第34話 第四章 大和の国から‘30

「素戔男…?」

 両手、両足、眼、口、鼻、耳。その他色々なところから光線を放たせて応戦しているこの子…。

 いつもはもっと可愛らしい顔をしているはずなのに、今だけだとは思うけどそんな邪な表情を浮かべてしまって…。しかも私の声に気がつかないくらい、今、命を削ってこの国を護っているのね…。

 嗚呼、なんて労しい可哀想な子…。

「素戔男…?私の存在に気づいてちょうだい…?」

 やはり私に気がつかない素戔男。

 それもそうね…。これだけの光を放たせているのだもの。流石の我が元旦那でも、ここまでの事はできないわ…。

 すごい、すごいわこの子っ!!早く私の存在に気づいて欲しい。だって、ずっと私に会いたがっていたのでしょ?

 刻には駄々を捏ねて、お姉ちゃんの部屋の片隅に自らの人糞を落としたり、自分で暗示かけて狂わせた馬を突っ込ませて大騒動になった事は遣いの者から聞いたわ。 只、淋しいだけなんだものね…。それに気づいて欲しいだけなんだものね…。

 嗚呼、なんて嘆かわしい子…。

 もう手の届く所までやってきてもこの子は私には気がつかない。  

時折、光線が私を刺す。

でもね、それはこの子を置き去りにしてきた年月の罪と罰として、私は交わさずに受け止めるわ…。この子がつけている心の傷なんかより、全然マシな筈だから。

 寧ろ、この子の温もりを感じ取れるようで私は嬉しいの…。

 確かに今はナミの姿で懐かしの芦原中国へ降臨してるのだから真の私ではない。

でもね、この子なら分かる。この子はできる子なのだから、見るのではなく感じる事ができると私は信じてる。

「す―、さーのおっっっ!!!」

「何するんじゃいっ!!!!!今ええとこマッチなんじゃけえ、邪魔すんないっ!!!!」

 もう、この子ったら…。右頬に手を当てただけでそんな怒った顔しちゃって。ホント照れ屋さんなんだから、うふふふ。なら、今度はこうしちゃおうっと。えいっ!!

 素戔男尊の頭に軽く力を送ると、まるで大げさと思うように痛そうに揺さぶらせた。

「ばぶち!!ホンマ何さらすんじゃいっ!!!だから邪魔するなと言っとろうが!!!」

 あははは、ホントこの子、御茶目さんっ!私の本の少しだけ力を込めて小さく纏めた壊光線を頭に食らってもびくともしないなんて、丈夫な子に育ってよかったわ…。

 嗚呼、なんて慎ましやかな子…。

 でもやっぱり私の方へ視線を向けようとしない。全くもって会えない間柄なのだから、早く私に気がついて欲しい。

 天孫社で私は黄泉総括部長という地位。伊弉諾が作り出す民御霊を色んな形に変化する責務を全うするだけの多忙なデスクワークで、黄泉室へと完全幽閉状態。

 だからいつでもこの子に会える訳ではない。この子の上の子、月読ちゃんだって私に会いたがってるって何度も聞いてるわ。元旦那が独自に生み、最高傑作だと評している天照さんも一度くらいは御見掛けしたい。

 うん…、やはり本当の事を話すわ。仕事に追われて部屋に幽閉状態だなんて真っ赤な嘘。

 本当は離婚した際、元旦那からこの黄泉室の扉に岩のように硬い戒めを施されてしまった。

 そんな暗い部屋で置き去りにされた私は暫くの間、膝を抱えて今までの事を思い返してたの。辛い事も、楽しい事も二人で仲良く過ごしてきた長い長い年月の事を…。

 そんなある日、私の目の前にいきなり一人の男の姿が突如現れたの。その姿を確認した刻、思わず口から心の臓が飛び出すかと思うくらいびっくりしちゃったっ!

