第23話 第三章 服部(はとりべ)一族の秘密

 気がつくと、やたらと広い部屋の真ん中に一行は座らされていた。

 身体はきつく紐で戒められていて、まるで尋問されているかのように、少し前の位置に高早瀬の姿があった。一段上がった場所に、まるで玉座のような椅子に深々と座り、まるで自身が神であると言うような面持ちで、一行を見下す視線を浮かべていた。

 その右手には、縦に細長く、透明に光る器の中に紫色の液体が入っていて、更にその中の氷をころころと弄んでは勝ち誇る表情を浮かべたこの男の姿を、天鈿女は何とも憎らしく思えて仕方がなかった。

「ようこそ、我が宮殿へ…。」

 細く、冷ややかな声が空間の片隅にまで広がった。

 自らの宅を宮殿と評した事から、高早瀬は自身を皇族か何かと勘違いしているらしい。

「何よ、宮殿って…。所詮、只の民の分際で生意気よ…。」

 天鈿女は呟くように言ったのだろうが、確実に高早瀬に届く声であった。その声に特に臆する事もなく、まるで鬼の首を取ったかのような表情を変える事はなかった。

「天鈿女命様…、否、もしかするとよく似せた物の怪の類か…?よくよく思ってみると、普段高天原におられる女神が、こんな熊や童と旅をしているという状況が実に面妖ではないか…。」

「誰が熊じゃっ!!儂は一朝一夕を投げ捨てて吉備の国を護る国津神の吉備津彦なるぞっ!この無礼者っ!!!」

 その後に声が続いた。

「誰が童じゃっ!!私は…私は…えっと。弥生の夫であり、吉備の民。岳津彦なるぞっ!この不埒者っっ!!!」

 二人の叫び声に何の興味も示さず、天鈿女の方だけを見つめながら静かに笑っていた。

 確かにそう思われても仕方がない話なのだが、天孫本社から各集落へ伝令を発信させて旅立っていた。

 もし、この一行の状況を知らないという事は、天孫からの伝令に目を通していないという事になり、それはそれで問題有りという事になる。それよりも…。

 この建物の中へと入った時から思っていたのだが、この部屋に入ったと同時にそれは確信に迫るものとなった。伝令無視というちっぽけな事よりも、もっともっと深い秘密という闇を高早瀬は内に潜ませている。それを暴露させると…。

 天鈿女は表情をにやりとさせて、凛とした声を発した。

「私が…、物の怪…?ホント、ここら辺の民は私の事を物の怪扱いするのがお好きなようね…。まあ、いいわ。それよりも、この建物の中、何か臭うわね…。」

 その言葉に高早瀬は一瞬飛び上がりそうに身体を揺らしたのだったが、表情にはまだ余裕があった。

「ははははっ。この宮室に悪しき匂いなどある筈なかろう。あ、もしかすると炊いている香の薫りが天鈿女様はお嫌いと申しておるのか?」

 言っているそばから額に汗が噴き出してきている事から何かを隠している事は明白である。

 この状況…。天鈿女は刹那、瞳を閉じて思考を巡らし始めた。

 

 主演、女優天鈿女。演劇題『女の勘をなめんじゃないわよっ!』

 

 大和朝廷に二枚舌を使いながら多額の財がもたらされている中で、謎の悪の組織から闇献金を受け取り、更に私腹を肥やす服部一族長、高早瀬の悪しき企てを、国勢調査官、天鈿女は打破すべく、様々な憶測を立て、言葉巧みに高早瀬をじわじわと追い詰めていく。次々に新事実が発覚する中で、その謎の組織の実態が暴かれようとした瞬間、高早瀬は泣き腫らしながら、一族の存亡を掛けてこれ以上の言及は勘弁してくれと懇願する。

 天鈿女は何故かそれを許してしまうのだった。その代わり、朝廷の厳しい取り締まりにより、民の間に必ず出回らない制度を設けている服部織を一枚だけ要求する。その羽織にはどんな病をも治癒させる効能があり、遠くの地で病篤く床に臥せる愛すべきあいつの為、どんな危険も顧みず、勇敢に一人の漢を愛し抜きながら今を生きる天鈿女が繰り広げる甘く切ない愛の物語…。


