溝口水晶の嫌悪感にあまり遠くない違和感①

 仕事場から直接向かったのは正解だった。15時を過ぎた東京駅は行き交う人の波も荒く、すれ違うのも一苦労だ。

 溝口水晶は東北新幹線が発着するプラットフォームで庇の切れ間から覗く高層ビルを見ていた。

 これから福島県F町へ取材に行く。「烏丸少連続誘拐殺人事件」及び「八王子誘拐監禁事件」の被害者である牧原茉莉亜が幼少期を過ごした街である。

 今日は新幹線で郡山まで行って一泊し、翌朝レンタカーで現地へと向かう。久々の泊まり取材だ。

 有り難いことにデスクは「先ずは現場から」と、ある程度の予算を付けて送り出してくれた。


 15時36分発の「やまびこ57号」は意外と空いていた。隣に誰もいないのは、何だか幸先がいいようで気分は悪くない。

 荷物をそこに置いてから窓側の席に腰を下ろし駅ナカで買った炭酸水を一口含んだ。

 郡山までは90分程だ。


 僕はこれから訪ねる「烏丸少将誘拐殺人事件」の舞台になったF町について検索することにした。

 車窓には東京駅の駅舎や丸の内の高層ビル群が早送りされたエンドロールのように流れ始めている。――携帯に幾つかヒットした。

 その一つをクリックする。


 人口数千人のこの街は、阿武隈山の東に開けた盆地に位置して豊かな自然が自慢だという。太平洋に面しているが、漁港に適した海岸がない為、漁業は盛んではないようだ。ただ、公共と民間が共同出資した高級魚であるヒラメの養殖に成功し、この町を代表する名産品になったらしい。

 次に「福島県F町の一部、避難指示解除」と題の付いた項をクリックする。分かっていたとはいえ悲惨な現実がこう綴られている。

 ――ここF町は、東京電力福島第一原発事故を受けて、2011年以降、除染や瓦礫の撤去、並びに復旧作業を行う作業員以外の町民の立ち入りが全面禁止されて「警戒地区」となった。その後、翌年の4月には「帰還困難地区」に緩和され住民の一時帰宅が可能となる。そして、ついに2015年3月をもって念願の「避難指示」が一部の地域にて解除されたのである。

 事故から4年が経ち町はようやく復興への一歩を踏み出していった。

 ただ、帰還率は20%と低迷し、住民意識調査でも、「戻りたいと考えている」との回答は10%以下であったらしい。

 そして、ここで「烏丸少将連続誘拐殺人事件」が起こったのは原発事故の2年前のことであった。


 大宮駅を越えた辺りから裾野を広げた富士山が見えてきた――。

 僕は大学の講義で、多産多死型の社会が描く人口ピラミッドが、確かそう「富士山型」であったのを思い出す。発展途上国と富士山とが上手く結びつかず記憶するのに苦労したのを憶えている。

