第2話 溝口水晶の人となり
後追い自殺した二人は、君野二葉より一つ下の学年で双子の姉妹であった。
まず、最初に姉の方が千鳥ヶ淵のお堀から引き上げられた。
緑道を囲むように斜めに生え揃った桜の枝を数本ばかり折って、石垣の袂にシャクナゲの花の如く髪を広げ浮いていたという。
それから3日後、今度は妹がそこから100m程離れた通りで発見された。
商業施設のビルの7階から飛び降りたという。
普段は賑やかな通りであったが、丁度、その夜は東京に大雨警報が出されていて、殆ど人通りも無く、また第一発見者によると、飛び散ったはずの体液や脳漿、アスファルトに張り付く血痕などが激しい雨に叩かることで綺麗に洗われていて、始めはその着ていた服装から、少し大きめの青い傘が落ちていると思ったと話す。
さらにデスクが言うには、警察が任意で調べた結果、二人の部屋にあったパソコンからは無数の君野二葉の写真が見つかったらしい。
また、彼女らは頻繁にどこかのURLにアクセスしていたようだが、自殺の可能性が高いということもあり、個人情報保護の観点から詳しくは調べられなかった。但し、警察の調べに於いても二人が君野二葉に崇拝に近い感情を持っていたという多くの証言があるようで、捜査はやはりその線で進められたみたいだ。
特に、同じクラスで仲の良かった数人の証言には、双子の行動に対して、理解できる、予想出来た、やっぱり等の言葉が並んだというからそうなのだろう。
それにしても一般人である君野二葉に、それほどまでの魅力があったのだろうか。恐らく、そこには女子校特有のものがあったと予想する。
異性との日常的な接触機会が少ないが為に、本来、彼女らが持つはずの女の子らしさや意識高い系に取り替わって、一体、自分とは何なのかとか。また、本当の私とは?……等のアイデンティティについて考える時間が殊の外、多かったのではないのだろうか。
そして、それは偏狭な考えに走ることもある。その閉鎖的であろう環境も和を掛ける――。
会社のある大手町から溝口水晶の住む神楽坂までは東京メトロ東西線で10分程かかる。
この「束の間」の日常で、僕は目を閉じてヘッドフォンで耳を塞いでいる。外からの情報を遮断して考える時間を作っているのだ。
仕事柄、情報の大切さは、この4年間で痛いほど分かった。だからこそ、それを整然とする時間が必要だった。
そして何より「わざわざ作る時間」と違って、この「束の間」での思考は、僕をより効率的で、より独創的な人間へ昇華させてくれる気がする。
いずれは過去の僕と未来の僕とを繋ぐ結び目のような大切な時間になるはずだ。
――「過去と現在を、ちゃんと整理しないと未来の予測が立たない。これから起こるであろうことの精度の高い図面を描けないのは記者にとって致命的なことよ」
葉山デスクに教わったことである。
ただ案外難しいものだ。最初の頃は3分も持たなかった。情報を遮断するだけではなく、そこでの思考は至難の業だ。
それでも4年も経つ今では、殆ど正確に駅に着く頃が分かるし、お粗末な蜘蛛の巣みたいなものだが、徐々に張れるようにもなってきた。
……ただ、目に見える成果が出るのは、もう少し先のことなのかもしれない。
僕は漠然とした文字面や、その響きに引かれて神楽坂を選んだ。また後に、ほぼ東京の中心に位置していることを知ったときには、その正当性を無性に誰かに自慢したくもなった。
特に、転居早々は住所を書く機会も多く、その都度「東京にいる」そのことを強く実感させてくれる街だった。
――「3年はちゃんと我慢して、その会社で働きなさい」父は言った。
今考えると、石の収集家である彼に相応しい送る言葉だったように思う。
両親は二人とも市役所の職員で、出会う前から共通の趣味として「鉱物採集」をしていた。そして、それが縁で話すようになり、やがて恋に落ち結婚して僕が生まれたという。
僕は物心つく頃には山や河原へと石拾いに連れ出されたのをぼんやりとだが記憶している。(いや、石拾いと言うと怒られる。採集って言うべきなのだろう)
また、小学生ともなると長期休暇を利用して東北や信州の有名とされる鉱山へ出向いたこともあった。総じて楽しい思い出だ。
いつか酔った父が黄鉄鉱(パイライト)を磨きながら言ったことがある。
「石には、その土地柄が特徴として残っている。人間も同じだ。いいか水晶、お前はここの水や土や空気、食べた物、交わした言葉、感情、経験、思いなど、全てが合わさってお前を形成している。それを忘れずに東京でも頑張りなさい」
……何だろう。その時は甲子園に初出場する高校球児みたいな心境だった。
僕は名前が嫌いだった。溝口水晶――殆ど誰もが「ミアキ」とは読めずに、また往々にして女性だと思われる。
印象からか「純真無垢」「清廉」「潔白」などが付き纏い、あからさまに嫌な顔をされたこともあった。あだ名は勿論、そのままに「スイショウ」。
いつか母から婚約指輪を見せてもらったことがある。
ピンクゴールドのリンクの上で恭しく光る鉱石は、初めて二人で石の採集に行った時に父が見つけた水晶だという。
六角柱状の綺麗な自形結晶をなす鉱石に、父はありったけの思いを込めて母に送ったのだろう。
そんな話を聞いていると、僕の名前を考える父の真摯な姿が、ありありと目に浮かんできて、それまでの感情はまるでコーヒーに混ぜられたミルクみたいに、すぅーと消えていくのだった。(いや、そうではない。それは含まれていくと言った方がより正確なのだろう)
話の最後に母が言った。
「本当はあの人ね、生まれるまで女の子だと勘違いしていたのよ」
二人してテレビの前で船を漕ぐ父に目をやる。
彼らにとって性別は些細なことだったのかもしれない。
そして、母は視線をそこに置いたままで、――「ミアキが生まれた時、あなたの泣き声より、お父さんの泣き声のほうがうるさいって、看護師さんに怒られたのよ」
そう言って懐かしそうに微笑んだ。
自分より大事なものに向ける笑顔は、どんな宝石よりも綺麗だと思った。
……はっと思って目を開く。
東京メトロは息を吐くような音を立てて、神楽坂の駅へと滑り込んでいた。
父が死んだのは僕が社会人2年目の夏のことである。
その日は突然やってきた。
前の日から降り始めた雨が、いつしか局地的な豪雨に変わり、夜が白み始めた頃には土石流が発生して、両親の暮らす街を飲み込んでいった。
未明に携帯が鳴って葉山デスクから、そう聞かされたとき、僕は何故だか分からない振りをしていた。
解釈してしまうと現実として決定されるのが怖くて、大方脳が全力で拒んでいたのだろう。
会話の最後に、「大丈夫」って、デスクは根拠の無い前向きの言葉を吐いたのか、それとも、それは僕を気遣う心配の疑問符だったのか、あの時は、そんなくだらないことばかりを考えていた。
ちゃんとしたくなかったのだ。
母の携帯を鳴らした。――出ない。父の携帯を鳴らす。誰も出ない。何度も交互に繰り返した。
いつしか部屋には日が射し始めている。
繋がらない携帯を握りしめて、やり場のない怒りに身を震わせた。
連絡があったのは午前10時を回っていた。僕はそれを会社で受けとった。
母は受話器の向こうで、「……お父さんがいない」と繰り返した。何を聞いても独り言のように、そればかりを言い続けている――。
それでも僕はデスクみたいに、「大丈夫」って言葉を、どうしても口に出来なかった。
あまりに無責任で、この不条理に対して最も相応しくないように思えたからである。
そして、「行くね」って一方的に伝えてから携帯を切った。
僕は取材として帰郷することした。色々と、そのほうが現地で規制も緩いし動き易いというデスクの配慮からだった。
急な仕事の引継ぎも含めて、デスクには感謝しかない。
広島へ向かう新幹線で母のことを考えた。
恐らく母も分かっていたのだろう。ちゃんと言葉を交わしてしまうと頭の中が整理され、父についての現実が急に鮮明になってしまうことを。
今は未だ、その覚悟のようなものがないことを……。
避難所にいた母に会えたのは17時を過ぎていた。
警察によると、依然約2万人に避難指示・勧告が出され、600人程がここに身を寄せているらしい。
毛布に包まって、小さな鼾をかいて眠っている。
その埃だらけで一気にやつれたような顔に、暫く声を掛けられないでいると、ふと瞼が震え出して、ゆっくりと開いた。
その瞳は初めて僕を目にしたように焦点があっていない。瞳孔が、ギュと縮まってから、そこに映る僕を揺らし始めた。
母から聞いた。父はその日の早朝、あまりに降りしきる雨に心配になり、近所の仲の良かった老夫婦の家を訪ねたという。
それ以降、連絡が取れないらしい。
翌朝、小雨が降る中、取材許可を得た僕は被災地に足を運んだ。
そこで目にした光景を一生忘れることはないだろう。恐らくこれからは何をするにしても付き纏われる。
周辺の至るところで民家が崩壊し瓦礫が散乱した。道路が陥没して、埋まっていた配線が剥き出しとなり、電柱の刺さった車が横倒しになっている。
高校まで過ごした懐かしい風景は流れ込んだ大量の土砂や、なぎ倒された木々で、その様相を絶望へと変えていた。
――雨衣の警察官や消防隊員、自衛隊らが懸命の救出活動を行っているのを努めて俯瞰した眼で追っていると、轟音を響かせ重機が土砂を取り除いているここでは、誰もが「命の賞味期間」を鑑みて緊迫感を孕んでいるのが分かる。
すると、不意に「なんで」って言葉が口を衝く。とても自然に……今度はちゃんと意識してから「なんで、なんで、なんで、なんで……」そう何度も問い質すように口にしてみた。
何故なのだろうか、目に映る全ては吐きそうなほど煩わしいのに、まるで他人事みたいに思えてきて、ある種、絵画鑑賞に近いような気がする。
ただ、その時の僕は何の絵を見ているのか分からないでいた。
禁止線の前で足を止めた。背後の山々に視線を延ばすと、その山肌が無理やり抉り取られて麓にある住宅地へと黄土色の河を広げている。
それは焼けただれた人間の皮膚みたいに、そこだけが死んでいる。
息を止めて、その河を目で追っていると、陥没した道路に足を取られたように傾く僕の家を見つけた。自然と涙が出た。
……父さん……
県警によると、先程、新たに3人の遺体が見つかり、これで死者は63人を数えるという。また、雨による二次災害の恐れなどから作業は困難を極めているらしい。
生存確率が急激に下がるとされる「発生から72時間」が経過した。安否の確認が取れない人は依然47人に上るという。その中に、父も含まれた。
政府は、今回の集中豪雨で受けた被害を『激甚災害』に指定し、「一日も早く全員が救出されるよう、一丸となって取り組んでいく」そうコメントを出した。
土石流は流れ始めてから1分もかからず住宅地に達したという。住民が逃げる間もなく土砂に襲われた様子が容易に想像できた。そして、2年過ぎた今でも父は見つかっていない。
溝口水晶はソファーで深夜のお笑い番組を見ていた。強迫観念さながら、終わるまではと、しきりに頭を振って睡魔と戦っている。
ただ、番組も後半に差し掛かったところでCMに入った途端、油断でもしたかのように、すとんと瞼が下がって、そのまま深い眠りへと落ちてしまった。
そして、その夜、また一人の少女が飛び降りた。
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