第51話 第八章 理不尽な激流、前へ…

 皆の足取りは軽く、北の河摂津入国関所のあるその場所まで、そう刻もかかる事なくたどり着いた。

 佇む関所は日の光に照らされ、影はその建物を更に大きく、そして長くたなびかせていた。

 まるで、この建物が存在する意味の深さを映し出しているかのように。

「ここが、その関所ね…?」

「そうです、天鈿女様。今は午の刻で、民が最も行き交う刻でありましょう。だから受け付けにて手形を受理されるまでに暫しの刻を要する事でございましょう。よしなに、よしなに…。」

 吉備津彦のその言葉に天鈿女は何を思ったのかじろりと横目で睨んだ。

「何、吉備津彦…?私が何か仕出かすとでも思ってるの…?」

「否、何も…そのような事は…。」

 天鈿女の表情は笑顔になった。

「そっ?なんならいいんだけど?ふっふーん♪さ、岳。いくわよっ!!」

「えっ?あめたんっ!?ちょっっっ!!!」

 天鈿女は岳の手を引いて関所の扉を力強く押し、通り過ぎていった。

その場へと独り取り残された吉備津彦に乾いた秋風が通り過ぎていった。

 自分の想いや経験は愚か、心も貸さないこの女を今こそどうしてくれよう思った。…が、狭野尊大先生がこの女を悠々たる姿でいなしている描写を垣間見た先程。

 今の自分にはそこまでの技量も甲斐もない。只々、力量不足の自分自身が悪いのだと、そっと心中で思いなおして強く拳を握りしめたと同時、右目から熱い涙が滲み出ていたのをぐっと堪えた。

 そして二人の後をたどり、関所の扉を開かした。

 すると、自身はばっちり予想をしていた通り、その場に広がる部屋に、役人か民かとも分別できない程の人がごった返しており、その姿を岳と天鈿女は呆然と見尽くしていた。

 吉備津彦は依然経験していた事もあり、その事を敢えてこの二人に、というか天鈿女に忠告していたのだが、やはり事態を深刻に受け取っていなかった天鈿女の方が嫌に取り乱しながら岳に何故か不可思議な感情を露わにしていた。

「た、岳っ!?た、民だわ…、民がいっぱい居るわっ!!」

「あ、あめたんっ!!吉備津彦が先程このような状況だと申しておったではないかっ!今更どうしたというのじゃっ!!」

「いや、別に…。」

 天鈿女の言葉が続かなかった理由は他にもない。これまで、様々な集落の熱気を感じていたが、それはどれも商人と民達の欲望の渦であり、所謂ビジネスである。

 しかしながら、この北の河摂津入国関所という場所の熱気は、天孫社の受付フロアと同じような雰囲気が立ち込めていて、そこには天孫社員と客足神が言い争う場面が展開されている。それによく似た臭いで、官と民の密かなせめぎ合いを感じた天鈿女は、高天原に一瞬帰ったかのような感覚に囚われて少し躊躇してしまったのだ。

「ささ、天鈿女様っ!受け付けはあちらでございますっ!岳もぼさっとしてないで天鈿女様を誘導しろぃっ!!」

 吉備津彦は天鈿女と岳を受け付け前の腰掛けに連れて行き、すぐ側にいた役人に話しかけた。すると何やら札のような物を受け取ると、直にこちらへと帰ってきた。

 そして、何故か天鈿女と少し離れた場所に腰をかけ、まるで何かを待っているかのように、腕を組み、瞳を閉じて沈黙した。

 その吉備津彦の態度に天鈿女は何も言う訳でもなく、同じように沈黙してはやはり何かを待っていた。

 岳はこの二方が次にどう動くのかを待ちながら、辺り一面をきょろきょろと見渡し続けていた。やはり田舎者にとってはこの場所も新たな発見場所であり、珍しい出来事ばかりが目の前で起こりまくっているのである。

