第27話 奪還
市郊外に位置した広大な林の中に、ミランダ邸が居を構えていた。
ノボルが言うには、この一帯のすべてがミランダの敷地であるらしい。
これだけの敷地があるのなら、死体の二つや三つ、埋まっていてもおかしくはないだろう。
「太郞、俺も行く。氷華お嬢様が心配だ」
林の中を抜ける、舗装のされていない一本道。
ミランダ邸を遠目に車を止めたノボルは、ゴクリと唾を飲んでそう切り出した。
「ノボルさんはここで待っててください」
「しかし……」
「いくらノボルさんが強くても、今回ばかりは相手が悪すぎます。それにノボルさんも言ってたじゃないですか。戦車の一台や二台、本当に出てきてもおかしくはないって」
これも混浴中に聞いたことである。
今思えば、ノボルとの混浴はそれなりに意味があった。
「オレが残るんなら、生徒会長さんも残ったほうがいいんじゃないのか……?」
「ふ、笑止。私はただの女子高生ではない。神眼の巫女を甘く見るな」
ひとみは鼻で笑って一蹴した。
「じゃあ、生徒会長、行きましょう」
「うむ」
太郞はひとみと共に後部座席を降りた。
そしてもう一匹、車を降りる犬がいる。
ケルベロスだ。
自主的に着いてきたので、旭山家に恩を感じているらしい。
なんにせよ、ケルベロスがいれば百人力、戦力は桁違いにアップする。
そして一行は、道を進んでミランダ邸の前庭に足を踏み入れた。
レンガ造りの邸宅は五階建てとなっており、前提の芝生は綺麗に刈り込まれていた。
月の光に照らされたその一角だけが、林の中のひらけた場所となっている。
そして、邸宅の最上階には窓明かりが一つ。
あそこにミランダが、氷華がいるのだ。
そんなとき――。
「てめーら、なにもんだコラ!」
「ここが誰の家かわかってんのか!」
正面入口で警備にあたっていた黒服の二人。
彼らは警棒を手にズカズカと凄んできた。
「ここに氷華がいることはわかってるんだ。俺の邪魔はするな」
太郞はひとみの前に立ち、黒服の男二人と対峙した。
「ガキがふざけるな!」
黒服の片割れが、太郞のコメカミに警棒を叩き込む。
容赦のない一撃だ。
普通の人間なら死んでいてもおかしくはない。
しかし、太郞はまったくのノーダメージであり、顔をピクリとも動かしてはいなかった。
「う、嘘だろ……。警棒をモロに食らって、なんで平気なツラしてられんだよ……」
黒服はサングラスの奥で目を丸めた。
そんな彼の手にする警棒が、わずかながらに震えをともなっていた。
むしろ、ダメージを受けたのは黒服のほうである。
分厚い鋼板を、警棒で思いっきり叩いたようなものなのだ。
「今度は俺の番だ」
「グボッ!」
太郞は黒服の横っ面に右フックを叩き込んだ。
黒服は五メートルほど吹っ飛び、芝生に倒れて気を失った。
感触でわかる。
あの男の頬骨は粉砕されている。
「な、なんだこのガキ……エイジさんを一発で……」
もう一人の黒服は、怯えたように数歩退いた。
エイジという黒服は、この組織の中ではかなり腕が立つらしい。
「あいつみたいにぶっ飛ばされたくなかったら、さっさと消え失せろ」
「な、舐めてんじゃねーぞ! 死ねやクソガキが!」
黒服は懐から拳銃を抜いた。
やはりマフィアだ。
拳銃の一つや二つ、太郞も予想はしていた。
そして黒服は、ためらうことなく引き金を引き――。
パン!
乾いた銃声音が鳴り響く。
「この俺に鉄砲の弾がきくかよ」
太郞の眉間に少しだけめり込んだ銃弾、それがポトリと芝生の上に落ちた。
正直、ちょっとだけ痛かった。
「あ、ありえねーだろ! この至近距離でなんで死なねーんだよ!」
黒服は何度も手首を跳ね上げ、残りの銃弾をすべて撃ち尽くした。
全弾オデコに命中したものの、太郞は血の一滴も流してはいない。
「だからきかねーって言っただろ」
「ガハッ!」
太郞はお返しとばかりに、黒服のオデコにストレートパンチを叩き込んだ。
黒服は後方に吹っ飛び、泡を吹いて気を失った。
感触でわかる。
あの男のオデコの骨はパッカリ割れている。
ただ、手加減はしているので、死ぬことだけはないだろう。
すると――。
「なにが起きた!」
「庭に誰かいるぞ!」
「てめーら、庭に集まれ!」
邸宅の中から、十人ほどの黒服が飛び出してきた。
各々は拳銃を手にしており、中にはマシンガンを持っている者もいた。
マシンガンも想定の範囲内ではあるが、いちいち相手にしていてはキリがない。
「ケルベロス。あいつらを蹴散らせ」
太郞の指示を受け、子犬が「ガルゥ」と一声唸った。
そして三つの頭が体から突き出し、体躯も増大し、ケルベロス本来の姿がそこに現れる。
「ワシが地獄のケルベロス」
真ん中の頭がそうしゃべる。
「いやいや、ワシが本物のケルベロス」
右の頭がそうしゃべる。
「だからオレが本物のケルベルスだっつーの!」
左の頭がそうしゃべる。
そんな仲良し三匹組は、黒服の集団に向かって突進し、彼らを口に咥えてサメのように頭を振っている。