『いい…。いいわこれっ!!!ずっとずっと未来の言葉借りると必ず全米が泣くわっ!!!いや、この天鈿女様が必ず泣かしてみせるっ!!さあ、いくわよおおおおおおおおおっ!!』

 

 何に物差しを置いているのかは不明なのだが、何故か頗る気合の入る天鈿女、追撃演劇の始まり始まり…。

 強い光を宿しながらそっと眼を開けて、一段高い所で相も変わらずふんぞり返りながら座る高早瀬を、見上げる形でうっとりとした表情を見せた。

「高早瀬、香の薫りは素敵だわ。貴方、意外といい趣味してるのね。でもね、私が言いたい事はそうじゃないの…。」

 まるで幼気な少女のように放漫な脚をハの形に座らせながら、特に何も考えていないように明後日の方角へと視線を向けた。

「貴方、私が世から何の女神だと謳われているか、ご存じかしら…?」

 その言葉に高早瀬は、いきなり意気揚々とさせた勢いで嬉しそうな声を上げた。

「それは、もうっ!!女神、天鈿女命様は芸能の神として世に謳われておるのは最早定説でございますよっ!!演劇、天岩戸なんて何回見に行かせて頂いた事かっ!!実は私、貴女を贔屓しているのですよっ!!」

「そう…、それなら話は早いわね…。」

 高早瀬の熱を帯びた声に水を被せるように天鈿女は冷たい声を上げた。

 そして、瞬時に睨みつける視線に変え、力強い怒鳴り声の礫を投げつけた。

「なら何で私の身体を戒め続けてるのよっ!!そう思ってるなら早く解きなさいっ!!縄の跡、傷になったらどう責任取ってくれるのよっ!!!ええっ!!?」

「えええええええええええええっっっ!!!!?」

 天鈿女のいきなりの変貌に高早瀬は驚愕隠せない様子で、思わずその場へ立ち上がり、その切れ長の目をまん丸にさせながら絶句させていた。

 特に高早瀬から何の指示もなかったのだが、遣いの者がそっと天鈿女の側に寄ってくると、縄を短刀で切り裂いた。しかしながら後の二人の縄は解かず、どこかへと去っていった。これはある意味、部下に対していい教育を施していると言えよう。

 その場へと立ち上がった天鈿女の姿を呆然と見つめる二人の漢に、微笑みながら片目を瞑る合図を施し、戒められていた跡を庇うように少しだけ擦ると、縄によって傷つけられた青痣がみるみる内に消え失せていった。

 首、肩、腰、各種部位を解すように柔軟体操を施し終えたや否や、天鈿女はまるでこの世の物とは思えない満面の笑みを高早瀬に見せつけて、ゆっくりと迫るように足を進ませながら、春風のように柔らかな口調を浮かばせた。

「民は私の事を美しい女神と仰ぎ奉ってるわ。当たり前じゃない、芸能を司る大元なんだもの。でもね、少しばかり違った方向性でも私の意識は存在してるのよ…。」

「えっ?と、申しますと…?」

 徐々に気分を高揚とさせて、それと共に一歩、又一歩と高早瀬の居る場所へと足を運ばせている。

 辺り一面は水を打った後のような静寂に濡れている中、それを一瞬にして蒸発させる夏風のような言葉を発した。

「美しく気高き物、それを私は好むの…。芸能は芸術って定義を、煌びやかな物を好む貴方なら理解して下さるわよ…ねぇ?」

「は…はい、分かるような、分からないような…。」

 曖昧な言葉に天鈿女は足を止めてきつく睨み上げた。

「分かるわよねっっっ!!?」

「はいいい!!分かりますぅぅぅっ!!」

 半ば強引に合意させたのを境に、普通の歩く速度へと変えて、高早瀬との距離が中間地点を少し過ぎた所で、天鈿女は足を止めた。そして、身体全体を使い、辺り一面をまるで舐め回すかのように窺う仕草を見せると、大げさに驚くような声を上げた。

