第61話 ウザい魔法使いが見ている

 ある時、世の生物学者は議論した。


「ゴブリンは人類か、否か」


 どれほど見た目が醜くても、共通言語を行使し人間と交配出来ることからゴブリンも「人間」の定義に当てはまっているのではないかと付議されたのだ。


 だが生物学者たちの見解は「否」となった。


 ゴブリンにはメスが存在せず人間としか交配しない……。まずこの時点で自然の摂理からはみ出している。またゴブリンと交配して生まれてくる子供は、混血種ではなく確実にゴブリンである。


 この事から「交配されていない」「自身の分体を寄生させている」と結論付けられ、ゴブリンは「魔物」であり「人間」ではないとされた。


 そんなゴブリンの一団がルイードとランザの乗る馬車を囲んでいる。


「まさかドヴァー兄の差し金!? いや、そんなバカな。魔物を使役するなんてことが人間にできるはずが!」

「あー、うっせぇ、うっせぇ」


 ルイードは面倒くさそうに馬車を降りる。


 魔物は討伐すべし。それは冒険者全員に課せられている義務である。特にゴブリンは人間の女を襲い、短期間で生み増えて更なる悲劇を増やしていく厄介な魔物なので、見つけたら必ず殺さねばならない。


 しかしそれは冒険者たちがパーティを組んで行う討伐であり、単身でやるようなことではない。ましてやルイードが手にしているのは、初心者を脅すために用いる「刃を潰した短剣」だけだ。これではゴブリンたちを退けることは出来ないだろう。


 だが……。


「!!」


 ルイードを見たゴブリンたちが明らかに動揺しているのがわかる。


 ランザにはその理由がわからなかったが、ルイードが「おうこらテメェら、何処のどいつの一党だ」と凄むと、まるで人間のようにペコペコと頭を下げ、腰を低くして戦意を失ったかのように下がっていく。


『ば、バカな。魔物が人間にビビっているだと!?』


 ランザが驚いている間にゴブリンたちは小走りで去っていった。


 魔物は人間の強さ弱さに関係なく、見境なしに襲ってくるものだと思っていたがそうではなかった。滅多に魔物と相まみえるものではないので知らなかったということだろうか。それともルイードがそういった常識のことわりの外にあるのだろうか。


「あーあ、やっつける前に逃げられちまったぜー(棒)」


 ルイードは大して残念そうでもない口ぶりで頭を掻きながら馬車に戻ってくる。


『この男は凄みだけで魔物を下がらせたというのか!?』


 それでなくてもルイードの実力の上限がわからないのに、ますます謎が深まっていく。


「あんた、一体何者なんだ」

「ウザ絡みのルイードっつうチンピラ冒険者様にきまってんだろ」

「自分からチンピラを自称するチンピラなんて見たことがない。どうしてゴブリンは逃げていったんだ?」

「さあな。なにか用事でも思い出したんじゃねぇか?」


 そのふざけた返答に、ランザは「狂人と思われそうだから口にすまい」と思っていた言葉を吐き出した。


「まさかあんたは俺をこの世界に転生させた神様か、神の使徒なんじゃないだろうな!?」

「ああん?」


 間髪入れずにルイードは本気の怒声を上げた。今までランザに見せたことのない本気の殺気がこぼれだしている。


「俺様が神だぁ? ふざけたこと言ってると領地に着く前に顔の形が変わるまで殴るぞこのボケが」


 口調はいつもと変わらないが、顔を隠した前髪の隙間から覗く目に本気の殺意が宿っている。もしその眼光を直視していたらランザは失禁していたかも知れない……そんな恐ろしい目つきだ。


「す、すまん……」


 そう謝ることしか出来ないほどランザは恐怖し、動揺を隠せないでいる。


『信仰が当たり前のこの世界で、これほど神を毛嫌いするやつがいるなんて……。まさかこいつは神なんかじゃなくて……』

「断っとくが魔王でもねぇからな」

「お、おう? ……ちょっと待て。今、俺の心を読んだのか!?」

「そう言いたげな顔をしてたからだアホ」


 魔族や魔物を従えて世界を破滅に導こうとしていた魔王は、異世界から来た「勇者」四人によって討伐された───ということになっている。本当はルイードが一人で魔王を倒したという真実を知るのは限られた極一部の者たちだけで、ランザが知るところではない。


「まぁ危機は去ったわけだ。はよぅテメェのご実家に行って慰謝料ふんだくってやろうぜ」

「俺を仲間みたいに言うな。ふんだくられるのは俺の実家だぞ」

「他人事みたいに言いやがって。お・ま・え・が、やったことだろうが」


 ルイードはランザの耳を引っ張り上げてその耳孔に低い声で言う。


 耳の近くで発せられた低く錆びた声は、ランザの鼓膜から脳から腹の下にある丹田までを揺らした。


「さ、再教育……」

「ちゃっちゃと馬を走らせろボケェ!」

「お、おう」


 どこか恥ずかしそうに頷くランザを無視してルイードは空を見上げた。


「どうした?」

「……チッ」


 心底嫌そうな顔をするルイードは、一陣の風が揺らしそうになった前髪を手で抑えながら舌打ちした。




 ■■■■■




 ルイードたちの様子を水晶玉越しに見ていた男は、唇の右端を吊り上げるような笑みを浮かべた。


「いやはや。ゴブリン程度では気圧されて無理でしたなぁ。それに私が見ていることに気がついたようで。やれやれ恐ろしい男です」


 目元を仮面で隠したその魔法使いは、手をかざすのを止めて水晶に映るルイードの姿をかき消した。


 腰までまっすぐ伸びた金髪と顔を隠すその仮面が特徴的な魔法使いは、ルイード並みに高身長の男だ。しかしルイードのように筋骨隆々ではなく体の線は細いようで、ローブと金属の肩当てなどで体を大きく見せているようだ。


「ランザに付いている護衛の冒険者か?」


 スペイシー家次男のドヴァーは口ひげを擦りながら目をしかめた。


「弟たちがしくじったくらいだから手練れだとは思っていたが、貴殿が嘲笑わらうくらいだから相当なのだな?」


 スペイシー家の館。豪奢なその建物の一室で二人は水晶玉を置いたテーブルを挟んで立っている。


 ドヴァーには水晶玉に何が映し出されているのか見えないが、この魔法使いの言うことは信用していた。


「手練れ……そうですねぇ。この世で彼に勝てる者がいるかどうか」

「そこまでなのか!?」

「えぇ。それはもう。私も一度こてんぱんにやられましたからねぇ、えぇ」

「貴殿が!?」


 ドヴァーは世辞抜きの本気で驚いた。なんせ使役不可能と言われている魔物を遠隔で意のままに操る魔法使いだ。そんな彼が負かされたことがあるとは思ってもいなかった。


「これは軍を動かすべきか」

「おやおや、どういう名目で領軍を動かされるおつもりで? まさか爵位継承者である末弟を誅殺してこいと命じられるので?」

「なんとでも言い様はある。誰もランザの顔など覚えておるまいし、凄腕の野盗が領に入ったので討伐せよとでも言えばいい」

「ほほう。しかし軍を失ったらこの領地を守る者がいなくなりますがねぇ……」

「失ったら? たった二人を相手に? くくく、少々脅しが過ぎますぞ、アラハ・ウィ殿」


 ドヴァーはこの仮面の魔法使いが冗談を言っているのだと思って苦笑を浮かべた。


 しかし仮面の魔法使いはぴくりとも笑みを浮かべることなく、窓越しに彼方の空を見ながら言った。


「それはどうでしょうかねぇ」

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