第25話 第三章 服部(はとりべ)一族の秘密
先程この大神に戒めを解いて頂いたが、やはり蚊帳の外にほうり出されたままの吉備国組二人は、いつしか何だか居た堪れなくなり、舞台側で彼らのやり取りを眺め見つめていた。
天鈿女が勝手にやらかし始めた演劇の一興だと、今となれば冷静に思える岳であったが、この謎の大神の登場により事態は急変する事請け合い。
演劇という概念などない吉備津彦でさえ、このやり取りを食い入るように見つめていた。多分、天鈿女でさえ驚愕するこの大神の正体を思い出すべく、なのだろうが…。
それはさて置き、天鈿女演劇はまさかの展開に翻弄されながらも、しっかりと話は進んでいた。
高早瀬からの叫び声に対し、天鈿女から『私、しーらないとっ!』という言葉が聞こえてきそうな雰囲気を醸し出されている中、その言葉を聞いてか聞かずか、大神は胸元から掌くらいの紙で包装されていると思われる小筒を取りだした。
それをよく確認してみると、岳には知識外の言葉であったのであるが、それには所謂、『わかば』と記載されていて、その中から更に一本の細長い筒を取り出した。
それを口に咥えると、次に緑色のよく分からない物体を徐に取り出すと、その先を親指で擦った。すると『しゅぼっ』と音が起つと同時に、いきなり火が灯り始め、岳は驚愕し、絶句した。
火を起こす事など、木と木を擦り合わす、特定の石を叩き合せるという、それに慣れている者でさえ一刻くらいかかってしまう程の一大行事を、一瞬にして着火させてしまうこの大神の力は、やはり超越したものだと思わざるを得なかった。
その火を咥えた筒の先へとゆっくりと運び、左手で片方を覆いながら火を移すと、筒の先から赤い光が点灯するように灯ると同時に今まで嗅いだ事のない何とも言い難い薫りの煙がもくもくと立ち込め始めた。
凛と背筋を伸ばしながら、それを旨そうな表情で一気に吸うと、『ジジジッ』と密かな音が鳴り、ゆっくりと縮んでいく。
親指と人差し指でその筒を挟み、口から離すと、溜息を吐くような息遣いを浮かべると同時に、口から大量の煙が吐かれていた。
『なんて面妖なっ』と岳は思ったが、神がもたらしている描写が面妖と感じるのは当たり前ではないかと思い返し、再び舞台へと視線を向けた。
吸っては吐く、吐いては吸う。そんな行為を繰り返し、その筒はいつしか小さな物となっていた。
満足そうに最後を吸い終えると、火がついたままの筒をその場へ落とした。そして、捻じるように足でその火を消した。その足元に着目してみると、素足のまま火を消していて、『それは熱くないのか?』という疑問が湧き出なくもないが、どうせ神がやらかしている事だから仕方がないと半ば強引に納得する自分がいた。
事を終えたこの大神は、まるで何もなかったかのように明後日の方向へと視線を這わせながら、大地を揺るがすような深い声で言葉を発し始めた。
「まあ、それはよいとしてだな…。我が存在を知らぬ者が天孫に現れ始めたとは、良きか悪しきか…。しかしながら、それだけ大規模な企業へと発展したという意味を指す。その事も会長様にもご報告せねばならぬなあ…、それよりも…。」
視線の先を切るようにきつく目を瞑ると、次の瞬間、大神の眼から薄く赤い光が放たれ始めた。そして全身を覆うような視線を高早瀬に向けた。
「話ははっきりと聞いてしまったぞ…。と言うよりもだな、お前の企てはとうの昔から俺の耳に届いていた。別に服部織が一枚や二枚どこかへ流出してしまうような事で俺はどう思う訳ではない性分なのだがな…。」
大神はもう一度、紙の筒を取り出してその先に火を着けた。
「金鵄を養殖し、国認定の服部織を大量製造して大胆不敵にもどこかへと横流しては私腹を肥やしているという事が大和にばれないと思ったお前の頭の中は大丈夫なのか?どこかおかしいぞ、お前…。やはり民御霊の審査も、もっと戒めなければならないな…。」