 例えば役人の出で立ち。

 役人と言えば、弥生を連れ浚った奴らと、崇神という大物が吉備に来た刻に行幸へと群がっていた者達の姿を見ただけで、こう本業を全うしている姿など見た事もなかった。

 今まで見た役人は皆、同じ召し物を纏い、そしてこの場所にいる役人たちも然り。   多少は何かしら違う召し物があると仮定しても、多分大体このような出で立ちの者達は大和の役人だと思ってよいと岳は確信したのであった。

 その他と言うと、この地の民から発している吉備とは確実に違う言葉であったり、岳が元々来ていたようなボロ姿の者はおらず、皆、ちゃんとした召し物を羽織っているという驚き。そして、男はさて置き、何と申し上げたらよいか…。とにかく女性の皆が皆、煌びやかなのであった。

 多分、岳が想像もできないような裕福な暮らしをしている、所謂上層階級の民達なのだろうと思わざるを得ない。


『一体、どのような物を食っていたら、あのようになるのだろうか…?』


 只々単純で天下御免の田舎者、岳津彦ならではの発想であった。

「受付言、ぬ、の方―っ!!どうぞーっ!!!」

「ふう、意外と早かったではないか…。さ、天鈿女様、順番が回ってきました。行きましょうぞ…。」

 吉備津彦はそう言葉を発しながら受付の方へと歩いていった。その言葉にも何故か何の返答もせず、無言で吉備津彦の背を追う天鈿女の姿に、多少の違和感を覚えた岳。

 しかし考えている暇などある筈もない。吉備津彦に怒鳴らないようにそそくさと天鈿女の背を追った。

 そして吉備津彦と役人のやり取りに耳を傾けた。

「えーっ、摂津国への入国許可札を一札発行して貰いたいのだが…。」

「はいっ!有難う御座いますっ!!札を持っている方が一名様でもいらっしゃいましたら、複製として無料で発行させていただきますが、どなたかお持ちの方はいらっしゃいますかぁ?」

 役人は女人で、笑顔を張りつかせながら吉備津彦に返答していた。

「私が持っておる。この男の分を発行して欲しいのじゃ。」

 視線は役人に向けたまま、吉備津彦は岳のいる後ろ側に親指で指した。後方を確認するように視線を向けた役人は、一瞬「おやっ?」と表情を変えた。

「えー、その女性様の分は発行しなくてもよろしいのでしょうかっ!?」

「ええ…。私の分は大丈夫でございますよ…。」

 天鈿女はそうとだけ呟くと受付の方へと一歩近づいた。

「私はこのような者でございます故に…。」

 何の素材でできているのか岳は気になって仕方がなかった胸元にいつもぶら下げている透明に透ける入れ物を役人にそっと見せた。すると…。

「あ、天孫社のっ!!!それは失礼致しましたっ!!」

 役人は叫び声を上げるといきなり直立不動になり、天鈿女に対して深々と頭を垂れ始めた。

「いいのよ。それよりも早く作業を進めて頂戴。私達、先を急いでるの…。」

「はい、ただいまっ!!!」

 天鈿女の言葉に、役人は再び身体を動かすと思うと、どこか先程よりも緊張を帯びた雰囲気に変わっていた。

 そんな天鈿女はと言うと、岳に初めて姿を露わにした刻のような高貴ある出で立ちを展開させていて、まるでこの地の民全てを慈しみ見るという余裕な表情で役人を眺めていた。

 岳ははっと周りを見渡してみると、そこには案の定の光景があった。

 役人、そして民。この部屋に存在している全ての人が天鈿女の姿に釘づけになっており、男どもは目を輝かせ、女人達はどこか嫉妬に似た視線で、皆が天鈿女を眺めているのであった。

