第24話 第三章 服部(はとりべ)一族の秘密

 もしかすると、吉備津彦の知り合いか何かかと思い、視線を向けてみると、吉備津彦もこちらを見ながら首を傾げている。この男もどうやら知らないらしい…。

 遠くでは、天鈿女と高早瀬のやり取りが異常な盛り上がりを見せている中で、吉備津彦と岳は困惑の極みに苛まれていた。

 しかし、そんな悠長な刻を過ごしている場合ではない事に気がついた岳は、この混乱を拂拭させようと、率直に目の前の漢へと疑問を呈した。

「えっと…。あの…。どなた様でしたっけ…?」

 男はその問いに答えるでもなく、岳に白い歯を見せて微笑みながらその場へと立ち、そして吉備津彦の右肩を一つ叩くと、「民を殺めなかった事、立派であったぞ彦五十狭芹彦よ…。」そう言い残し、漢はまるで銀幕へと吸い込まれるように舞台へと向かっていった。

 その背中はやけに大きく、岳はその日輪のような輝かしさに思わず畏怖し、吉備津彦には、この大和の国を孤独に背負う真の漢の背中だと思え、溢れる感涙を拭う事も忘れていた。

 そんな事など露知らず、演劇『女の勘をなめんじゃないわよ』は、絶頂の域に達しようとしていた。

 高早瀬の足元の地面は黒ずみ、多分全身の穴という穴から汁という汁が溢れ出ているのだろうか。懇願する声は相も変わらず続いていた。

「助けてくんろっ!!天鈿女命様っっつ!!何でも持ってったらええっ!!あ、何なら、この郷名物、服部そば飯一年分でもええんやでっ!?せやけどな、この勾玉だけは譲れへん…。これはな、汗水垂らして、働くだけ働いて死んでいった親父の形見なんや…。これと、大和に告げ口するいけずな事だけは堪忍えっ!!!?」

 高早瀬がここまでの役者だとは思っていなかった天鈿女の心は正しく感無量であった。

 涙は終演後に取っておこうと、気持ち新たに身を律すると、観客を意表の渦に巻き込むべく、次の展開へと移行させる言葉を発した。

「アンタ、すっかり御国言葉に変わっちゃったわね…。まあ、いいわ。そんな物、私には興味ないわ…。それよりも私、何より欲しい物があるの。それを頂けるのなら、朝廷には黙っておいてあげてもいいわ…。」

