第六章:闇ギルドと邪教の物語
第65話 それは気風の良い女とウザい男の出会いから始まった
スペイシー侯爵が惚れこんだ最初の妻リリア。若き侯爵が身分を隠して領内の酒場で遊んでいて、そこでリリアに出会った。
彼女は給仕をしていた。
粛々としている貴族の女ではありえないほど活発で陽気なリリアの姿は、侯爵から見ると太陽のように輝いていた。
「私はイケメンだしお金も地位もあるし付き合ってくれないか?」
「自分で言います? 私が男を選ぶ基準で顔とか金とか地位とかはかなり下の方なんで、そこを自慢されてもなんとも思わないですサヨウナラ」
「もう通い詰めて半年になるんだけど、いくら払ったら付き合ってくれるんだい」
「はぁ!? 私が金積まれたら股開くような女に見えます!?」
「い、いや、そういう意味じゃなくて、酒場に落としたお金ってことで、あの……」
「口説き方勉強して来世にまた来てくださいサヨウナラ」
「こんばんわハニー。今夜も良い月だね」
「てかどうして私の出勤に合わせて待ち伏せしてるんですか。クソキモいんですけど」
「そうじゃなくて! 他の客がいない時に君と話がしたかったんだよ」
「プライベートで話すほどの興味はないので、店に来てくださいサヨウナラ」
「宮廷音楽家のマルセーヌは知り合いだから今度サインをもらってきてあげよう」
「でたー、知り合いが有名人自慢。どうせそんなに親しい間柄じゃないんでしょうし結構ですサヨウナラ」
「うんうんわかるよ。私もこの前そういうことがあって……」
「今、お前の話してねぇから。なんでも自分の話に持っていくんじゃねぇよ!帰れ!サヨウナラ!」
「どんどん態度が悪くなっていくね……」
「実はここだけの話、私はここの領主、スペイシー侯爵なんだよ」
「はぁ? バカ言ってんじゃないわよ。こんな嘘つきでナルシストでウザい男が侯爵様なわけないでしょうが! 去れ! サヨウナラ!」
「私の評価そんなに低い!?」
そんな紆余曲折があり、リリアは「クソウザいが金払いの良い客」の正体が本物のスペイシー侯爵だと分かった後も、まったく物怖じしなかった。
侯爵から見たリリアは、いつも明るく、よく笑い、それでいてよく気が付き、事あれば人を立てて敬うことも忘れない……そんな女だった。
侯爵はリリアに本気で惚れ込み酒場に通い続けたが、何度口説いても答えは変わらない。
「どうしても私では駄目なのかい」
「駄目ってわけじゃないけど」
酒場に通い詰めて一年経ったあたりで、ようやくリリアは本心を語ってくれた。
「貴族の常識とか因習を知らない平民の私が、貴族様の恋人だなんて無理よ。それにあなたは侯爵家でスペイシー領の領主っていう名家じゃない? こんな酒場女なんて許されるはずがないわ」
「必ず守る!! 私がスペイシー家の名にかけてリリアを守ると誓う! なんなら私は家を捨ててもいい!」
「……バーカ」
酒場の誰もが侯爵の火遊びと思っていたが、彼は本気でリリアを娶ろうと思っていたし、リリアもその熱意に負けていた。
「これは私が君を守ると誓う印だ」
侯爵は古いスペイシー家の家紋が刻印された家宝のペンダントをリリアに贈って結婚の誓いを立てた。それは代々家督を継いだ者だけが手にできる家宝だ。
「そこまでして誓うのと言うのなら、私は公爵夫人としての振る舞いを学び、あなた様を支える妻となりましょう。しかし」
リリアからOKをもらった侯爵は嬉しさのあまり服のまま海に飛び込んだという。
この身分違いの結婚は当時の王国を騒がせた有名な話で、平民の女が貴族と結ばれる夢物語として語り継がれている。
最近では稀人の劇作家の手により「ド平民の私が貴族のイケメン領主様に惚れられて困ってます」という題名で小説や絵画、劇などのクロスメディアで展開されており、今王国で一番売上ている書籍はこれの漫画版である。
───しかし物語と違って現実は過酷だった。
ただの平民が侯爵家に入るというのは前代未聞の出来事であり、他の貴族や遠縁のスペイシー一族のリリアに対するやっかみは相当なものだった。
貴族女たちからの精神をえぐる様々な嫌がらせ。正妻にすることを大反対するスペイシー家の面々。ちょっとした所作の悪さをバカにする社交界の面々……。
しかしリリアは負けなかった。彼女は酒場で鍛えられた鋼の精神と気風の良さですべての難局を乗り切り、自分のシンパも増やしていった。
もちろん侯爵も表に影にリリアを守り通し、二人の間には待望の長男アジーンを出産することができた。世継ぎが生まれたことにより急激に嫌がらせは鳴りを潜め、リリアは周囲に悔やまれながらもスペイシー公爵夫人として認められることになった。
アジーンに続けてドヴァー、トリーと男子を設けたリリアは、貴族としての振る舞いを身に着け、侯爵を立てながら母として子育てをし、勉学にも勤しんで領地経営も手伝った。まさに良妻賢母だった。
そんなリリアが四人目の子どもを身罷り、出産間近となった頃………原因不明の病に倒れた。
サマトリア教会の大司祭や高名な医療技術者、勇者と名がつく特殊能力をも去った稀人……各方面による懸命な回復治療が施されたが、リリアは日に日に弱っていった。
「あなた様。私はもうだめみたいです」
「バカなことを言うなリリア。きっと大丈夫だ。気をしっかりもつんだ」
「ありがとう……付き合う前に散々言った言葉だけど、今度は本当に……あなた様、サヨウナラ」
リリアは帰らぬ人になった。
本気で愛した妻を失った悲しみで侯爵は荒れた。
寄ってくる女は山のようにいたが、どんな女も魅力を感じない。酒を飲み、公務を投げ出し、財を無駄に使い、毎日毎日死にたいと思いながら酒場に通い詰めた。
だが、彼の元にはリリアが残した三人の子どもたちがいる。
『この子たちを差し置いて悲しみに暮れていてはリリアに叱られてしまう』
そう思えるくらいには時間が悲しみを解決してくれていた。
毅然とした領主の姿を取り戻した侯爵は、以前に増して領地運営に精を出した。今あるスペイシー領の観光事業や海岸線の海水浴場整備はこの頃に成し遂げられた功績で、特にスペイシー家の館の前にある海水浴場は「リリア海岸」と名付けられ、今も大事にされている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます