第25話 ウザ絡みがいないところでそんなことが

 夕日が落ちるのが早くなった。


 夏終りの夕焼けは街全体を鮮やかな朱色に染め、夕日に照らされて影になった場所はいつもより陰影を濃くする。


 そんな場所の一角に、街の東区画では知る人ぞ知る隠れ家的飲み屋がある。王侯貴族以外の口に入ることがない禁制の高級酒を横流ししている、所謂いわゆる「違法酒場」だ。


 怪しい店の客層は当然怪しい。


 表通りを大手を振って歩けない犯罪者や、他所から流れてきた一癖ありそうな冒険者、素性を隠すために仮面をかぶりよからぬ相談をしている貴族……そんな中に現れたのは黒いローブまとい、顔をフードで覆った細身の女だった。


 帝国の間者スパイ、シーマ。


 稀人を誘拐しようとしたことで王国からきつく遺憾の意を投げつけられた帝国は、表向きは知らぬ存ぜぬを貫き通したが、その裏で誘拐に失敗したシーマたちを激しく叱責した。


「この役立たずどもが! 貴様たちがしくじったせいで帝国はいらぬ恥をかいた! これより、いや、以前も以後も貴様たちは帝国とは一切関係がない余所者である。どことなり帝国ではない他所に行くがよい!!」


 要するにしくじったことで帝国を追われてしまったのだ。こうすることで帝国は「我らとは関係ない」と言い貫くつもりなのだろう。


 これまで仕えてきた帝国から切り捨てられたのはシーマにとって痛恨の極みだった。


『この恨み晴らさでおくべきか』


 ギリリと奥歯を噛み締めながら、バーテンダーに頼んだ強めのウォッカを一息で流し込む。


 彼女が王国に舞い戻ってきた目的は、自分が追放されるきっかけになった誘拐失敗の原因───つまり、ルイードに復讐することだ。


『稀人を誘拐して飛竜で脱出しようというまさにその時、チンピラ冒険者風情に稀人を奪い返されてしまった。一旦飛び上がった飛竜はもう止まらない。まさに絶妙なタイミングだった。その後すぐに王国からの追撃もあり引き返すことも出来ずに帝国に逃げ戻る失態を演じてしまった……』


 またギリリと奥歯を噛みしめて、喉が焼けそうなウォッカをもう一杯流し込む。バーテンダーもわかっているのか、頼まれてもいないのに無言でコップに酒を継ぎ足す。


『あんなチンピラに出し抜かれて国外追放の憂き目に……。絶対ぶち殺してやる!』


 自分への決意を胸に三杯目のウォッカを流し込んだ所で、隣に誰か座った。


 カウンターはまだ空席だらけだと言うのにわざわざ隣に座る。それはシーマになんらかの用件を持っているからだ。


 フードの隙間から横目で相手を伺うと、相手は商人の装いをしている初老の男だった。


「こちらに私からもう一杯。とびきり美味いやつをお願いしますよ」

「……旦那、高く付きますぜ」

「構いません。なかなか庶民の口に入らない、やつを頼みます」


 誰にも言えない。それは「今から密談するから席を外せ」という意味だと察したバーテンダーは、カウンターの奥に引っ込んだ。


「お前、帝国の者か?」


 初老の男から出る言葉の抑揚から間者スパイの勘が働いてそう尋ねたが返答はなく「あなたへのご依頼を預かってきております」と返された。自分のことは何も語らず───それは間者の鉄則だ。


『こいつも間者スパイで間違いないな』


 初老の男はカウンターの上に羊皮紙の巻物を置いた。その巻物の封蝋に押された印を見たシーマは目をしかめた。


「オータム男爵の蝋印か」

「はい。かの【稀人】様からのご依頼です」


 王国内で顕現したその稀人は、王国とは水が合わなかったのか帝国に居を移し、そこで「アイドル冒険者」というブームを生み出して巨万の富を得た。その金と稀人の知識で帝国内で成り上がり、今や貴族様だ。


 男爵は国家に益をもたらした商人や武人、もしくは高級士官に送られる爵位であり、血統に関係しないので稀人でもなれるのだ。


 しかし血統を重視する帝国の王侯貴族は男爵を「下級爵位」と呼んで蔑んでいる。


 男爵の上には子爵(伯爵の家督を受け継ぐことが出来る血筋の者)、伯爵(王族の血縁者)、侯爵(地方領主。世が世ならその地方の王)、公爵(王位もしくは王位継承権を持つ)というものがあり、男爵の下には血縁に相続できない一代限りの騎士爵がある。


「近々オータム男爵はバロウズ伯爵家のご長女と婚姻なされ、陞爵されるとのお噂」


 陞爵とは爵位が上がることを意味し、伯爵の家督を継承する権利を持つ立場になる。


「バロウズ伯爵もお年を召され、その家督をオータム男爵に襲爵されるのは間違いないかと。さらにバロウズ伯爵家は帝王様に親しい血縁ですから、いずれ公爵になる可能性もありえますな。稀人様が上位貴族になられたら帝国初です」

「ふん、爵位の説明など聞きたくもない」

「そうではありません。そういう立場の方からの依頼であるということをお伝えしているのです」


 シーマは舌打ちしてウォッカを流し込んだ。これは依頼ではない。嫌でもやらなければならない「脅し」だとわかったのだ。


「この依頼が成された暁には、帝国に戻れる道も見えることでしょう」

「……それほどの内容だとすれば、王国の貴族や王族の暗殺か?」

「それはご自身の目でご確認いただければ」


 初老の商人は、カウンター奥から大きなガラス瓶を持って現れたバーテンダーに微笑みかけた。


「おお、それは稀人がこの世にもたらしたという『ニホンシュー』ですかな。ランクは?」

「ダイギンジョークラスですぜ。貴族も滅多に手に入れられない品ですぜ」


 バーテンダーはおそらくこちらの話に聞き耳を立てていたのだろう。暗に匂わせてきたので商人は微笑みながら大金貨10万ジアを三枚カウンターに置いた。口止め料だ。


「……依頼人には承知したと伝えてもらおう」


 シーマが言うと初老の男は少し驚いた顔をしてみせた。


「内容を見なくてよろしいので?」

「こんなところで開けられるか」


 酒を注いだバーテンダーをフードの下から睨みつけると、何かを察したように「さて、便所便所……」と差し出された大金貨を持ってカウンターから離れていく。


「内容を見ようが見まいが、どのみち私はこれを受けざるを得ないんだろう?」


 商人はそれには答えず酒を一気に煽ると何事もなかったかのように立ち上がった。


「それでは良い夜を」

「……」


 男が店から出ていき、カウンターに一人残されたシーマは、周りを気にしながら巻かれた羊皮紙を広げた。


『オータム男爵の顔に泥を立って逃亡しているアイドル冒険者のガラバ、ビラン、アルダムの殺害、か』


 容易い仕事だ、とシーマは薄笑いを浮かべ、酒を煽った。

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