 だってね、その男の姿は、誰も見た事ないくらい尊い存在の御方。

 他の神世七代様達位になれば話も別だとは思うけど、元旦那も私も写真くらいでしか見た事はなかった。

 その御姿は、全てを司る大神中の大神である天之御中主様だったの。

 私はその場へと平伏せる間も与えず、こうとだけ言葉を残して天之御中主様は姿を消した。

『伊弉諾が生む子を殺すのではなく、お前の力でそれらを別の力へと変えてくれまいか…。苦しかろう、悲しかろう伊弉弥よ…。だがな、儂の顔を立ててくれまいか…。頼むぞ…。』と…。

 私は呆然とその場に立ち尽くして少しだけ考えてると段々腹が立ってきたの!!

 ていうか何っ!?それって、あの人と関係を持った女の後処理を私がしろって事っ!!所謂尻拭いって事なのっ!?幾ら御上からの命令でも、やっていい事と悪い事があると思うわっ!!

 でもね、私は尽くす女。

 一度愛した男の事だもの…。いいわ、私が大目に見る事にするって決めちゃったのよ。

 馬鹿でしょ私…。ううん、否定しなくてもいいの、自分でも本当にそう思ってんだから…。

 でね、黄泉室から一歩も外に出ない仕事三昧って訳…。

 あ、少し話はそれちゃったわね…。

 早くこの子に気づいて欲しいけど、この子は今仕事中。そして、その仕事相手は荒覇吐。確かこの土偶、長髄彦の…。

 はっはーん。なるほど、そういう事ね…。

 つか私、芦原中国や大和をここまでしろだなんて大国主に言ってないわ…。という事は神日本にやられた長髄彦の私怨がこうしちゃってるって事になるのよね。

 しかも素戔男もこんなボロボロになるまで頑張ってる…。

 確かに、大国主の企てにちょっとだけ入れ知恵してるのは否めないんだけどさ…。 これだって私の女としての性もあるから許されると思うの…。

 でもね…、でもでもね…。

 否、しかしながら…。

 この我が、伊弉弥と伊弉諾が決死たる想いで生み出した、美しい子が、芦原中国が、目の前で破壊されている。

 くそ餓鬼である長髄彦の怨念に。この足元にも及ばぬ神如きに…。


『この三下がっ!実に解せぬわっ!!!!』


 左手に持っていた傘を弥生(?)は横向きに天へ翳すと、それは鋭く湾曲させ、絃を張りつめさせた光の大弓へと変わった。そして、右手をきつく握りしめると、一本の細い光が握らす拳の中に走った。

 それは瞬く間に鋭い光を放つ銀の矢に変わり、弥生(?)は徐に矢を絃へとかけ、力強く引き絞った。絃からギリギリと悲鳴のような音が鳴りひびき、その音と連動するように光も一段と大きくなっていく。そして…。

「私の子達に何仕出かしてんのよ、あんたあああああああっ!!!」

 叫び声と共に放たれた矢は、凄まじい勢いで荒覇吐の腹部へと吸い込まれていく。

 それに気がついた荒覇吐は邪悪にほくそ笑んだ。

「そんな針のような矢でこの俺を倒せると思っておるのか?お嬢ちゃん…?」

 その言葉をも引き裂くように、矢は荒覇吐へと消えていった。すると、荒覇吐の腹部から静かに煙が立ち込め始め、それが瞬く間に荒覇吐を包み込んでいく。

「な、何だこの煙はっ!!!んっ?腹が…熱い…?」

 煙はまるで雨をもたらす前の暗雲のように荒覇吐を覆い尽くすと同時に、これまで大和を破壊し尽くしていた壊光線が止んだ…。

 その状況下の中で、この場所に存在する皆が皆、様々な想いを馳せていた。

 又度、著者である私がこの表現を使う事にする。


『天皇崇神の場合』

 いやぁ…。何かよう分からへんけど助かったわぁ…。やっぱりあのおっさんの言うとった通りやなぁ…。弥生め、儂をいちびっとったんやなぁ…。意地らしいけど、可愛いやないけ…。


『里の場合』

 何か分からないけど…。父さん、母さん。私は今日も元気です。明日の朝日が拝めるっていうのはとても素晴らしい事なのですね…。


『建御雷神の場合』

 荒覇吐を阻止できたというのか…?俺を治癒した能力といい、この結界といい、俺の霊力を遥かに凌駕している。一体あの小娘は何者だというのか…。


『そして、一番気になるあの悲しき漢の場合』

 あれ…?

 なんじゃいっ!!このだらくそっ!!!さっきから後ろで何かしとると思ったが、何仕出かしてくれとんじゃいっ!!!

 後頭部も地味に痛いし、TVゲームを楽しんどる刻に、いきなり電源を引き抜く母ちゃんみたいな事しで腐りおってっ!

 母ちゃんじゃなかったら度突き回わしとるところぞっ!!

 え…!?母ちゃん…?


一応この者の心情も表現しておこうか…。


『荒覇吐の場合』

 なんとおおおおっ!!!

 煙が我が霊力を奪い取っていく。

 俺の身体が小さくなっているだとっ!?…否、萎んでいるのか…?そんな筈はないっ!素戔男をも制そうとしたこの俺が、あんな矢に屈する筈などないではないかっ!!訳がっ…わっがんっね…。

 なじょしてこんたな事になっでんだあああああああああっ!!


 気がつくと、空は満天の星空が辺り一面を覆い尽くしていた。

 そんな中、何かが落ちてくる音が鈍く響き渡り、月明かりに照らされた落下物は最初に姿を現した刻の荒覇吐の姿であると気がつくのに然程刻はかからなかった。

 それにしても「小っさっ!!!」誰もが思った事は内緒である。

「素戔男…。」

 その声の元へと素戔男尊は視線を向けると、優しく微笑みながら近づいてくる娘の姿を垣間見た。

 その揺るぎない雰囲気が素戔男尊を困惑させる。

  邪魔をされた事による不満を叫び散らしてやろうと用意していた言葉も何故か出す事ができず、素戔男尊はその娘の姿を睨みつける事しかできなかった。

「素戔男、私よ…。これまで淋しい想いをさせてしまってごめんなさいね…。」

 その言葉に素戔男尊は更に身体をたじろかせた。

 娘の瞳から大粒の涙が零れ落ちている姿を月の光が照らしだしている。月明かりと言えば我が兄者の眼差し。

 穢れなく映し出される娘の姿に何とも言い難い衝動に駆られていた。

 兄者は何を知っておるのかと素戔男尊は思いながら、娘の姿を見尽くしていると、先程まで我が心に巣食っていた荒々しい感情も何故か消え失せていく。

 素戔男尊の脳裏にこれまでの出来事が一陣の風の如く蘇ってきた。

 それは、母を訪ねて黄泉室へ駆け込もうとして部下に止められた十四の夏。誰にも自分の事を理解されず、心を荒ませ始めた十五の春。俺が高天原を去る刻、せめて姉に今生の別れを告げようと訪れたにも関わらず、疑われ、足蹴にされた十六の夏。そして、去り際に新聞を広げたまま一度も振り向いてくれなかった父の背中…。

 思い出せば思い出す程切ない描写ばかりにも関わらず、この娘を見ていると何故か暖かな気持ちに包まれていく…、否、苛まれていくと表現してもいいだろう。

「素戔男…、大丈夫?」

 その声に我に返った素戔男尊は、目の前に佇んだ涙化粧の娘に視線を奪われていたその瞬間、自分の頬に初めて水の滴が伝わる感覚を覚え、それが涙というものなのだと感じた刻には、顔を歪ませ始めている自分に気がついた。

「泣いていいのよ…、素戔男。」

 感極まり、虚空を見上げたその刻、あの漢の視線に気がついた。そう…。言わず

と知れた直属の部下で、好敵手である建御雷神とその一味である。

 その瞬間、特務本部相談役としての自分の立場を思い出した素戔男尊は、娘が放つ雰囲気を跳ね除けるように腕を大きく仰がせた。

「違うっ!違うぞ建御雷っ!!!こんなの俺じゃないっっ!!!」

 そう叫ぶや否や、何故か慌てふためきながら西の方角へと飛ぶように走り去っていった。

 その姿は流星の如く、足跡に仄かな光を残しながら…。

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