第26話 誘拐
太郞が買い出しから戻ったところ、なにやら家が騒がしい。
組員はそこらをバタバタと駆け回り、ノボルや厳鉄、志麻はリビングに集まっていた。
「おいチンカス! 氷華がどこに行ったか知らんか!」
「俺は知らないですよ。携帯に電話してみればいいじゃないですか」
「電源が切れてて携帯に繋がらんのだ!」
「充電が切れたんですよ。そのうち帰ってきますって」
「この大バカチンカス野郎!」
厳鉄の特大鉄拳ハンマーが飛んできた。
それが顔面をつらぬき、太郎は壁にめり込むまで吹っ飛ばされた。
「氷華にもしものことがあったらどうするんだ! おまえ、責任取れるのか! オウ!」
「わ、わかりました……ちょっと探してきます……」
太郎は瀕死の重傷を負いながらも家を出た。
その足で病院に向かいたいところだが、なにせ自分には保険証というものがない。
だからこのまま氷華の行方を捜すことにした。
と、その前に。
太郞は一度家に戻り、面倒くさがるケルベロスを強引に外へ連れ出した。
普段は飯を食って寝るしか能のないグータラ犬だが、こういうときには役に立つ。
「おい、ケルベロス。おまえの鼻で氷華の匂いを追えるか?」
「ワシを誰だと思ってる。雨が降ろうが雪が降ろうが、ワシの鼻にかかれば一発だ」
ケルベロスは路面の匂いをクンクンと嗅ぎ、子犬の姿で捜索を開始した。
その足取りに迷いはない。
ワシに着いてこい、と言わんばかりの頼もしい後ろ姿だ。
ほどなくして、ケルベロスはラーメン屋の前で立ち止まる。
「氷華はこのラーメン屋にいるのか?」
「いや、あっちだ」
ケルベロスは方向を変えてまた歩きはじめた。
何度もラーメン屋を振り返っているところを見ると、少なからず迷いはあるようだ。
それからしばらくして、商店街に位置するショッピングモールに辿り着いた。
そのまま店内に入り、服屋、雑貨屋、本屋と経由し、また外の駐車場に出る。
しかし、ケルベロスは駐車場から一向に動こうとはしない。
「ここで匂いが消えてるな」
「車に乗ったってことか?」
「おそらくそうだ。さすがにワシでも車に乗られるとお手上げだ」
ケルベロスは両手を上げてギブアップのポーズを見せた。
そして、お役御免とばかりに、テクテクと家に戻っていった。
氷華がここで車に乗ったのは間違いないだろう。
問題は、誰の車に乗ったかだ。
これまで友だちのいなかった彼女に、免許のある知り合いがいるとは思えない。
ましてや、ナンパで着いていくことは絶対にありえない。
もし、なにかの事件に巻き込まれたのなら、携帯に繋がらないのも説明がつく。
太郞もさすがに雲行きの怪しさを感じはじめた。
そんなとき――。
「ボス、うまくいきましたか?」
スマホを耳にあてながら、ショッピングモールを出てくる者がいた。
この金髪の憎たらしい顔には見覚えがある。
トイレで千秋をからかっていたヤンキーだ。
「そうですか。なら、たっぷりかわいがってやってくださいよ。はい、それじゃあ」
ヤンキーは通話を終えると、「へ、ざまーみろ」と、下卑た嘲笑をこぼした。
太郞の第六感が告げている。
こいつは、限りなく怪しい。
「おい、おまえ。氷華の居場所を知ってるな?」
太郞はヤンキーに近づいて声をかけた。
「し、知らねーよ! なんのことだよ!」
ヤンキーはギョッとしたような顔色を浮かべ、首を左右に振って否定する。
「嘘つくな。正直に言わないと、痛い目を見ることになるぞ」
「嘘なんてついてねーよ! 俺はなんも知らねーって!」
その目には、『嘘』とちゃんと書いてある。
比喩ではない。
閻魔大王の息子だからこそ、リアルにその一文字が見えるのだ。
太郞はそんなヤンキーの腹に、ドス、とワンパンを叩き込んだ。
「ゲボッ!」
ヤンキーは胃の中身を吐き出してうずくまる。
軽いパンチに見えても、車のガラスが割れるほどの威力だ。
「正直に言え。次はおまえの顎の骨を粉々に砕いてやるぞ。俺は本気だからな」
「わ、わかった……言うから……もう……やめてくれ……」
彼は絞り出すようなか細い声で観念した。