 辺りから立ち込める混沌とした雰囲気を気にも留めない様子で、只、満面な微笑みを浮かべている天鈿女。

 岳は思った。


『なるほど、この刻の為に沈黙を護っていたというのか…。あめたん、あんたって神はっ!!!』


 最後の最後で美味しい所を掻っ攫っていくのはいつもの話だが、芸能を司る神の自意識過剰さを再度垣間見ては、何故か途方に暮れる心情に苛まれた岳であった。


「えっと…。通行許可札を持っている方の札を頂きたく…。」

 心なしか役人の言葉も変わっていた。

「あ、失礼…。これだ。」

 吉備津彦は袂へと忍ばせていた札を徐に役人へと手渡した。それを入念に確認していたと見せかけながら、役人の視線は泳いでいる事を岳は見逃さなかった。

 それほどまでに天孫社というのは脅威的な力を持っているのであろうか。岳はそう感じてしまうのも無理はない。まだまだ現実を知らぬ思春期の男の子であるのだから…。

 物事の理や、男女の痴情。民の単純たる喜びや、何事かに翻弄される悲しみ。そして、大人の事情等。

 これまで何も知らなかった事が正に幸せであったと言えよう…。

 慌ただしく起こりうる出来事に対し、そこまで関与せず、受け流しながらも自分自身の中で吸収していくだけ岳はまだ落ち着いていると言わざるを得ない。

 それは幼いながら婚姻の儀を済ましているからなのか。はたまた、元々の気質なのであるのかは分からない。著者である私でさえも(笑)

 役人から声がした。

「彦五十狭芹彦様の持ち札でございますね。御提示ありがとうございました。新発行者のお名前をお聞きしてもよろしゅうございますか?」

「この者は岳津彦と申す。」

 吉備津彦は淡々とした声で応じると、少し疲れた様子で俯き加減に目の真ん中辺りを親指と人差し指で軽く揉んでいた。天鈿女は、全くもって雰囲気を変えず、辺りを意識しながら神々しく佇んでいた。

 この役柄は役柄で大変なんだなと、岳はこの二方を同時に眺めながらそう思った。

「えー、そうしましたらですね、今すぐ岳津彦様の摂津入国許可札の発行手続きを行います故、暫しお待ち願いとう存じ奉ります…。」

「御意賜りました。」

 役人に受け答えした吉備津彦の声を聞いて、岳は安堵感に包まれた。

 これまで、何かしらの出来事に路を阻まれていたような気がしなくもない。今回はすんなりと話が進みそうだと思ったからだ。

 天鈿女もそのやり取りに気を良くした様子で、吉備津彦に対し笑顔を見せながら受付に背を向けたその刻…。

「おい、その札よこせ…。」

 先程やり取りをしていた列の横で作業をしていた役人から、不穏な声が上がった。

「何っ?あんたは今の業務を遂行しなさいよっ!天孫社の役柄様が目の前にいるんだから余計な事言わないでよっ!!」

 女役人はどこか苛立った様子で横にいた役人に声を荒げていた。

「あっ?いいから札よこせってばよ…。」

 気怠そうに言葉を発しながら女役人から吉備津彦の札を徐に奪ったと思うや否や、それをまじまじと眺め始めた。

「ほう…?大和国生、吉備国在住。天津神承認年間フリーパス所持者、彦五十狭芹彦殿。ほうほう…。」

「えっ…?否、貴様…。何者ぞ…。」

 何か不穏な雰囲気を感じた吉備津彦は、厳しい言葉を発しながらも瞬時に、手は腰の柄に伸びていた。

 その場にいる民達にはその異様な雰囲気は悟られておらず、相変わらずのやり取りが行われている。しかしながら岳には、札を奪ったこの役人から悪しき雰囲気など感じ取れない。

 鈍感なだけなのか…、直観が正しいのか…。それはまだ見極める能力など兼ね備えていなかったが故なのか…?

 吉備津彦とこの役人のやり取りを今は眺めながら立ち尽くすしかできなかった。

「おいっ!彦五十狭芹彦よっ!!このような物を所持しているからお前達はこの俺に甘いと言われるのだっ!!このような物、こうしてくれるわっ!!!!」

 役人は次の瞬間、吉備津彦の札を右拳で刹那に粉砕した。

「あああああああああああああああああああああっ!!」

 何が起こったというのか…。

 この役人の叫び声と、札を粉砕した破壊音で、辺り一面は騒然たる雰囲気が漂っていた。

 役人の手から払い落ちる元札の欠片や粉を、この二方はどのような気持ちで眺めていたのかは定かではない。先程まですかした姿を見せていた天鈿女も、全身を激しく戦慄かせ、顔の部首全てが開きっぱなしのだらしない表情を浮かべながら佇んでいた。吉備津彦も然り。