 暫くウトウトしていると、薄暗くなった車窓の向こうで、低い波のような山々が連なっているのが見えてきた。

 その合間から磐梯山の白い頂が顔を見せた。郡山駅はもうすぐだ。


 西口の改札を出ると屋根付きのペデストリアンデッキに繋がっている。

 そのままバスターミナルを抜けて、少し歩いたところにホテルはあった。最近よくある大浴場サウナ付きのビジネスホテルである。

 17時を過ぎたばかりで夕食を取るには少々早く、僕は最上階にある大浴場で汗を流すことにした。チュックインして、一旦部屋で簡易の浴衣とスリッパに着替えてから向かう。

 誰もいない大浴場には露天風呂があった。

 その解放感に、案外大きな声を挙げて炭酸泉に浸かった身体を伸ばしていく。

 凝り固まったものが解されるようで、脳裏に「命の洗濯」という安易なワードが浮かんだ。

 そのまま暫く浴槽の縁に頭を置いて身を投じていると、周辺には街の気配があるのが分かる。

 ……喉をカラッカラにしておこう。そう思って、もう一度サウナに入った。


 駅周辺は思ったよりも賑やかだった。

 冷たい夜風を浴びながら辺りを散策していると、何件かの小料理店が軒を並べる通りがある。

 僕は連なった提灯の明かりが周辺を幻想的に照らす中、エンジ色の暖簾が目を引く店へと入っていく。

 躊躇がないのは、社会人4年間で学んだことである。カウンターに座ってから、さっと携帯で検索した――。

「店主自らが漁港で仕入れた活魚と、100種類以上の日本各地の地酒を堪能できる人気店」と食べログにある。

「……よしビンゴかも」

 心の中で叫んでいた。


 速い時間にも拘らず客は多いようだ。店内に小気味良い掛け声が響き渡っている。

 とりあえずビールと「鮮魚七点盛り」を注文した。

 乾いた喉が一気に潤っていくのは爽快だった。CMでタレントが口にする「幸せ」って安直な台詞も今はわからなくもない。

 まずは丁寧に卸された白身の刺身を一切れ、もみじおろしで頂く。繊維が切れるコリッとした食感は噛むほどに新鮮さが際立って、確かにこれは旨い。

 ……やはり、この店は当たりみたいだ。

 次に箸をつけた、氷見産の寒ブリには山葵とシソを乗せてから口の中へと運んだ。程よくあぶらが乗っていて、舌の上でとろけるとはこのことだろう。

 僕は「つま」とした大根で口直しをして、福島県の地酒「雪小町・純米大吟醸」を頼んだ。

 山田錦を使った極め細やかで芳醇な味わいは最近口にした中では一番好みに合っているようで、つまみの「本ハマグリの酒蒸し」と合わせてもう一杯注文した。

 知らない土地で風呂上がりに、地物の魚をつまみつつ地酒を呑む。

 まさに至福の時間であった。

 続いて、地元で獲れた「筍の天婦羅」と「会津産の馬刺しの盛り合わせ」、さらに山口県が世界に誇る「獺祭」を注文した。「エヴァ」の葛城ミサトの部屋に飾ってあったことや、最近では安部首相がプーチン大統領やオバマ大統領との外交に使用したことで、火が付いた吟醸酒である。