数人の黒服は逃げ出したものの、マシンガンを持つ男は、雨あられと銃弾を撃ち放った。
しかし、ケルベロスは無傷だ。
ギリシャ神話に登場する怪物に、マシンガンが通用するわけがない。
そんなケルベロスを目にしたひとみは、感心したように口をひらいた。
「ただの子犬ではないと思っていたが、正体はケルベルスだったか」
「あいつら、俺の父ちゃんのペットなんですよ」
「ケルベロスをペットにするとは、さすが地獄の閻魔大王だ。それより太郎、少々やっかいな物のお出ましだぞ」
ひとみは邸宅の裏手を指差した。
そこから走行してきたのは、一台の戦車である。
「ちょ、マジで戦車かよ……。イタリアマフィア、ハンパねー……。しかも、あれP40だし……」
本当に戦車が登場するとは思っていなかっただけに、さすがに太郎もこれには驚いた。
それに、登場したのはP40だ。
P40とは、第二次世界大戦時、イタリアで開発された重戦車である。
第二次世界大戦に詳しいわけではない。
大好きな戦車のアニメでP40を見た。
その主砲が、ケルベロスに向けられるかと思いきや――。
なんと、太郎自身の方へ照準が定まった。
「せ、生徒会長! 俺から離れてください!」
太郎はプチパニック。
自分が生きている間に、まさか戦車の砲弾と力比べするとは思いもしなかった。
しかし、やるしかない。
自分がウロチョロ逃げ回っては、ひとみに砲弾が命中してしまうかもしれないのだ。
次の瞬間――。
ドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!
閃光を伴う砲弾が発射、それは太郞の腹部に着弾し、体が九の字にガクッと折れ曲がる。
その威力を直に受けた太郎は、足で芝生を削り取るように後方へと押しやられていく。
それでも両足を踏ん張ることで、運動力学を相殺させることに成功した。
「太郎! 大丈夫か!」
「なんとか……大丈夫みたいです……」
太郎はひとみに目で合図を送り、腹に抱えた砲弾をゴトリと落とした。
腹はジンジン痛むものの、内臓や骨に損傷はなさそうだ。
「こうなったら、俺も少し本気出すとするか!」
太郞は手のひらを上にした。
そして、自身で考案した中二チックな詠唱を高々と口にする。
「灼熱なる炎の精霊よ! 穢れなき地獄の業火を我に与えたまえ! ファイアーボール!」
あってもなくてもいい詠唱に合わせて、手のひらの上に火の玉が出現した。
そのサッカーボール大の火の玉を、「ほらよ」と、戦車に向かって放り投げる。
見事命中したそれは、爆発するようにして戦車を炎で包み込んだ。
「アチチチチチチチチチ!」
「髪の毛が! 髪の毛が!」
黒服の二人がハッチの中から飛び出してきた。
そんな彼らの毛根は、深刻なダメージを受けたかもわからない。
「さすがだな、太郞。なかなかやるではないか。変態仮面の件は忘れてやろう」
「ありがとうございます! 生徒会長!」
太郎は胸を張り、股間を突き出すようにして、ビシッと敬礼のポーズをとった。
しかし、その弾みで、ジーンズのチャックがお口を開けてしまった。
これはちょっと恥ずかしい。
「太郎、前言撤回だ。私はおまえが変態だということを、死ぬまで忘れることはないだろう」
ひとみは虫けらを見るような目で、チャックの開いた股間に視線を注ぎ込む。
太郎は今、ひとみのお宝パンツを履いていた。
心の股間もシュンと縮こまり、太郎は肩を落としてチャックを閉め直した。
その後、黒服を蹴散らしたケルベロスと合流し、一行は邸宅の中へ踏み入った。
エントランスホールから階段を上がり、最上階を目指していたところ――。
「この化け物! これでも食らえ!」
通路の奥に潜んでいた黒服が、こちらへ手榴弾を投げてきた。
太郎はコロコロと転がってきたそれを拾い上げ、
「ほら、ケルベロス、食らえだってよ」
と、真ん中の頭、その口の中に放り込む。
すると――。
ボカン、という爆発音とともに、ケルベロスの腹が風船のように膨らんだ。
「「「ゲップ」」」
三つの頭は同時にゲップをし、口からモクモクと煙を吐き出した。
ついでに、ボフッ、と煙の屁をこいた。
これが日曜の朝のアニメなら、テレビの前でチビッコが大爆笑しているところだ。
しかし、ひとみはクスリとも笑っていないので、太郎はひとまず上の階を目指した。
最上階に辿り着いた。
通路の突き当たりには、主の部屋と思しき豪華な観音扉が設けられている。
ラスボスはこの中だ。
取っ手を少し引いてみたところ、鍵はかかっていなかった。
「うおりゃ!」
太郎はあえて扉を豪快に蹴破り、室内へ躍り込んだ。
ゴシック様式で贅を極めた室内、そこには一人の女がバスローブ姿で佇んでいる。
茶髪のセミロングにはナチュラルパーマがかかっており、緑の瞳は明らかに日本人と特色が異なっていた。
雰囲気、威圧感、女王にも似た風格。
間違いない。
こいつがボスのミランダだ。
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