 しかしながら岳は、この役人の姿を見た瞬間からこの者の正体が誰であるかという事を分かっていた。と言うよりも、肌で感じていたと言っても過言ではなかった。

 始め石像姿で邂逅を果たし、名前や噂を聞く度によく分からない気持ちにさせられた我が最大の謎。そして、今し方海辺で我々の行く手を何故か苛めたという敵なのか味方なのか認識できないやはり謎の人物。

「あんたっ!!天孫社の役柄御一行様の代物、何、器物破損しちゃってるのよっ!!!見ない顔ねっ!?あんた誰なのよっ!?」

 女役人の言葉にこの男はニヤリと薄笑った。

「何を隠そう…新人だっ!!!」

「何も隠してないじゃないのっ!!あんた、上司に今すぐ報告よっ!!神妙についてきなさいっ!!!」

 女役人が徐にその男の右腕を掴んだ矢先…。

「やかましゃあああああああああっっっっ!!!!」

 男は叫び声を上げながら、女役人が掴んだ手を軸に自らの腕を内にひっくり返し跳ね除けると、反対の手で女役人の手首を掴んだ。そして脇辺りに掌底を繰り出し、上へと跳ね上げた。すると女役人は勢いよく空中でくるくると回転しながら部屋の反対側へと投げられていき、消えていった。

 見えない所で着地した破壊音が上がり、男は岳達の方へと近づいてきた。そして、役人羽織を乱暴に剥ぎ取り始めた。

「おい、お前らの行くところはここでは無いはずだっ!!行くぞっ!!」

「ああ…、あああああああっ!!」

「あ、あんたあああっ!!!!!」

 男は、はち切れんばかりの笑顔で吉備津彦と天鈿女に手を上げた。

「よっ!!久々だなあっ!元気にしてたかっ!?なかなか逢う機会無くて、俺はとっても淋しかったぜっ!!」

 そう…。この男は久々だと今申し上げたが、遂先程、正しく岳達の行先を阻んでいた漢。

 もう一度敢えてご紹介させて頂くが、この漢こそ、ミスター・御肇国天皇。神大和磐余彦、人呼んで狭野尊であった。

「あんたっ!!さっきの事と言い、吉備津彦の札の一件と言い…。私達の行く手を何でそこまで阻むのよっ!!!私達に何か恨みでもあるのっ!!?」

 今回だけは天鈿女も堪忍袋の緒が切れたらしい。

額に青筋を立てて、表情を完全に引き攣らせながら、まるで吉備津彦を相手のように心の底から叫び声を上げていた。

 その姿に吉備津彦の冷静な声が続いた。

「だ、大先生…。これはどういう事でしょうか…。幾ら天鈿女様であろうとも女。そして、童である岳津彦にどうか危険が及ばぬよう、私達は只、考えられる路を無難に進ませているだけであります。それのどこがいけないのでありましょうか…?この愚か者に分かるように説明して頂きたく…。」

「あんたっ!!先に私の問○×△□○○☆っっっ!!!!!」

 吉備津彦の姿に割って入ろうと、完全にキレていた天鈿女は、狭野尊の横で言葉にならない声を叫び散らかしていた。しかし、それに何も動ずる事なく、神妙な面持ちで吉備津彦と視線を合わしていた狭野尊。

「お前達は、俺の後をたどっていた。そして、務古の水門へとたどり着き、俺と出くわした。」

「はい、その通りでございます。そして、私達は大先生の平定した路とは違う選択を選んだ訳でございます…。」

 吉備津彦は語尾に力を這わせて言葉を発した。幾ら弟子という立場でもここだけはどうしても確認しておかなければならないと思ったからだ。

 違う路を選んだはずなのに、何故にこれ以上行く手を阻まれなければならないのかという事を…。

「彦五十狭芹彦よ、お前達は確かにあれから違う路を選んだ。それは俺も十分理解しているのだ。しかしながらな?彦五十狭芹彦よ…。触れ合う袖も多生の縁という他教の言葉を知っているか?」

