星のランプに手が届く。

 少女との邂逅から1ケ月程が過ぎようとしていた。久保あきらは毎晩ここで彼女を探している。

 ただ、溢れる人込みのこの街は一体感のあるいつもの絵画のようで、何ら一切を変えようとしない。あの時と同じ違和感を映さないでいた。


 それから2日後のこと。「ある日の久保あきらのスケジュール」そうキーボードを叩いてから直ぐに指が止まった。

 自分のことを客観的に書き出すだけなのに、これ程までに難しいとは……いつものTSUTAYAの2階にいた。

 編集者から、――「先生、ものが書けないのは恐らく生活リズムが悪いからですよ。確かにかつては放蕩や退廃の中で名作を生みだした作家もいたでしょうけど、それはホンの一握りの天才若しくは、たまたまの産物だったに過ぎません。やはり健全な肉体、健全な精神の中でこそ、ちゃんとした考えが思い付くのです。今は、本能よりも理性の方が商売になるようですしね。どーですか。一旦、断捨離のようなことをしてみませんか」

 そう言われたのが契機となっていた。これは、その第一弾で「自分の生活を見直す」為のものだそうだ。

 それは暗に凡人であると宣言されたみたいで、始めは反発もしていたが、流石に4年も何も書けないでいると、そう言ってもいられないように思い始めていた。

 しかも彼女は、その出版界では名監督よろしく「作家再生工場」の異名を持った敏腕編集者である。

 何人もの作家が崇めているというし、あの谷山翔吾や凛子なども一時の低迷期から立ち直った陰には彼女の存在があったと聞く。


 さて、問題を整理してみよう。――いったいどこから書き始めればいいのだろうか。ここ数年間の生活を顧みて先ず思ったことである。

 そう、自分の一日には明確な区切りがないのだ。……敢えてここは言おう「常識」と、そして、ここ数年に於いて、久保あきらはそれがある人のように、定時に朝、ちゃんと布団から這い出して来て、朝食を取って、仕事に行って、やり甲斐を感じたり、悩んだり、失敗したり、喜んだり、人間関係に苦しんだり、恋愛や金や結婚など、人生と言う名のRPGを「常識」という枠の中でプレイしてこなかったのである。

 ほんの少しの成功が恰も、さも雄弁であるように取り繕っていたのだ。また、同時に作家とはそのようなものだと承知していた。

 幸せかどうかは別として、昔の同僚からの「羨ましい」メールを見ては悦に入っていたのである。


 久保あきらは福岡の大学を卒業して、大手と呼ばれる旅行会社に就職した。

「志望動機を教えて下さい」――当時、自分とは別世界にいる大人達からの質問には必ずこう答えていた。


「……色んな世界に行ってみたいとか、人が喜ぶ姿に、やり甲斐を感じるとか、そう言うのではなくて、単に物書きになる為の足掛けのようなものです」

 会社に人生の殆どを捧げてきた彼らにとって腸が煮えくり返るような回答だったろう。

 ただ、その履歴書には近い将来、会社がそれを明瞭に描くことが出来るだけのメリットを載せていたのである。だから、こんなにも世間を舐めたような自分を鉈で切るみたいにバッサリと出来なかったのだ。


 ――「100人のうち1人が右を向くとします。残る99人は気にも留めないでしょう。寧ろ蔑んだ目で、その人を見る筈です。但し、100万人のうち、1万人が右を向くとしたらどうでしょうか。そうなれば恐らく、残りの99万人の多くは実際に右を向くし、またその殆どがそうしたい衝動に駆られて賛同し始めるのではないでしょうか。同じ1%の行動なのですが、こうも結果に差が出てきます。ようは、大衆迎合は商売になるのです。人は欲望そのものを欲しているのですから。

 例えば、4月3日は如何でしょう? 御社の名前に因んで、「よみの日」と冠を付けて、その日を「旅行の日」にしてみませんか? 御社の300万人近い年間の取扱人数を考えれば、業界を巻き込んで上手くいくはずです。チョコレート業界に出来たのですから、旅行業界で出来ないわけがないと考えますが……」

 そうして、かなり踏み込んだ事業計画案を面接官に差し出すのであった。

 結局、この提案は採用され、想定通りビックビジネスとなっていったのである。今日では、この日だけで5億円以上を売り上げる特別なイベントとなっている。


 思えば旅行会社時代に一つだけショックを受けたことがあった。

 それは入社して3年目の春に中国のチワン族自治区に位置する景勝地・桂林の添乗に行ったときのことである。当時、山水画を思わせる景観の中での約3時間余りの漓江下りは個人的にも楽しみだった。

 ――川面を滑るように進む外国人専用船のデッキに出て、白い靄に浮かぶ両岸の巨岩を写真に収めていた。魚の模様が浮かぶ奇岩や、九頭の馬の姿が見えるという九馬画山、さらに両岸にある部族の集落など、それぞれが悠久の風情を感じさせる。

 ふと後ろを振り返ると、20元紙幣の裏に描かれた景色がそこに広がった。


 ひとりの現地ガイドが50代のツアー客と雑談をしている。李という中国人に多い名前の男性ガイドは台湾に対する自身の意見を述べていた。

 20代後半だという彼の主張は、その後も日本や中国の現状、はたまた世界情勢へと多岐に及んでいった。出入国書類の職業欄に歴史教師と記載された、そのツアー客と対等に渡り合っている。