 高早瀬は、他教の話にある一縷の望みにしがみつく亡者のように、その言葉に縋り付いてきた。

「それは、なんでっしゃろっ!?蛸かっ!?やはりそば飯かっ!?それとも伊勢二見浦産、高級干鮑でっしゃろかっ!!??」

「食べ物の事ばかり話に上げるのね?私そんなに餓えてないわ…。アンタ、私がここに来た意味を理解していないみたいね…。」

 天鈿女の含みを帯びた言葉に、暫くは想い窮している高早瀬。

「えっと…。えぇぇぇぇえ、せやな…。えっと、せやからやなあ…。」

 瞬時に展開を読めぬこの大根役者。やはりこの輩は私のお眼鏡違いだったのか…?そう感じながら一つ思い返す事があった。

『やはり、私に釣り合う役者は、あの人と、そう…。我が夫、猿田彦命しかいない』、と…。

そのじれったい程煮え切らぬ高早瀬に痺れを切らした天鈿女だったが、『私は名女優よ』、と焦る自分に何度も言い聞かせ、劇的な展開を自ら紡ぎだそうと台詞を繋いだ。

「アナタタチデナケレバ、ウミダセナイモノ…。」

 次の瞬間、高早瀬はその言葉の意味が何であるかを悟り、全身を激しく戦慄かせた。死と同義の言葉に進退窮まり、言霊は空虚と化した。

「えええええええ、ですから、まあ…。ううううううん、まさか…、ええっ。まあ、ねっ?」

 やはり高早瀬からのやはり煮え切らない言葉に、天鈿女は遂には耐え切れず、事の核心に迫る台詞を用意した。最早、是非を問うている暇はない…。

「早くしないと、大変な事になるわよ?それより貴方、朝廷の力なめてるわよね…。まさかとは思うけど、もうばれちゃってるかもだけど、うふふふふ…。」

 その時、光の指していない場所からどこか聞き覚えのある声がぼんやりと聞こえてきた。

「えーーーーーっ。もうばれてしまっているのだが…。」

 ぼんやりと、だが悠然に歩み寄る者が男だと気づいた刻、天鈿女は徐に二度見返して驚愕した。

「え…?………………。げっっっ!!!!!?」

「こんな展開で知る事になるとはなぁ…。どうすればいいと思う?天鈿女よ…。」

「あっ!貴方様は…。ええっ、まあ。まさか…、ええっ。とりあえず、笑えばいいと思いますわよっ?えへっ。」

 男はその言葉を真摯に受け止め、白い歯を見せながら爽やかな笑みを浮かべると、即座に物憂げな表情で虚空を仰ぎ見ては、どこか寂しそうに呟いた。

「なんか…違うんだよな…。いや、全く違うだろ天鈿女よっ!!??」

 暗闇から段々と姿を浮き彫りにされて…否、なされていく中、確かこの大神の精霊姿が人間だった事を思いだした。

 こんな所で余談ではあるのだが説明しておく事にする。

財団法神、天孫には大きく分けて二つの派閥があり、天鈿女の他。その他大勢の社員が属している国津神系と、幹部、所謂直系と言われる社員が属している天津神系とが存在しているのである。

何故かと問われると詳しくは知らされていないのだが、社内の密かな噂によると、やはり名誉会長と元お妃が大きく関係しているらしく、このお二神の話になると、余程の事ではない限りどの社員も口を噤ませてしまい、それ以上話が大きくならないのだ。

 そんな訳で、この大神様はというと直系である天津神の幹部中の幹部。

 寧ろ会社内に伝説を作り上げたと言われている、天鈿女にとって雲の上のその又上の存在なのであった。

 だからこそ、天鈿女はこう思わざるを得なかった。『何故にそんな大神様がこのような場所に降臨せしめておられるのか?』と…。

 そうこうしている内に舞台上へとたどり着いたこの大神は、悠然たる姿で右手を上げて天鈿女へと気さくに話しかけてきた。

「天鈿女よ、元気だったかい?最近見ないと思ったら、ちょっと痩せたんじゃないのか?ちゃんと飯食えよ、飯。」

「ええ、病も召さぬまま、何とか無事業務を遂行させていただいております…。」

 緊張の余り視線さえ合わす事もできず、直立不動のまま大神へとそう伝えると、又もや白い歯を見せて、どこか満足そうに微笑んでいた。舞台上が少し明るくなったと感じたのは、この大神から放たれている後光効果なのだろうと思った。

 先程まで潰れていたはずの高早瀬がいきなりその場へと起ち上がり、何故か勢いよく大神を睨みつけ始めたのだった。

「何やってん…。」

 天鈿女が高早瀬を強くけん制しようとすると、大神は無用と申すように無言で手を翳す。天孫の末端中の末端であるこのちっぽけな男の言葉に、耳を傾ける必要などない筈と天鈿女は思わず首を傾がせたが、今は何か思惑があるが故の行動だと認識するしかなかった。

やはり、御上の考える事は達観し過ぎていまいち理解しかねる…。

普段滅多に姿を現す事のないこの大神の顔など、服部長であっても所詮は平である高早瀬は知る筈もなかった。

しかしながら、無知は罪。若者は馬鹿者。自分の認知していない者に対して、何故か強気に出てしまいがちなのは、正しく人の性だと言えよう事なのか…?

今だけは人間の姿に遂せるこの大神対して、只の民である高早瀬のまさかの激が飛んだ。

「アンタ誰だっ!!勝手に我が宮に入り、訳の分からん登場をしくさりおって…。私を誰だと思っているんだっ!せめて名くらいを名乗れ、無礼にも程があるぞっっっ!!!」

 そんな高早瀬を、天鈿女とこの大神はまるで雨に濡れた子犬を慈しむような視線で眺めていた。

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