第63話 突然ウザい決戦が始まって困惑する

 スペイシー領。


 王国の南部海岸を占めるその領地は代々ランザの一族が収めてきた。だから「王国」というものがまだなかった群雄割拠の時代にはスペイシー一族はこの地の王を名乗っていた。


「壮観だな、おい」


 御者台の隣に立ったルイードは、領境の砦を守り固める軍隊を見て口笛を吹く。世が世なら王となる男ランザを領境の砦で迎えるのは二千人の軍隊だった。もちろん歓迎のために陣を置いているのではないのは明白だ。


 馬の手綱を握っているランザは、次男兄の顔を思い出して唇を噛み締めた。


「ドヴァーめ。ここまでするかッ!」

「もしかしなくてもあの軍隊はオメェを殺すために用意されてんのかぁ?」

「そうだろうな。とにかくあんたは幌の中に入っていてくれ。俺がなんとかする!」


 そうしているうちに軍隊の陣から早馬がやってくる。こちらが何者なのか確かめるために斥候を出してきたのだろう。


「この砦を通る馬車を検めさせてもらっている。乗っているのは?」

「俺と中に一人です。みんな前の停留所で降りまして……」

「中に魔物が潜んでいたりはしないだろうな。特にゴブリンは……」


 兵士が馬上から幌の中を覗き込むと、中からルイードが手を振ってみせる。


「ルイード!?」

「んぁ? 俺様と会ったことがあんのか?」

「ふん。俺はここの兵隊になる前は街で衛兵だったからな。貴様のことはよく知ってるぞ」

「ほー。俺も有名になったもんだぜ」

「ああ有名さ。ゴブリンより質の悪い男だからな!」


 兵士は手槍をルイードに向けた。


「ギルドに来る新人冒険者たちに絡んでは金品を巻き上げて若い芽を潰し、若い女冒険者を無理やり手篭めにして娼館に売り飛ばしていたチンピラ冒険者のルイード!」

「……お、おう」


 事情を知らない多数の冒険者や一般人からはそう見られても不思議ではないが、ルイードは嫌われ役を演じているだけで、実際に金品を巻き上げてはいないし、女を手篭めにして売り飛ばしてもいない。


「衛兵隊長のミュージィ様からは捨て置けと言われたが、あの頃から俺は貴様が闇ギルドの関係者だと思っていた。しかし運のないやつだ」

「ん?」

「今からここは戦場になる。もうお前らの逃げ場もない。諦めるんだな」


 兵士は踵を返して馬車から離れた。


「おいランザ。あの軍隊はオメェの兄貴の仕込みなんだよなぁ?」

「ああ。確実に俺を殺して証拠を残さないためだろう」

「あんなに軍隊使っといて証拠を残さないもなにもねぇだろ。家督相続の線を切るためにテメェを軍隊使って殺したって、王国にバレバレのバレッバレだぜ」

「あの人なら軍隊を使って殺すのは俺じゃない」


 砦の前に敷かれた軍隊の陣形が変わり、騎士たちが前に出る。それに呼応するようなラッパのけたたましい音が砦と反対側の森の方から聞こえてくるや、醜悪なゴブリンたちの軍勢が姿を表した。


「お抱え魔法使いを使ってゴブリンを扇動させ、それに対処するために軍を置く。この戦いに運悪く巻き込まれた俺はどさくさで死ぬってわけだ。それなら証拠も何も関係ない」

「木を隠すなら森の中。死体を隠すなら戦場ってか?」


 ゴブリン軍が雄叫びを上げて迫ってくるのをスペイシー領軍が陣形を作って迎え撃ち、矢が飛び交う。


 両軍から放たれた雨のような矢は馬車の幌を突き破るが、馬に当たるものはすべてルイードが短剣で薙ぎ払う。それだけでも凄まじい剣技なのだが、ランザは混乱してそのことが目に入っていなかった。


