第22話 第三章 服部(はとりべ)一族の秘密
漸く眼も慣れてきて、その実態が明らかになると同時に、皆の感極まる感情も正常化されていく。ふと、建物中から「こっこっこ…」という鳴き声が重複して聞こえてきて、天鈿女ははっと目を見開かせると、光の奥へと吸い込まれるように消えていった。そして…。
「いっぱいおるううううううううううううううっっっ!!!!」
女神の悲痛にも似た叫び声が光の中から聞こえてくると、男二人は何事に有らんと、まるで窮地に追い込まれた姫を助ける勇者のように、颯爽と、天鈿女の側へ駆けつけようとした。
しかしこの刻、二人の抱く感情は全く異なるものであった。
『吉備津彦の場合』
上司の事など本当はどうでもよい…。我が持論が正しいものなのならば、もしかして、もしかしたらば…、もしかするっ!!あの女は腰を抜かしてその場へとしゃがみこんでいる事であろう…。冷酷非道の上司に、一泡吹かせる絶好の機会っ!例えその向こう側に何もなくとも、我は後悔しないだろう…。この期を逃してはならぬぞ、吉備津彦よっ!!!
『岳津彦の場合』
まさか、又もや邪な神が現れたというのか…?もう、あの感覚はいやじゃ…。吉備津彦が飛び込んだ後に続こうかな…。あめたんには悪いが、そうしよう…。絶対にそうしようっ!!うんうんっ!!
そうこうしている内に建物の側へとたどり着き、二人顔を見合わせて一つだけ頷くと、岳津彦が布を剥ぎ、吉備津彦が徐に光の中へと飛び込んでいった刹那、「痛あああああっっ!!!」と唐突に悲痛の声が上がった。
「どうしたのじゃっ!?吉備津彦よっっ!!!」
戦々恐々と中を覗き込むと、金色の空間の中にしゃがみ込む天鈿女の背姿と、そのもう少し先には、頭を抱え蹲る吉備津彦の背姿があった。
その金色の靄が立ち込めるその先には、横長く伸びる箱が整然と並んでいて、「こっこっこ」や「ぴーひょろろ」という鳴き声が所狭しと鳴り響いていた。
天鈿女の姿を横目に、恐る恐る吉備津彦の側へと近寄っていった。そしてふと、箱の中を見てみると、鋭い目つきと爪が誇らしく、神々しい金色に包まれた鳥と目線が合った。思わず辺り一面を見渡してみると、何列もに陳列している箱の中に何十羽…否、何百羽も…。
「これが…あめたんが言っていた伝説の鳥なのだろうか…。しかし、一羽ではなかったのか…?」
そう思いながら、もう一度箱に目をやると、金色に輝く卵が転がっている事に気がついた。
『やはり、金の鳥からは金の卵が産み落とされるのか…。これが本当の金玉だな。よし、我ながら上手い事を言った。珍しいので一つだけ拝借する事にしようか。一つくらい…大丈夫であろう、うんうん…。』
そうしている所に、気がつけば先ほどまで頭を抱えて蹲っていた筈の吉備津彦が真横に立っていた。その表情は何故か満面の笑みを浮かべている。拳を天高く握りしめ、そしてこう叫んだ。
「我、勝てりっっっ!!!!!」
何に勝ったのかは岳には分からないのだが、どうやら嬉しいらしい。
その勝ち誇る表情はまるで、この世を掌握した覇者のような…、もしくは、岳的に言うと、釣った魚から大量の海老が出てきて二度嬉しい刻のような表情であった。結局、総括してみるとよく分からないのであったが…。
「ふふふっ…。貴方の想像には…、負けたわ…。」
わらわらと喜び騒いでいる男達の後ろで、そう呟く天鈿女の姿があった。そんな影に気がつかず狂喜乱舞している男馬鹿二人。
いつもなら管理職として怒鳴り散らす所ではあるが、今回に限ってはそんな気も起らず、敗戦の将の如き面持ちで、その場を去る事しかできなかった。
一つ、また一つと引き摺るように来た路を戻り、布を剥ぐと、天鈿女の眼に異様な光景が飛び込んできた。
「きえええええええええええええええっっっつ!!!!!」
何事も忘却していた矢先、後方から巻き起こった天鈿女の悲鳴に男二人は我に返った。それと同時に脳内へと様々な思考が生じ、不穏な空気を感じ取った。そして、本能的に身体を走らせていた。
しかしこの時、やはりこの二人が抱く想いは別のものであった。もう一度この比喩を使わせて頂く事にしよう。
『吉備津彦の場合』
あれは、天鈿女様の悲鳴…?もしや、再び邪な神が現れたのでは?勝利を栄光で飾るには又とない機会ではないかっ!今こそ武功を上げる刻っ!臆する事なく突き進め、吉備津彦よっ!!!