「まあっ!貴方が宮室と評しても可笑しくない程のお召し物だ事…。まるで、異国を訪れた気分になるわ…。このような装飾品の数々、普通の市では手に入らないのって…、私が気づかない訳ないわよねぇ…。」

 天鈿女は横目でじろりと睨むと、高早瀬はまるで尻尾を掴まれた蛇のように、蒼白した面持ちへとみるみる内に変わっていった。顎から滴り落ちる程の汗を零し、多分全身汗まみれになっているのだろう身体を硬直させていた。

 国税調査役、天鈿女の更に鋭い推理が高早瀬を激しく追撃する。

「今まで貴方の家宅内にある物を見てきたけど、全てはお隣のお国から輸入された物ばかり…。多分この建物自体が大和の物ではないと私は推測してるわ…。」

 そう呟くように発した言葉を合図に、今度は勢いよく足を迫らせた。

 天鈿女との距離が近づいてくる度、硬直させていた筈の高早瀬の身体に震えが生じ始めた。

 迫る足を止めず、次は何かを説明するかのように昏々と、そして滔々と天鈿女は言葉を羅列させ始めた。

「貴方の服部一族は、伝説の金鵄羽の織物を製造する事に成功させ、それが朝廷の着目により、代々多額の財がもたらされ続けているという話は有名よね…。まあ、それはそれで素晴らしい話だと思うのよ…。」

 言葉が終わる前に遂には高早瀬の前へとたどり着いた。天鈿女と同じ位置で視線がぶつかった事から、高早瀬の身長はそう高くない事が浮き彫りとなった。

ふと、何故か思わずがっかりした心情が憑依した自分に驚愕したのだったが、もう一度身を律して高早瀬の視線を捉えると、天鈿女は何かを思うかのようにゆっくりと瞳を閉じた。

 この部屋に存在する全ての物が、その姿に息を呑みながら意識を集中させている。

静寂と闇。青と冷。世に陰と評されている表現も、美しく彩らせてしまうこの女神の表現方法を、誰が後世に残してくれようか。

 ゆっくりと冷たい視線を浮かべて、全てを黄昏に暮れなずませる秋風のような言葉を、過ぎゆく空気の動きに沿わせた。

「でもね…、ここにある物全て、国宝級の物ばかり。少し時代は違うけど、正倉院に収められても不思議じゃないくらいの…。幾ら莫大な財を所有する服部一族と言えども、どう考えても手に入らない代物ばかりだわ…。」

 身体を震わせながら後ずさり始めた高早瀬の顔には既に生気はなかった。

 まるで全てを搾取するかのように距離を縮ませてくるこの女神の姿を、この者の眼には多分、黄泉醜女類のように映っているのだろう。しかし、只の民、高早瀬には簪を葡萄の木や、筍に変える力もなく、天鈿女を躊躇させる術もなかった。

 追われるに追われて、遂には冷たい壁の感触が背中に広がった。不敵な笑みを浮かべた天鈿女がすぐ側まで迫っているのを目の当たりにした。

「ひいいいっっっ!!!」

 視線を引かせ、まるで背中をめり込ますように壁へ這いつくばらせながら、どこから出しているのか分からないような悲鳴を上げた。

 一方、その高早瀬から繰り出されている恰好が余りにも可笑しすぎて、真面目な表情を浮かべられず、笑いを堪えながら、もじもじと足を進ませていた天鈿女は、台本上、緊迫している筈の描写を、この訳の分からない反応により半ば台無しにされた事に密かな憤りを感じていた。

 そのおかしな動きを止める為に、お互いの息遣いが徐に感じられるくらいの距離にまで近づいた。

 そして、腹から込み上げる笑いをけん制する為、はたまた辺りの雰囲気を緊迫させる為に、高早瀬の右頭の横辺りの壁に力強く張り手を飛ばした。

『バンッッ!!』と激しい音が上がると、全てが凍てついた感覚が空間へと思惑通り広がっていった。

 高早瀬は氷像のようにある意味美しく固まり、顎先からまるで溶けているかのような滴が零れ落ちていた。それをもう一度冷却して差し上げるかのように、天鈿女は冷徹な視線で、一瞬にして全てが凍てつく北風のような言葉を、高早瀬の耳元ではっきりと吐き捨てた。