 母は今、その山口県の大畠という田舎にいた。「……もうここにはおれない」と、2年前の春に空き家バンクを利用して、古民家に移り住んだのだ。

 瀬戸内海が一望できる高台にあって日当たりが良く、お買い得だったと言っていた。そして、近所のみかん農家でアルバイトしながら、のんびりと暮らしているようだ。

 ただ、僕はまだ母の住むところを訪ねる気にはなれなかった。

 ――「のんびりしている」その言葉を聞くたびに、嫌悪感にあまり遠くない違和感が心に色濃く影を落としていく……。

 それは指の間から零れる砂みたいに刻々と父を忘れているようで、そのことを思うと「僕だけでも」と勝手に最後の砦にでもなったような気がしていた。

 だいぶ酔っていたのだろう。

 そして〆に、冷たい出汁で頂く、通も絶賛の「水出し蕎麦」を食した。

 ここでしか味わえない逸品らしく郡山の名物の一つに数えられるという。

 改めて大満足の夕食であった。


 翌朝は天気が良かった。雲ひとつない空はどこまでも青が続いて、見上げた視界を一瞬にして埋めていく。

 ただ、溝口水晶がイメージしたのは途方もなく大きな海原に、ぽつんと一人漂うような、心許なさの方であった――。

 ここからF町までは3時間以上かかる。

 レンタカーのラジオを地元のFM放送に合わせて、栄養ドリンクを一気に流し込んだ。

 夜のうちに降ったのだろう。並木の緑が鮮やかに映え、コンビニ前の道路では「ジュッ」と肉を焼くような音をたてて車が行き交った。至る所に余韻が残っている。


 市街地を暫く走って阿武隈川沿いに出た。

 両岸の河川敷が広く、いくつもの橋が架かっている。

 遠く、安達太良連峰の稜線が見えてきた。

 その上には高村光太郎が「智恵子抄」で書いた「東京にはない本当の空」がある。

 あどけない話を思った。

 ただ僕はその蒼穹を視界の端に留めたまま運転するうち、何とも言えぬ焦燥感に駆られて思いの外アクセルを強く踏み込んでいたのだった。  

 それから車は川沿いを暫く進めた。

 途中で右に折れて山道へと入って行くと、明らかに車が少なくなっていくのを感じる。


 アラン・コルバンの言葉を思い出す――。

「静寂は音の不在ではない。静寂は音が無数に現れ出て来るための海だ。鳴り響く沈黙という考えは奇妙ではない」

 まさに、ここからは鳴り響く静寂の海を走った。

 ――曲がりくねった山道は幅が狭く、車がすれ違うにも神経を使うほどだった。その道沿いに並んだ木々の隙間からは柔らかな光が漏れ、地面に斑模様を作っている。

 ハンドルを左右に切るたびに白波を立てた早瀬が現れて、その手前の鬱蒼とした茂みの奥では生き物が呼吸を隠す。

 風は鳴るごとに木立を揺らし鳥の羽音を響かせた。

 すべてが饒舌な森の中である。

 ――緊張しながら車を進めた。

 そうして整備された農道に入ったところでひとつ大きく息をつく。

 ……「フゥ―だいぶ運転したようだ」と小さく声に出した時には、11時をとうに過ぎていた。

 すると、隧道を抜けた辺りから一気に視界が開けて、ガードレールの向こうにうっすらと光る海が見えてきた。

 フロントガラス越しに目にする海岸線は陽炎のように揺れている。

 僕は「F町は太平洋に面している」というネットの記事を思い出した。

 もうすぐ着くのだろう。

 いつしか空を押し下げるようにして湿った雲が累々と重なっていた。


 復興中という残留思念が、そこら中で漂っているようだった。F町は潮の香りと相まって独特の匂いがする。無機質で、人のいない匂い――。

 小高い丘の上にある住宅地に入ったところでカーナビが案内を止めた。目に前には何棟かの連なった団地が聳える。

 

 車を降りて隣接された公園へと入っていった。そのまま園内を横切って左端の方へと歩くと、牧原茉莉亜が住んだとされる棟が見える。

 僕は真ん中辺りの部屋の前で足を止めた。

 それは一瞬で分かるほどだった。

 1階と2階のベランダが、それぞれ崩れ落ちて、とても人が住める状態ではないのだ。

 焦げたような色合いの壁が屋上まで続いて、ひび割れた所も何ケ所か見て取れる。

 ……これは間違いなく火事の後だろう。

 ふと何かに呼ばれたように振り返ると、平らに広がった海が穏やかな顔を覗かせていた。


 僕は町役場で関連記事を読んだ。

「烏丸少将連続誘拐殺人事件」の少女には続きがあった。

12月8日午前3時頃、福島県F町にある団地の1階と2階の一室から火の手が上がっているのを通りかかった男性が発見し、119番通報した。警察などによると消防車両14台が出動して、火は4時間後に消し止められたが、焼け跡からそれぞれ2人の遺体が発見された。1階の部屋には、牧原正明さん(33)と、その妻である百合子さん(29)、また2階の部屋には、古川純一さん(41)と、その妻である希美さん(40)が、いたとされるが火事の後、4人とも連絡がとれず、警察は遺体が牧原さん夫婦、古川さん夫婦である可能性が高いとみて身元の確認を急ぐとともに詳しい出火原因を調べている。また古川さんの中学1年になる一人娘(12)は、顔と背中に火傷を負ったようだが、自力で逃げ出して命に別状はないとのことである。但し、1階に住む牧原さんの同じく中学1年になる一人娘(12)の行方が分からなくなっている。警察は事件性も含めて捜査を進めている


 報道では未成年として名前を伏せられていたが、行方不明になった牧原さんの一人娘は、勿論、茉莉亜である。

 そして、その時、彼女は東京都八王子で森永弥里に監禁されていたのだ。

 ――不可解な事件だった。

 団地の1階と2階の上下にある部屋から、同じような時間帯に、それぞれが出火した。しかも、両部屋とも台所の燃え方が特に激しく、火元である可能性が高いという。

 つまり犯人とされる人物は、いずれも部屋の中で放火したのである。

 始めは行方の分からなかった牧原茉莉亜が事件の詳細を知る人物だとされたが、八王子誘拐監禁事件が明るみになるにつれ、世論の流れが変わっていった。

 また、辺りで見慣れぬ車両を見たという証言や、付近の防犯カメラに同じ男が複数回映っていたというが、どちらも決め手にはならなかったらしい。

 そして現状、暗礁に乗り上げている。さらには3カ月後に起きた津波による原発事故のこともあって、この事件は急激に風化していったようだ。


 葉山デスクは言った。――「事件には客観的な事実だけを集めても、その本質を理解できないタイプのものがある」

 それから「常に、風を感じなさい」と。

 間違いなくデスクはこのことを知っていたはずだ。なのに、ここに導いてくれた。

 汗を掻くことでしか感じられない風もあることを教えてくれたのだろうか。

 確かにこれは知っているけど誰も見たことがない、まるで風のような事件だった。


 再び現場に戻ってみると、初老の男がその部屋の袂に白い花を置いているのが目に入ってきた。

 白髪の頭を下げて膝を折って祈る姿は、まるで彼自身を手向タムけているようだった。  






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