倍、いや、十倍にして打ち返すという鬼のような気概を持ち、彼女に挑んだ女たちの家は、降格されたり取り潰しにあったり地方領地に飛ばされた。エランダは強気なだけではなく用意周到に相手を潰す戦略家でもあったのだ。


「エランダ。あまり露骨に反撃してはならない。名誉を重んじる貴族たちの反感が強くなる」

「あら侯爵様。だったら私にちょっかいかけなければいいんですよ。私にいやがらせはするのに反撃されるのはイヤだなんて、そんなの道理が通りません。私の敵になるのなら私にやったことを……倍返ししますわ」


 エランダの性格はリリアより強すぎた。だから本当に殺害計画も立てられたくらいだ。


 彼女が無事だったのは、常に隣りにいた侯爵がギャブレット流長剣術の手ほどきを受けた武人でもあったからだ。加えて手練手管の商人である父親が陰ながら敵を潰していたのも大きい。


 そうしているうちに二人の間には信頼関係が生まれ、侯爵が決めるまでもなくトントン拍子に外堀を埋められて、気がついたら二番目の嫁としてエランダを娶ることになっていた。


 エランダとの間にはチェトィリエ、ピャーチ、シェースチとこれまた男子ばかり三人が生まれた。もちろん望まれて生まれた子たちだ。


 だが、子を生んだエランダは徐々に腹黒い本性を剥き出すようになった。


 侯爵の見ていないところで先妻リリアの子たちを誹り、自分の子供達ばかりを寵愛する。そして侯爵を蔑ろにして商人の父親と共に勝手に家の方針を決める。まるで自分がスペイシー侯爵家の家督であるかのような振る舞いだった。


 その「侯爵家を乗っ取るエランダ一家の企み」は、これまでエランダに苦渋を飲まされてきた貴族たちが一致団結して調べ上げ、王家も知ることになってしまった。


「天下の悪妻エランダ」

「侯爵家を乗っ取る悪徳商人」


 その話には尾ひれが付いて、闇ギルドに関わりがあるとか邪教徒であるとか……。エランダとその一家は世間から叩かれ続けた。


 そしてエランダは姿を消した。


 彼女は息子たちを残したまま、スペイシー家の財宝をたんまりとせしめて、どこぞの男と駆け落ちしたのだ。


 侯爵はそれを手切れ金として内々で済ませようとしたが、王国王妃は看過せず、商人の親や一族が責任を取らされて財産没収の上、国外追放。エランダは見つけ次第極刑と言い渡された。


 その後、館に残されたエランダの子どもたちがどれほど肩身の狭いを思いをしたのかは想像に難い。だが侯爵はその子達を守った。「母親はどうあれ、私の息子であることは間違いはないのだ」と。


 後々侯爵は「エランダは私に気に入られようとリリアを真似て振る舞っていたのだろう」と語ったが、その真相は今となってはわからない。


 それから数年。リリアの子たちが立派に成人した頃───もはや三回目の後妻はありえないと思っていた侯爵の前に、ラーチュナイヤが現れた。


 ラーチュナイヤは館に仕えるメイドの一人だったが、どことなく最初の妻リリアに似た面影を感じ、年甲斐もなく惹かれてしまったのだ。


 こうして侯爵は彼女を三番目の妻として迎え入れ、セーミとヴォースィミを設けた。


 こうしてスペイシー家に平穏が訪れた───はずだった。


 ある頃から侯爵は末っ子のヴォースィミに疑問を抱くようになっていた。生まれた時からやけに視線がはっきりしていたが、幼子なのに大人のような思考を垣間見せたりするヴォースィミは、さかしいというより不気味に思えたのだ。


 試しにこの世界では難解な学問を学ばせてみると「かつてから知っていた」風のニュアンスも受けたし、決定的だったのは王都から取り寄せた異世界の言葉で書かれた文献を渡すとスラスラと読んでしまったのだ。


 稀人はこの世界の言葉や文字を簡単に理解できる能力が付与されているらしく、ヴォースィミはこちらの文字と変わらない感覚で読み上げてしまったのだ。


「お前は我が家に転生してきた稀人ではないか」

「……」


 ヴォースィミの沈黙は肯定と捕らえ、侯爵は彼の名前を領地に伝わる伝説の英雄から「ランザ」と改めさせた。


 これまでは最初の妻リリアが異世界の数字を息子たちの名に付けたのを踏襲していたが、彼だけはお遊びの名前を後世に残してはならない───正当なスペイシー侯爵家の跡取りになるべき男なのだから。

 

 稀人の類まれなる身体能力や、勇者のような特殊な能力がスペイシー家の血に入っているとなれば、それが後世にどれほどの影響を与えるか……これは王国王家の王位継承に匹敵するほどの利権を生む話であり、当主として当然の判断だった。


 侯爵は他の兄弟たちに格の違いを諭すため、わざと食事の順番をランザから始めるように言いつけ、風呂も当然ランザが一番最初でなにかあればランザを立てた。しかし、成人したリリアの息子たちにもさせていなかった領地経営の一部を幼子のランザに任せるなど、あまりにも兄弟に差異を付けすぎた。


 当のランザからするとただの過干渉で、他の兄弟よりも厳しくしつけられることに辟易していたし、他の兄たちはランザを疎み、妬み、怨み、特に次男のドヴァーは何度もランザを殺そうとした。


 その結果、侯爵の思惑通りにはいかずランザは家を飛び出してしまった。


 しかもランザはあちこちの冒険者ギルドから除名される不名誉を受けて「家督を継ぐことがない男」というレッテルを自分に貼ってまで、とにかく家から離れようとしていた。


「私はやり方を間違えた……」


 若い頃、酒場で必死にリリアを口説いていたウザい自分の姿を思い出して侯爵は頭を抱えた。


 リリアが生きていたら強く叱責されていたと思うと涙も出ない。


 その頃から侯爵は原因不明の病に冒され、自力で立ち上がることができなくなっていた。それはリリアが冒された病と酷似していた。


 死期を感じた侯爵は、秘密裏に家督をランザに譲る内容の遺書をサマトリア教会の司教に預けた。


 他所に預けたのは、家の誰に渡しても「末っ子に家督を継がせるなどありえない」と内々で処理されかねないからだ。


……」


 三番目の妻ラーチュナイヤは、病床に伏せて明日をも知れない侯爵の横に終始付き添った。彼女はリリアに負けず劣らず良い妻だったのだ。


「私は……もう……ラーチュ……すまない……」


 弱音を吐く侯爵の手を取ったラーチュナイヤは、胸元から取り出したペンダントを見せた。


 侯爵が霞む目で見たそれは、間違いなく最初の妻リリアに贈った古いスペイシー家の紋章が入ったペンダントだった。


「どうして……お前が……それ、を……」


 リリアと共に埋葬したはずのそれを、どうしてラーチュナイヤが持っているのか。


「おまえは……まさか……まさか……そんな恐ろしいことが……ああ、リリア! 私はなんということを!!」


 侯爵の伸ばす手は、物悲しそうな顔をするラーチュナイヤに届く前に力なく落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る