「はっ…?はぁ…。」

天孫の勉強会で仏教という隣国の教えの勉強会の刻にこの言葉を教わったと思う。

「確か、あれですよね…。人との縁は全て偶然ではなく、深い因縁に起るものだとか、だから、どんな出逢いも大切にしなければならないとかいう教えでしたよね?それがどうかしましたか…?」

 狭野尊は満足げにからからと笑い声を上げた。

「よく学んでいるではないかっ!偉いぞ、彦五十狭芹彦っ!そう…、俺とお前達は務古の水門で再会を果たしたのだっ!!見るからに甘いお前達を、この優しい俺がほっておく訳にはいかんと老婆心が働いた訳で、だからこそこうしてお前達を鍛え上げようと再び参上したのだっ!どうだ、有り難いかっ!!そうだろそうだろっ!!はーっはっはっはっはっ!!!!」

 まだ何も応答していない吉備津彦に何故か納得して高笑う狭野尊。

 その言葉に言及していいのか悪いのかと困窮極まる吉備津彦の側に岳は近づき、小声で言葉を発した。

「吉備津彦…。神大和磐余彦様の先程の言葉で少し引っかかった事があるのだが…。」

「…、なんだ?多分、儂が感じている事だと思う。申してみよ…。」

岳は静かに首を縦に振った。

「というより、務古の水門の刻から密かに疑問に思っていたのだが、何故に私達が神大和磐余彦様の路をたどっている事を知っているのじゃ?私が思うに、これは単なる待ちぶ…」

「岳っ!!皆まで言うなっ!!それは大先生なりのお考えであろうっ!!頼むからこれ以上、波紋を広げないでくれっ!!!」

 吉備津彦は表情を歪め、まるで懇願するように岳に言った。

 相変わらず天鈿女は聞く耳も持たない狭野尊の横で暴れ叫んでいた。先程まで優雅に美しかったこの女神の姿の変貌ぶりを、役人や民は興味津々に、そして居た堪れなく見尽くしていた。

「おい、お前ら。ここにもう用はない。とっとと行くぞっ!!!」

 いつの間にか笑う事を止めていた狭野尊は、そうとだけ言い放ち、勝手に出入り口へと一神で足を進めていった。

部屋に佇む民は、只、様子を窺いながら狭野尊の行く路を開け、呆然と立ち尽くしていた。一体何が起こっているのか分からないが、自然とそうしなければならないと感じたのだろう。

「狭野っ!!私の言いたい事は○△□×××○○っ!!!」

 天鈿女は口の端に泡を吹かせながら叫んだが、既に誰にも届かない程声はしわがれていた。

 吉備津彦は凛とした艶やかな声で狭野尊の背姿へと言葉を叫ばせた。

「狭野尊大先生っ!!一体どこへ向かわれるのでしょうか…?」

 その瞬間、出入り口から眩いほどの光が差し込んで、狭野尊の姿は白と黒だけの色彩に彩らされていた。

 これはまさか、狭野尊側近がもたらしている演出であり、それはそれは過剰とも思えるほど、恰好よく、そして優雅で、はたまた煌びやかに狭野尊を映し出していた。

 その演出に、天鈿女はここで初めて口を噤ませて、冷静な表情へと変える事ができたという。

 狭野尊は、背姿のまま顔だけを後ろに向かせたが、その演出からどのような表情を浮かべているのか既に分からなかった。

「決まっているだろうが…。北の河だっ!!!」

 そうとだけ言うと、狭野尊は足を進ませ、出入り口の光の向こう側へと消えていった。

「狭野っ!!ちょっと待ちなさいっ!!」と、狭野尊の後を追う天鈿女。

「えっ!?天鈿女様っ!!つか、大先生っ!!!!」と、何か大切な事を忘れているような気がするが先を進まざるを得ない吉備津彦。

「あめたんっ!!、吉備津彦っ!?札の発行はどうなったのじゃっ!!!」と、自身の事であるが故、確信の殊更を忘れておらず心配である岳。

 それぞれ、ばたばたと部屋から出た瞬間、元の時間の流れがこの部屋に戻り、役人や民は何事もなかったかのように元の時間を取り戻した。

 この出来事は誰の記憶にも残っていなかったらしい。

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