「氷華はどこにいる?」
「ボスの……家だよ……」
「ボスって誰のことだ?」
「赤嶺……ミランダさんだ……」
その名前には聞き覚えがある。
旭山組とシノギを削り合っている新興アマフィア、そのボスの名前が赤峰ミランダだ。
ノボルとの混浴中に聞いたので間違いはない。
「その赤峰ミランダって奴が、氷華をさらったんだな?」
「ああ……そうだ……」
「なんのためにさらった?」
「ボスの……性癖だろ……それ以上は……俺も詳しく知らねーよ……」
「そうか。教えてくれてありがとよ」
太郎はヤンキーの胸ぐらをつかんで立ち上がらせた。
そしてもう一度、ドス、と腹にワンパンを叩き込む。
「カハッ!」
ヤンキーは吐血して完全に気を失った。
地獄で受ける刑罰はこんなに優しくはない。
こいつがいつか死んだとき、死んだことすら後悔するだろう。
太郎は閻魔大王のような眼力で彼を見下ろし、旭山家へと踵を返した。
家に戻ると、太郎は厳鉄に事の成り行きを報告した。
それを耳にした彼は、「まさか……」と、青ざめた顔でソファに崩れ落ちた。
その隣に座る志麻もまた、憔悴したように肩を落としている。
リビングにじっと佇むノボルは、拳を震わせながら歯を食いしばっていた。
菊代ばあさんはキッチンでしくしくと泣いている。
彼らは、マフィアと戦争をして勝てないことを知っているのだ。
そして、氷華がこれからどうなるのかも、大方予想がついているのだろう。
最悪、彼女は殺され、その死体が見つかることはない。
太郎は決断した。
「おじさん、俺が行きます。俺が氷華を連れ戻してきます」
一同が太郞に顔を向けた。
「チンカスになにができる! 相手は本場イタリアのマフィアなんだぞ!」
厳鉄の悲痛な叫びが甲走る。
リビングが重苦しい沈黙に包まれる中――。
「俺は将来の閻魔大王だ! 悪い奴らは絶対に許さない! 氷華は必ず俺が助け出す!」
太郎は魂の咆哮を叫んだ。
それと同時に、己の歩むべき道をしっかりと胸に刻んだ。
エロゲーが親にバレ、もうこんな家になどいられないと地獄界を飛び出し、このオタクパラダイスの人間界に安寧の地を求めたが、それはただの甘えと現実逃避でしかなかった。
もし、この世に農家さんがいなかったら、大勢の人が飢えで苦しむことになる。
もし、この世にトラックの運転手がいなかったら、アマゾンから荷物は届かない。
もし、この世に警察がいなかったら、モヒカンヒャッハーだらけの世紀末だ。
人それぞれ、大切な役割分担があるからこそ、みんなが平和に暮らしていけるのだ。
自分には、自分にしかできない、とても重要な役割分担がある。
閻魔大王として悪人を裁けるのは、閻魔大王の息子である、この自分しかいないのだ。
それこそが、太郎の胸に刻んだ覚悟、己の歩むべき道である。
そんなとき――。
「ふ、太郎、よく言った。見直したぞ」
すぐそこの庭先に、旭山家の関係者ではない者がいる。
ひとみだ。
しかも彼女は、巫女装束姿で戦闘態勢をビシッと整えていた。
太郎は掃き出し窓を開けてひとみに問いかける。
「生徒会長! どうしてここに!」
「そこのスキンヘッドのおっさんから連絡を受けたものでな。これはよからぬ事が起きたと思い、慌てて駆けつけたのだ」
ノボルのことである。
彼は氷華の居場所を探すため、ひとみに連絡を入れていたのだ。
海水浴のとき、携帯の番号を交換していていたのだろう。
ノボルは厳鉄指示のもと、氷華の友だち関係をすべてチェックする。
「話はすべて聞いた。太郎、今すぐ敵陣に乗り込むぞ」
「ダメですよ! 相手はマフィアなのに、生徒会長を連れていけませんよ!」
「バカを言うな。神眼を宿した私に、恐れるものなどなにもない」
「でも……」
「でももへったくれもヘチマもクソもあるか。今は一刻を争う。さっさと敵陣へ案内しろ」
そこでノボルが沈黙を破った。
「俺が案内しよう。車に乗れ」
夜の帳はすでに下りていた。
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