「はっきり言ってアンタ…、どこかは敢えて伏せとくけど、邪な施し受けて、服部織流してるでしょ…?その為にあそこまでの規模の金鵄養殖技術を見出したんじゃあ…ないの…?一体全体どうなってるのよっっ!!ええっっっ!!?」

 高早瀬の脚が諤々と激しく震え始め、真面に起っていられなくなったのか、まるで木偶のようにその場へと崩れ落ちた。それはまるで潰れた蛙を彷彿させるほどの醜い姿で、今度は地面へとその身を這いつくばらせていた。

 ここまで来ると物語は終盤に差し掛かった事を意味する。

 天鈿女はこの骸のようになった姿を、まるで踏み付けるかの如く容赦ない言葉を発し始めた。

「さっきは敢えて伏せたけど、今度は敢えて言っちゃおっかな…。アンタが闇献金を受けてる大元の名称を…。」

 その言葉に高早瀬は、はっと上半身を起こし、特にどこを見ている訳ではないが、ただ怯えつくす視線を浮かべさせては、相変わらず滝のような汗を全身から流していた。

「そのぉ、お・お・も・と・の・名は…、やま…」

「やめてくれええええええええええええええええええええっっっ!!!」

 唄うように暴露する天鈿女の言葉を否応なく叫び声で掻き消した。

高早瀬は跪き、頭を抱えながら激しく肩で呼吸させていて、多分死神の刃をいきなり首元に突き付けられた刻、命が惜しい人の子はこのような態度になるのだろう。

それはとても無様で、浅はかで、誇り高き大和の民とは到底思えない程…とても美しい姿ではなかった。

 汗と涙と涎を懸命に噴出させながら、まるで命乞うように、何度も何度も額を地面に擦りつけながら高早瀬は懇願した。

「民、高早瀬。女神、天鈿女様に申し上げ奉り候っ!!代々受け継がれてきた服部一族の歴史をここで無にする訳に行きませぬ故、この事は…、この事だけは…。」

 詰まる高早瀬の言葉の続きなど高が知れた事であった。

 しかしながらここまで来ると劇的描写もふんだんに盛り込まなければ、華々しい終焉を迎える事ができないと思った天鈿女は、無様にも深く跪くこの情けない男を、両肘を抱え込みながら見下した視線のまま、気怠そうに言った。

「貴方の一族の歴史なんてどうだっていいわ…。それよりもこの事は…何?アンタ、はっきり言いなさいっっっ!!!」

「ひええええええええっっっ!!!」

 そんなやり取りが二人の間で行われている中、まるで存在を忘れ去られたように蚊帳の外へと放り出されていた漢二人は、とりあえずその先で繰り広げられている展開を、ただただ見尽くすしか術はなかった。

「あめたんが…悪い顔になっている…。」

 岳が思わず呟いてしまう程、天鈿女の演技は迫真で、演技指導を賜った岳であってもそれが演技なのかどうなのかさえも分からななかった。

 殺伐とした雰囲気を肌で感じながら淡々と眺めていると、ふと身体が軽くなった。突然の感覚に訝しく思い、腕を動かしてみるといつの間にか縄が解かれていた。

 吉備津彦と岳は徐に顔を見合わせて、何が起こったのか確かめるべく、後方へ視線を向けると、そこには切れ長の目に、すらりと長い鼻と顎。どちらか言うと容姿端麗で紫色に染め上げられた紐で結われた美豆良が印象的な漢の姿が同じ目線にあった。

 漢は切れ長の眼を更に細めながら微笑むと、さも我々を知る親しき間柄のように右手を上げた。

「よっ!お前らも大変だなぁ…。」

『えっ?この人誰だ?』

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