 時折、教師はその立派な顎鬚を撫でながら「……確かに」と深く頷いていた。 

 すると、あろうことに同年代である久保あきらの口を、どんどんと裁縫していくのだ。

 何だろう、ショックだった。貧しい家で育ったという彼の話す日本語には、自分には絶対的に足りない何かがあるようで、勉強不足だけで片付けられるものではない気がする。

 それはカンボジアのアンコールワットでクメール文明について話す現地ガイドの日本語からも同じようなものを感じていた。


取りあえず行動で分けてみよう。

「ある日の久保あきらのスケジュール」

PM 21:30頃 渋谷のTSUTAYAの2階でアイスコーヒーを片手にパソコンを開く。

PM 22:10頃 数人が騒いでいる。酔った女を男が口説いているようだ。

PM 22:50頃 人混みへと歩き出す彼らの後を付けていく。

PM 23:25頃 HOTEL に入ったのを確認すると再びTSUTAYAへと戻っていく。

PM 23:55頃 ノートパソコンを開いて、今見たことを記録する。

―――――――日付変更―――――――――

AM 24:05頃 雑踏の中、不思議な少女を見つける。

AM 24:15頃 少女がバーチャルみたいに姿を消す。

AM 01:10頃 TSUTAYAから出て、スクランブル交差点にてタクシーを拾う。

AM 02:05頃 高円寺にある自宅のアパートへ帰宅する。途中コンビニに寄って買い物。

AM 05:20頃 この時間まで「鉄血のオルフェンズ」のDVDを観賞。カルタ・イシューのキャラづけが凄すぎる。そのまま睡眠に入った。

AM 08:30頃 起床、トイレ、水を飲む。

AM 08:40頃 読売新聞を読み始める。

AM 10:15頃 読売新聞を読み終える。トイレ、水を飲む。

AM 10:20頃 三島由紀夫の「金閣寺」を読む。

AM 11:55頃 三島由紀夫の「金閣寺」を読むのを一旦中止する。尚、8:40からずっとベッドの上でのことである。

PM 12:05頃 近くのココイチへ行く。

PM 12:40頃 テイクアウトした「手仕込みヒレカツカレー」とセブンのアイスコーヒーをスポーツ報知を読みながら食べる。

PM 13:20頃 YouTubeで有吉弘行の「SUNDAY NIGHT DREANER」をソファーで聞きながらダラダラ過ごす。有吉さん聞いて下さい。緑の狸と赤い狐を食い散らかす茶色のオラウータンこと武田鉄矢が……のところで大爆笑。

PM 14:45頃 シャワーを浴びる。

PM 15:20頃 外出する。

PM 16:30頃 大塚・ピンサロ「Ⅽサイト」で緑頭の女を2日続けて指名する。

PM 19:35頃 新宿・焼きあご塩らー麺たかはし新宿本店にて、「味玉入り焼きあご塩ら―麺」と白ご飯の夕食をとる。

PM 20:40頃 渋谷のTSUTAYAの2階でアイスコーヒーを片手にパソコンを開く。引き続き、あの少女を探している。


 こう改めて書き出してみると、かなりその「常識」とはかけ離れているように思う。内容にしてもそうだ。また、あの少女との邂逅が頭から離れないせいなのか、選んだ日も妥当かどうか疑問符が付くだろう。

 そうして、久保あきらはこの今の生活が「文章を書くこと」に於いて、正解か否かの2択では、とうてい判断出来るものではないと考える。

 しかしながら、まず敏腕編集者は否であると断言するだろう。

 それは当然である。彼女の立場は彼女にとっての答えを導くものだから……。それでも「改めます」と、諸手を挙げることは出来そうもない。

 何故なら、それぞれの立ち位置によって答えが何通りも存在することを知っているからだ。

 但し、どれが人気作家への近道なのかと問われると、正直答えに困ってしまうと思う。


 戦場ジャーナリストの故・山本美香の写真集「これから戦場に向かいます」の中に内戦の続くアフガニスタンで、ベッドに腰かけた老婆の写真と共にこんな言葉が添えられていた。


「戦争は、どちら側が正当かわたしにはわからない。でも、ひとつだけわかっていることがあるわ。わたしたちが犠牲者だってことよ」


 さらに一人の少女の写真とこんな言葉もあった。

 

「こんな荒涼とした世界でも

 明日はやってくる。

 明日をつないでいけば、

 未来につながるのだろうか」

 

 恐らくは分かっていた。書けなくなったのは密度が大きいからである。

 自身が書く文章には、いくら美麗な言葉を駆使して、また技巧を尽くしてみても、その根本には必ず誤謬が潜んでいるかのよう感じられるのだ。

 ようは軽いのである。

 あの老婆や少女の言葉みたいに、心に直接訴えかけるだけの何かが足りないのである。

 才能や経験の一言では片付けられないものが、そこには確かに存在する。

 ……何を書いても、もう、ふわふわとした雲みたいに漂って意味がよく取れなくなってしまう。だから、久保あきらは自身の書いた文章で


 空想たけるは言った。

「死を視点にして物事を見つめない限り、本当に見たいものが見えない」と――。

 すぅーと腑に落ちていく自分がそこにいた。

 それから、久保あきらの宿願は「本当に見たいものを見ること」この一点のみになっていった。

 そうすることで、ペン先にその何かが加わって、あの老婆や少女の言葉さえも、見事に凌駕するほどの文章を書くことが出来るはずだから。


















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