第18話 ひとみの後悔 ※別視点
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
午前の十時を過ぎたころ。
神居ひとみは自室のベッドに潜り込んでいた。
ファミレスで太郎に相談を受けてから、すでに三日が経っている。
その三日間、ほぼこうしてベッドの中で後悔の念にかられているのだ。
「私はなんということをしてしまったのだ……」
自分の興味本位と、ただのイタズラのつもりだったのだ。
しかし、よくよく考えると軽率であったことは否めない。
そして、太郞が閻魔大王の息子と知り、これまで抱いていた疑惑にも合点がついた。
すべての業を背負う慈愛の中に垣間見える、恐怖をも感じる畏敬の念。
太郎は閻魔大王の後継者だからこそ、この神眼はそう感じ取ったのだ。
閻魔大王といえば、その起源は古代インド神話にまでさかのぼる。
その名もシヴァ神。
さらにさかのぼれば、世界最古の宗教、ゾロアスター教に登場する太陽王、『イマ』が発祥だという諸説もあるのだ。
自分は氷華の姿を借りて、そんな閻魔大王の息子にキスをしてしまった。
それが婚姻の証となり、本人の知らぬところで、氷華は太郎の妻になってしまった。
考えてみても答えが見つからない。
たかが十七年生きただけの小童(こわっぱ)巫女の自分に、どうにかできるレベルではなかった。
太郞には追って連絡すると言ったが、解決策など見出せるわけがない。
だからといって、真実を公にすることもできなかった。
なにせ、自分からキスを誘い、きっちりプロポーズまでやってのけたのだ。
口裂け女のように口が裂けたとしても、この秘密だけは墓場まで持っていく。
そんなとき――。
ひとみの自室のドアを、コンコンとノックする者がいた。
「母上か? すまんが今日も具合が悪い。昼飯なら父上と二人で食べてくれ」
この三日間、飯もろくに喉を通らない。
いや、本当はめちゃくちゃ腹が空いているのだが、神居家の面汚しのような気がして、両親に合わせる顔がなかった。
すると――。
「あ、俺です。太郞です。入ってもいいですか?」
ドアの向こうにいたのは、まさかの太郎だった。
ひとみはガバッと布団をめくり問う。
「太郎! おまえがなぜ私の家に上がり込んでいるのだ!」
「生徒会長のお母さんが入れてくれました。二階にいるからどうぞって」
「だからってノコノコ入ってくるバカがあるか! 私にも都合というものがあるのだぞ!」
「でも、生徒会長、全然電話に出てくれないじゃないですか。だから俺、こうして直接来たんですよ。とりあえず入ってもいいですか?」
「ちょ、ちょっと待て! 私がいいと言うまで絶対に入るな! 絶対だぞ!」
ひとみは室内に散らばった衣服を集め、それらを全部クローゼットの中に押し込んだ。
普段は綺麗に片付けているのだが、この三日間はなにもする気が起きなかったのだ。
カーテンと窓もひらき、悪しき穢れ(空気)を浄化し、部屋の隅々までチェックする。
それで準備完了と思いきや、自分は今パジャマ姿だった。
しかし、着替えている暇はない。
正確に言えば、この状態でクローゼットを開けてしまうと、パンパンに押し込んだ衣服がドバッと逆流してしまうのだ。
だから着替えている暇はない。
ひとまず、はだけた胸元のボタンを留め、姿見の前で軽く身だしなみを整えておく。
これで一応、準備完了だ。
「太郎、入ってもいいぞ」
「お邪魔します」
太郎はドアを開け、乙女のプライベート空間に足を踏み入れた。
そこでひとみは気がつく。
ベッドとフローリングの隙間に、ブラジャーの紐がチラッと見えているのだ。
「ダーーーーーーーーーーッ!!」
ひとみは謎のスライディングを華麗に決め、ブラジャーを奥の方に押しやった。
今度こそ、見られて困るような物はどこにもない。
「それで生徒会長、相談のことなんですけど、なにかいい方法は思いつきましたか?」
「話はあとだ。ちょっと茶を入れてくる。そこらへんに座って待っていろ」
話すことなどなにもないのだが、無下に追い返すのも気が引ける。
それに、客人を丁重にもてなすのが神居家のならわしだ。
ひとみは太郎を自室に待たせ、キッチンでその準備に取り掛かった。
そして、茶と菓子を用意し、自室に戻ったところ――。
「――ッ!!」
ひとみの目に信じられない光景が飛び込んできた。
なんと、太郎がタンスの前で膝をつき、パンツを頭から被っているのだ。
一番下の引き出しはひらかれている。
その下着収納スペースから、パンツを取り出しのだ。
しかも、それは神事のときに身に着ける、水玉模様の勝負パンツである。
「き、貴様! 私のパンツを被ってなにをしている!」
「す、すみません! ちょっとした出来心だったんです!」
太郎はハッと振り向き、頭に被ったパンツを脱ぎ捨て、両手をワナワナと震えさせた。
出来心もなにも、誰がどう見たって、プロの犯行としか思えない。
さすがのひとみもプッツン切れた。
「太郎! 覚悟はいいな! 今日が貴様の命日だ! うおおおおおおおおおおおおお!」
ひとみは盆を放り投げ、イノシシが祟り神になったような姿で猪突猛進。
そして、ヘッドバッドで太郎の脳ミソをぶちまけてやろうとしたところ――。
「わッ!」
まるでバナナの皮に足を滑らすように、ひとみはパンツに足を滑らせた。
太郎が今しがた被っていた、水玉模様のパンツである。
その勢いでひとみは前のめりに倒れ込み、抱き合うような形で太郎を床に押し倒す。
そしてあろうことか、偶然にも二人の唇が重なった。
互いで目を見開き、互いで見つめ合い、唇をブチュッと押し付け合う、ひとみと太郎。
一瞬、ひとみの思考が停止し、脳内で時も止まった。
実際、三秒も経過していないはずなのに、永遠とも思える長い時間に感じられた。
しかし、今キスをしている相手は、パンツを頭から被る変態のクズ。
そう自覚したところで、ひとみの時が動き出す。
「クッ! 帰れ! もう帰れ! おまえの顔など、二度と見たくない!」
ひとみは太郎を押し離し、立ち上がってドアに指を突きつけた。
「すみませんでした……」
太郞はしょんぼりと肩を落としてドアノブに手をかけた。
そんな彼に対し、ひとみはパンツを拾って投げつける。
穢れたパンツなど履けるわけがない。
「それを持っていけ! ほしいならくれてやる!」
「マジっすか! もらってもいいんですか! ありがとうございます!」
気落ちした様子は一変。
太郞は眩しいほどの笑顔でパンツを受け取った。
そして彼は宝物のようにそれを胸に抱き、軽い足取りで神居家をあとにした。
「あいつは本当に閻魔大王の息子なのか……。どこからどう見ても職務質問待ったなしの変態ではないか……。なんか……疲れたな……」
ひとみはどっと疲れを感じ、布団を頭から被ってベッドの中に潜り込んだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます