第1話 溝口水晶の憂鬱

2018年 11月5日


「ねぇ、スイショウ。渋谷区の同じ女子校の生徒が相次いで自殺したの知っている?」


 整頓された机の上に肘をついて葉山祥子ハヤマショウコが口にした。

 今日必要なものしか置かないが口癖の彼女は若くしてデスクとなったやり手である。

 タイトなスカートから伸ばした脚を頻繁に組み替えている。

 行動心理学的に言えば隠し事など何かを抱えているらしい。そして、ショートボブの毛先を指先で捏ねながら続けた。

 程よい肉付きの腕には男物のROLEXがある。70年代のサブマリーナーだ。


「なんでも、この1ケ月の間に続けて3人が飛び降りたみたいで、記者の間ではウェルテル効果ではないかと、ちょっとした騒ぎになっているの」


 入社4年目の溝口水晶(みあき)は、葉山からの問い掛けに戸惑っていた。分かる質問とそうでない質問とが混在していたからだ。

 葉山を前にして、起立したままスマホを取り出して検索し始めた。


「おいおい。ちょっと待って。まずは言葉にして。なに世代だよ、君?」


「あっ、すみません。前者は知っています。あと、後者は只今、検索中です」

 溝口水晶は某有名大学を首席で卒業したエリートだった。――「読んでみて」葉山が言う。


「ネットの情報によりますと、ウェルテル効果とは有名人や新奇な方法による自殺事件がメディアなどで報じられた後、似たような自殺の連鎖が生じる現象のことです。その名前は、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』がベストセラーになった際に、失恋した若者が自殺を図る事例が増えたことに由来します。また、ウェルテルと同じ方法で自殺する人が続いた為、いくつかの国で、その本は発刊禁止となったようです」


「そう、その自殺方法は、褐色の長靴と黄色のベスト、青色のジャケットを着てピストルを使用するといったもので、日本でも方法は違えどもアイドル歌手やアーティストの自殺の後、ファンの後追い自殺が多く起こったよね。また少し古い事例だけど、太宰の入水自殺後もまた然りなの」

 なんだ、わざと調べさせたのだ。僕は思った。


「でも、それって少しおかしくないですか? だったらその定義とされている。

①自殺率は報道後に一気に上がり、その前には上がっていない。

②自殺が大きく報道されればされるほど自殺率が上がる。

③自殺の生地が入りやすい地域ほど自殺率が上がる。

のうち、①と②が当てはまらないですよね。だって一人目が飛び降り自殺したこと、殆ど一部のメディアでしか扱ってないですよね」


「そうね。確かにその辺は、ちょっと腑に落ちないわね。何かしらの情報統制があるのかも……ただ、それでも今回は、それ以上に興味深いのよ」


 彼女の虹彩がゆっくり端の方へと動いた。

 恐らく核心に触れ始めるのだろう。

「始めにビルから飛び降りた高2の少女は、君野二葉といって学園では孤高の存在で一種カリスマだったらしいのね。見た目もアイドル並み、いやそれ以上で、多くのプロダクションから誘われていたようだし。また成績も超優秀でね、誰にも媚びることなく、先生にも一目置かれていたみたいなの。それにね……」


 僕は葉山デスクを見つめながら瞬きを我慢した。言葉を待っている。


 ――「彼女、聾唖者だったの」


 その彼女の言い回しに妙な違和感を覚えた。「聾唖者」という言葉ではなく、その前の「それにね」っていう接続詞が原因だった。


「何か聾唖者であることが、彼女のカリスマ性に輪を掛けているような言い回しですね」


 葉山はすぐには答えなかった。肘を机について掌に顎を乗せて考えている。細い人差し指が数回、頬を打つ。

 答えは手元にあるけど迷っているようだった。

 正しいかそうではないかを別にして、彼女は常に答えを持っている。その迷いは質問に対する答えではなく、言うか言わざるべきかの葛藤である。

 遠くを見るように目を細めた。独り言のようだった。


「多分ね。刹那的なものほど美しいって知っていたのかな」よく理解できなかった。


「あと、まだ発表になっていない情報だけど、衝撃的なことにね。あっ、まだこれ内緒ね。自殺した三人は、全てタイプは違えども青色のジャケットを着ていたの。疑わないわけには……いかないわよね」

 語尾が上がっている。こっちの答えには一切の迷いはないようだ。


 僕は考える時、天井を見つめる癖がある。二列の蛍光灯を平行に並べたそれは、思いの外、高い気がしていた。

 腕を組んで頬の内側の肉を甘噛みしていると、「人工的に感じない?」葉山が口にした。


「人工的って……人が何らかを仕組んだってニュアンスですか?」


「そう、だって後追い自殺って……定義付は難しいけど、なんかこうパッションって言うか、言葉の選択は間違っていると思うけど、そうね、情緒的って言うか、感情的なものでしょう。今回、私には何だろう、手巻き時計の中のような精密さが感じ取られるの。まあ、先に言っとくけど理由はわからないけどね」


 僕は、――はいはい調べますよと、心の中で呟いた。

 勿論、言葉もそう、態度にも出さない。この4年間で学んだことである。


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