溝口水晶とネット小説「星のランプ」
高層ビルの向こう側が一面ほんのりと朱色に染まっている。
11月後半の夕暮れだというのに肌に触れる風はどこか暖かい。
屋上にいた溝口水晶は缶コーヒーを飲み干すと、机に戻って先週取材した福島県F町の報告資料を読み返していた。
今日は久々の公休なのだが出社してパソコンを立ち上げた。確かに色々あってか、部屋にいてもまるで休まる気がしないのだ。
――残念ながら僕の考えは葉山デスクにあっけなく打破された。
当時の警察が行ったDNA検査では、牧原茉莉亜には監禁中に性的暴行を受けた形跡は見当たらず、また、心的外傷後ストレス障害等も確認出来なかったという。
ようは森永弥里との間には何もなかったのだ。
後出しジャンケンで負けた気分だった。
……だとしたら、主任司祭が被害届を取り下げてまで、自分の孫である牧原茉莉亜を隠した理由とは何だったのか?
初老の男が口にした、もう一つの『大罪』という言葉が示すものとは――。
ところでデスクは情報を持ち出せないのがネックだと話す。
ただ思うに彼女はそうではなさそうだ。
真相の究明がPriorityのトップを飾る彼女にとって、多少の流出やコンプラ如きは、そう問題ではないのかもしれない。
……軽蔑しているのか、羨ましいのか、恐らく僕は後者だろう。
あれから更に取材を重ねていた。
実際に自殺のパンデミックが起きているS女学園にも何度か足を運んだ。
厳しい取材規制の中、怪訝な顔を見せる女子高生に声を掛けるのは困難な作業だったが、有益と思える情報も得ることが出来た。
後に自殺した二人に絞って取材したのが奏功したのだ。そして一部だが色々と分かってきたことがある。
――果子さんと歩いた夜、学園の屋上から身を投げた少女はクラスの中心人物で、名前を「今井
何とそう、「ふーちゃん」なのである。
……これまた牧原茉莉亜と同じで偶然なのだろうか?
ただ、聞くところ彼女らは学園では普通に下の名前で呼ばれて、「まーちゃん」とも、「ふーちゃん」とも言われていなかったようだ。
さらにデスクの情報だと、「牧原茉莉亜」と「今井文美」が初めて出会ったのは彼女らが中3の頃で、「牧原茉莉亜」が烏丸少将に誘拐監禁された小5の時には、それぞれ二人は、福島と東京に住んでいたというから……つまり、烏丸少将が「まーちゃん、ふーちゃん」から指令を受けたとされる時期、二人には全く接点が無く、今のところ彼女らでは「まーちゃん、ふーちゃん」が成立しないのである。
取材中、始めは少女たちの殆どが口を
それでも謝礼という名のお金で、それを開くのに手間は思うほど掛らなかったし、寧ろ彼女らは積極的にも見えた。
そして、僕にはやり方があった。
――まずは話を聞いてから謝礼を渡す。一つの情報ごとに小分けして、その都度、渡していく。さらに秘密にして貰う為に、もう一度渡す。
いずれの金額も正直、たいしたものではない。
ただ、彼女らは多少の罪悪感の積み重ねと、秘密というベールに覆われることに
また、僕との関係性に淡い期待を持たすことで、自らの口を暫くは裁縫してくれる。
そうすることで噂が立たずにある程度、集中して取材できるのだ。要するに、僕は自身の容姿を武器としたのである。
葉山デスクに教わったことだった。
――「いい、芸術家はその感性を、運動家は肉体を、漫才師は話術を、アイドルや俳優は自分の容姿を、そう、すべて余すことなく上手に欲しものに錬金したものだけが生き残ってきた。当たり前のことよね。だったら君も使うべきじゃない。真実を暴くことが記者にとって何よりの正義なのだから。私だって言いたくないけど色々使ってきた……」
遠い目をした彼女の使ってきたものを想像せずにはいられなかった。
自殺した今井文美は、中高一貫校のこの学園に於いて2年生ながらも長年スクールカーストの頂点のような存在だったらしい。
背が高くスポーツ万能の彼女は、さながら男役のトップスターの如く扱われていたという。
同じクラスの牧原茉莉亜が渋谷の雑居ビルから飛び降りたのに続いて、そんな人気者の今井文美が学園の屋上から身を投じたことは大きなショックとして受け止められていた。
……ただ、少女らが口を揃えるには、どうも不思議ではなかったようだ。
次に僕はプライバシーの観点から慎重に牧原茉莉亜と「烏丸少将連続誘拐殺人事件」や「八王子誘拐監禁事件」についても聞いてみた。
驚いたことに少女たちは何も知らなかった。
殆どが無知に近く、事件の名前さえも聞いたことがないようだ。
ある少女は、ネットゲームかと聞き返してきたほどである。彼女が誘拐監禁されたことは勿論、福島県に居たことすら知りはしない。
全てを隠すことが困難な時代において、それは驚愕に値した。
……恐らく何かが背後に想像出来る。
また反対に、この訳あり物件みたいな、それらを見事に暴いていくデスクには流石の一言であった。
さらに取材をこなすうちに、君野二葉という女子高生が孤高の存在だったことは十分に分かった。
また、女子校独特の閉鎖性の類も、少女たちとの会話の中から垣間見ることが出来た。
その証拠に、君野二葉への憧れの感情が昇華して好意にかわった少女も確かに何人かいた。
涙ぐみながら語る仕草は嘘とは思えなかったが、その数秒後には口角を上げてケラケラ笑う姿に憤りさえ感じることもあった。
但しだ。崇拝していたとされる双子の姉妹と違って、同学年である牧原茉莉亜と今井文美は違っていたようだ。