『岳津彦の場合』
今度こそ間違いないっ!この感覚から間違いなく邪な神だっ!!あめたんには申し訳ないが、やはり吉備津彦の後に続こう…もう、呪われるなんて、まっぴらだっ!!!!
互いに想いを馳せながら帳の外へと飛び出すと、そこには天鈿女を取り囲む武装をした群集の姿があった。
「アンタ達何なのよっっ!!!」
その問いに答えるでもなく、こちらへと睨みつける視線が痛い。岳も吉備津彦も一体何が起こっているのか見当もつかなかった。
そんな中、群集から美しい群青に染まる衣を纏う男が歩み出てくると、天鈿女の前に立ち塞がった。
その男から発せられる気高き雰囲気に、流石の女神も慄いては呆然と立ち尽くした。男は徐に肘や膝についた埃を払う仕草を見せ、そのまま片膝をつくと、深々と頭を垂れた。これは最上級の儀礼を意味する。
「これはこれは、どなたと存じ上げたと思いきや、天鈿女命様でございましたか。お初にお目に掛かりまする、我はこの服部の長、高早瀬にございます。以後、お見知りおきを…。」
深々と頭を垂れる高早瀬と名乗る男に、天鈿女は満更でもない様子で、女神らしい態度をとった。
「苦しゅうないぞ、高早瀬よ。しかしこの仰々しい展開は如何したというのじゃ…?」
その言葉に高早瀬はにやりとほくそ笑み、先ほどまでの畏まった態度を徐に崩し立ち上がると、まるでこの女神を嘲笑うかのように見下した。
「ふふふふっ。財団法神、天孫も地に落ちたという事でございましょうか…。五課係長ともあろうお方が、まさかの盗人稼業に奔られるとは…。ふふふふっ…。」
「何言ってんの、アンタっ!!私達は今、この地に来たばかりなのに、なんでそんな疑いをかけられなくちゃならないのよっ!!!!」
その天鈿女の言葉を聞くか聞かずか、若々しく感じる表情を優雅に浮かべながら、まるで憐れむような眼で返してきた。
「この期に及んで、しらばっくれるなど笑止千万っ!!そこの従者が手にしている物は一体何でございましょうか…?」
長が指す手の方向へと視線を向けると、立ちすくむ岳津彦の姿があった。そして、その右手には確かに金鵄の卵が握られていた。
「アンタ、何やってんのよおおおおおおっっっ!!!!」
「者どもっっつ!!!この者達をひっ捕らえよっっっ!!!!」
若々しくも厳しい表情の長が号令をかけるや否や、波打つように群集が迫り寄っては視界を包んでいった。それはまるで、白波の如く…。
危機的状況の中、天鈿女は活路を見出そうと拳を硬く握りしめ、声高に叫んだ。
「助さんっ!格さんっ!やっておしまいなさいっっっ!!!」
その言葉に過敏にも反応したのは岳の方だった。
「えっ!?何だこれはっ!!と、言うより、助さん、格さんとは一体何の話なのじゃっ!えええええええっっっ!!!!」
「そんな事はどうだっていいのっ!!とりあえず短刀を剥ぎなさいっ!!!吉備津彦も何とか言って!!」
そんな慌てふためく二人を尻目に、冷静な面持ちで吉備津彦は腕を組ませながら神妙に答えた。
「いやいやいや…。民を相手には…戦えんからなぁ…。」
「ちょっ!!!!!」
それに続く天鈿女の声は、群集の白波に揉み消されていった。
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