最後はどこか呟くような口調になり、天を仰ぎながら悠長に細く煙を吐いていた。
先程の勢いはどこへやら…。高早瀬は頭がおかしいという不名誉な称号を与えられても、口を噤ませながら身を硬くしていた。
やはりこの者が誰なのかは未だ分からずだったのだが、これまで感じた事のない程の神々しい感覚が、冷静になればなるほどひしひしと肌に伝わってきたのだった。
それに、先ほどこの者が見せた赤光の瞳…。
まるで何かを思い出したかのように、高早瀬は息を呑み、はっと目を見開かせた。
『赤き光を放ちて芦原中国へ降臨せしめた大神列伝』や『東征を果たした赤光眼の狼物語』など、服部一族の中で古くから語り継がれている物語の主人公はいつも、赤い光を放たせる者である事を思い出した。
もしかして…この者の正体は…。
自身の身体が激しく震えている事に気がついた高早瀬は、どうしようもなく今すぐその場へとひれ伏せる術しか思い浮かばなかった。
再び地面へと這わせ、額を何度も擦りつける姿の側に、不敵な笑みを零しながら大神は近づいてきた。
「ふふふふふ、天津神信仰の深い服部一族が、俺達が放つ赤光に驚愕しない訳もない、か…。」
その言葉をよそに、高早瀬から震わしながらも地を這うような言葉が上がった。
「民、高早瀬。大神様へ申し上げ奉り候。知らずとは言えども、無礼極まる数々の言動。謝罪の言葉など御座いませぬ…。我が身がどのように処されても構いませぬが、もし死を賜るのなら、その前に大神様に一つだけ、お頼み申し上げ奉る…。」
「んっ…?何だ?」
高早瀬はどこか覚悟を決めたように、ひれ伏せた身体をより固くさせた。
「大神様の御神名を…、賜りたく候…。」
その言葉に、この大神からいきなり爆発するような笑い声が上がった。
「あーっはっはっはっはっ!!!何だ、お前っっっ!!結局俺の事、誰だか分かってないのかよっ!!!こりゃいいやっ!!あーっはっはっはっはっ!!!」
天に届くような、と言うよりも必ず届いているだろう。
腹を抱えながら大笑いを上げているこのような大神の姿を天鈿女は滑稽な表情で窺い見ていた。
高天原内で囁かれているこの大神の噂はと言うと、『後ろに立つと瞬時に殺められるらしい』とか、『視線が合えばたちまち虜にされてしまうらしい』とかとか、「熊百頭を瞬時に吹き飛ばした事があるらしい」とかとかとか…。
色んな意味、危険な匂いを漂わせる大神として謳われているのであった。
しかしながら、このような気さくに感じる態度から、その噂は全て偽りであると感じざるを得ない。翌々考えてみると、確かに噂通りなら、この大神の妻である心優しく美しき女神、木花咲耶姫の純真な笑顔が偽りという事になってしまう訳で、そのような事などあってはならぬ事だと天鈿女は思った。
火の着いた筒を胸一杯に吸い終えると、もくもくと煙を立たせながら筒を足元へ捨てた。そして後頭部をガシガシと掻かせながら、何故か怠そうに、しかし、どこか照れくさそうな口調で言葉を発した。
「別に、名乗る程でもないのだが…………。」
何を想い噛みしめているのか、何故か一度言葉を止めて、視線を天に仰がせていた。
「天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸だ…。」
「えっ!?ええええええっ!?まさかまさか…ニニギ様だなんてっ!!つか、何故にフルネームっっ!?」
高天原から芦原中国へと初めて降臨したと語られる伝説の神、ニニギ命の御姿に驚愕するのは高早瀬だけではなかった。
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