要するに関係がなかったのだ。
二人とも君野二葉とはクラスも別であったし、会話している姿すら目にしたことがないらしい。
それなのに、誰もが合わせたように二人は後追い自殺だという。明らかに、そこには矛盾があるというのに。
……何だろう、弱々しくも使命感や一体感のようなものが、クラスの少女らには見え隠れしているのだ。
君野二葉はピラミッドの頂点ではなく、ケースの向こうに飾られた宝飾品みたいだったと少女の一人が言った。
皆が皆、知ってはいるが、よくは知らないと言うのが彼女たちの総意に思えた。
ある一人を除いては――。
ああ、やはりまただ。取材すればするほどその影が色濃くなっている。そこには必ずいるのだ。
それは波紋を立てて飛び込んできて、いつまでも漂っているような印象でさえあった。
そんな中、一冊のネット小説が話題になっていると少女の一人に聞かされた。
『星のランプ』という名の小説である。
昨年末に発表されたものらしく、――「何故、君たちの間で話題なの?」そう聞くと、大人しそうな少女は、ほんのり頬を染めて「主人公と二葉さんがそっくりなの」と言った。他の少女も概ね同じようなことを話していた。
会社に戻る電車の中で、スマホを取り出し検索した。
確かに少女らから教えてもらった学園の裏サイトでは、ちょっとした騒ぎとなっている。僕から見ても有ること無いことが散乱しているようだった。また、情報操作みたいなものも伺える。
――「正しい情報だけを集めても辿り着けない真実がある。大事なのは地球に絶えず降り注ぐものの中から、宇宙線のように高いエネルギーを持ったものを、ちゃんと君が手に出来るかどうかなの」葉山デスクは言った。
僕は情報の賞味期間の短さをニュートリノに例え、手にする難しさも重ねた彼女独自のセンスに言葉を失ったのを憶えている。
そう、賞味期間は短い。早速、購読した。内容は不思議なものだった。
「みみんの国」に住む『二見の牙』と名付けられた人物?(そもそも人間とも何とも説明は無い)が、恐らく七年に一度訪れる「暗能の霧」と呼ばれる時期に、崖と崖の間をジャンプするという物語。
登場人物はたったの3人。その彼女彼(?)と、それをサポートする『
一見、背景や展開、名前の付け方、世界観などから寓話のように思えるが、人物の一挙手一投足の詳細については驚くべき客観的に記載されている。
作者の主観が全くと言ってよいほど入っていないのだ。
また、何より文体が魅力的だった。客観視が強いのに、それはまるで芳醇な純文学を読んでいるみたいで、見た目にも不思議な美しさがある。
さらに何の為に、ジャンプするのか、3人(?)の関係性、その結果など重要と思える部分の記述が一切無い。
ただ何だろう。題名の『星のランプ』が示す、大切なものを得るとか、違う世界に行くとか、生まれ変わるとか、確かに暗示めいたものは文中のそこらかしこに存在する。
とても不思議な読後感であった。
さらに
それは、その行為をネットでライブ配信するといった異様なものであった。そして、意識不明のまま植物状態が続いているという。
ペンネーム『みみん』――本名・久保あきら。昭和59年生まれの34歳。29歳の時、大手出版社が主催する新人賞で初めて書いた『ブリキ姉妹が見る夢のようなもの』が大賞を受賞して、地方の旅行会社を辞めて上京し小説家となった。
立て続けに発表した『世界とリアルとの距離の
影響を受けた作家に、谷崎潤一郎や三島由紀夫を挙げているだけあって、その美しい文体は、清流の如くしなやかで読み易い。
ただ、内容については、憎悪や皮肉や欲望、性、フェチなどが背後に、のっそりと身を潜めている。
少し昔の匂いのする作家だった。
そして、『星のランプ』を書き上げた後、自分の部屋で首を吊るのをライブ配信したのである。
動機は分かっていない。ただ、裏サイトでは君野二葉の呪いなどが、実しやかに囁かれていた。
始めは、この作品をS女の少女たちが模倣したのではないかと考えた。
でも、恐らくそれは全くの的外れだろう。
そのことは読めば直ぐにでも分かる。その証拠に、久保あきらだけは自殺の際に、他と違って青いジャケットを羽織っていなかったのだ。
それでも君野二葉の飛び降り自殺に始まって、双子の後追い自殺、続いて牧原茉莉亜、さらに今井文美と、計五人もの自殺者が出ている事実がそこにはある。
そして、あの2つの誘拐監禁事件――そう、
こう改めて資料を作っていると、僕はこれら全てが一人の少女を追ってのものだとは、とても思えない。
そこには必ず複雑な何かが、存在するはずだ。また、そうでなければならない。
――小説の最後は、「蔵はアキレス腱を伸ばしだす。もう僕には止めることは出来そうにもなかった」と締め括られた。
読者は次の犠牲者を想像せずにはいられなし、当然、続きがあると考えるのが筋だろう。
明朝、資料を作成していた溝口水晶は突然気付いてしまった。
汗が毛穴の全てから噴き出すようだった。
鼓動が痛いほど音を立てている。
ふとしたことだった。それはキーボードが、全角英数になっていたのに気付かずに「KURA」と叩いたのがきっかけだった。
僕は暫く動けないでいた。
薄く日の入り始めた部屋で鳥の囀りが耳に届く。
……確かに朝を迎えたようである。
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