「無理だ!! こんな戦場のど真ん中で生き延びるなんて無理だ!!」

「おう、よーく見ろ」


 両軍の間にぽつんと残された馬車は、雲霞の如く押し寄せるゴブリンたちの波の中で潰されると誰がどう見ても思えるだろう。


 だが───ゴブリンたちは、必死の形相で人間に襲いかかっているが、どういうわけか馬車を避けている。まるで川の中州のように、ぽっかりと馬車の周りだけゴブリンが近寄ってこないのだ。


「ど、どういうことだ、これは」

「ふぇふぇふぇ、俺様の覇気に恐れをなしたってこったな」


 冗談めかしてルイードは言うが、実際ゴブリンたちからすると「人間の軍隊よりヤベェやつがいるから避けよう」と誰もが思ったのだ。


 自分たちを無視してゴブリンと人間が戦い合う。


 飛び散る血潮はどちらのものか。泣き叫ぶ声はどちらの声か。


 この戦場が「ランザを殺すために作られた舞台」なのだから、戦わされている人間の兵士とゴブリンたちは溜まったものではないだろう。


「ウザってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 ルイードは刃の潰れた短剣を抜いて御者台に立つと、横薙ぎに一閃した。


 それがどんな効果を生んだのか。


 まず間近にいたランザは、ルイードの大声をまともに浴びて鼓膜が破れるような激しい痛みに転げ回った。そのランザの次に近かった馬たちは耳を抑えることも出来ず気絶してぶっ倒れた。


 ゴブリン軍の過半数はルイードが一閃した短剣から生まれた衝撃波に吹き飛ばされ、スペイシー軍も目の前の地面がパカーンと割れたので進み出せないでいる。


 最前線で血みどろの戦いを演じていた両軍は、目の前の敵よりも恐ろしい気配を感じ取って、ほうほうの体で撤退を始める。


 誰が信じるだろうか。ルイードは大声と剣の空振りだけで戦いを止めたのだ。


「おいこらテメェェェェ!! 勝負したいなら真っ向からこいやぁぁぁぁ!!」


 ルイードが誰にともなく怒声を響かせると、それに呼応するかのように馬車の前方の、その中の歪んだ黒い空間から這い出すように巨大な手が伸びてきた。


 人間もゴブリンも、あまりに巨大で禍々しいそれを見て逃げ惑う。


「……ったく、まで使うのかよ」


 ボソリとつぶやいたルイードは、空間を割りながら現れた腕に短剣を向けた。


「おおおおお、おい、おいいいいい!! なんなんだあれは! 軍隊とかゴブリンよりやばいぞ!!」


 ランザが耳を抑えながら悲鳴を上げる。


「うっせぇ。テメェはここから動くな。ウロウロすると死ぬぞ」

「ま、まてルイード! 俺を再教育する前にあんなの相手にどうするつもりだ!?」


 ルイードは無言で御者台から降りると、腰を抜かして逃げ遅れたゴブリンの足を蹴った。


「ほれ、さっさと行け」

「ゴ、ゴブー!」


 汚い肌色の醜い怪物は涙目になって這うように逃げていく。


「ったくウザってぇなぁ」


 ぶつぶつ文句を言いながら空間を割って生えている巨大な腕の方に歩いていくルイードは、ピタリと足を止めた。


 ルイードやランザから見て頭上高く……そこに新たな人物が空間を割って現れた。


「アラハ・ウィ!?」


 空間を割って現れた仮面の魔法使いは、巨大な腕の前に浮いたままで一礼してみせた。


「お久しぶりですねぇランザ様。そしてルイード」

「!? ルイードと知り合いなのか!?」

「知り合い? ええ、それはもう。あなた様より古い付き合いでしてねぇ。まぁ、一度は原子分解させられたくらい熱い仲です」


 唇の端だけを吊り上げるようにして仮面の魔法使いアラハ・ウィは笑った。

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