第18話 ひとみの後悔 ※別視点

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 午前の十時を過ぎたころ。

 神居ひとみは自室のベッドに潜り込んでいた。

 ファミレスで太郎に相談を受けてから、すでに三日が経っている。

 その三日間、ほぼこうしてベッドの中で後悔の念にかられているのだ。


「私はなんということをしてしまったのだ……」


 自分の興味本位と、ただのイタズラのつもりだったのだ。

 しかし、よくよく考えると軽率であったことは否めない。

 そして、太郞が閻魔大王の息子と知り、これまで抱いていた疑惑にも合点がついた。

 すべての業を背負う慈愛の中に垣間見える、恐怖をも感じる畏敬の念。

 太郎は閻魔大王の後継者だからこそ、この神眼はそう感じ取ったのだ。

 閻魔大王といえば、その起源は古代インド神話にまでさかのぼる。

 その名もシヴァ神。

 さらにさかのぼれば、世界最古の宗教、ゾロアスター教に登場する太陽王、『イマ』が発祥だという諸説もあるのだ。

 自分は氷華の姿を借りて、そんな閻魔大王の息子にキスをしてしまった。

 それが婚姻の証となり、本人の知らぬところで、氷華は太郎の妻になってしまった。

 考えてみても答えが見つからない。

 たかが十七年生きただけの小童(こわっぱ)巫女の自分に、どうにかできるレベルではなかった。

 太郞には追って連絡すると言ったが、解決策など見出せるわけがない。

 だからといって、真実を公にすることもできなかった。

 なにせ、自分からキスを誘い、きっちりプロポーズまでやってのけたのだ。

 口裂け女のように口が裂けたとしても、この秘密だけは墓場まで持っていく。

 そんなとき――。

 ひとみの自室のドアを、コンコンとノックする者がいた。


「母上か? すまんが今日も具合が悪い。昼飯なら父上と二人で食べてくれ」


 この三日間、飯もろくに喉を通らない。

 いや、本当はめちゃくちゃ腹が空いているのだが、神居家の面汚しのような気がして、両親に合わせる顔がなかった。

 すると――。


「あ、俺です。太郞です。入ってもいいですか?」


 ドアの向こうにいたのは、まさかの太郎だった。

 ひとみはガバッと布団をめくり問う。


「太郎! おまえがなぜ私の家に上がり込んでいるのだ!」

「生徒会長のお母さんが入れてくれました。二階にいるからどうぞって」

「だからってノコノコ入ってくるバカがあるか! 私にも都合というものがあるのだぞ!」

「でも、生徒会長、全然電話に出てくれないじゃないですか。だから俺、こうして直接来たんですよ。とりあえず入ってもいいですか?」

「ちょ、ちょっと待て! 私がいいと言うまで絶対に入るな! 絶対だぞ!」


 ひとみは室内に散らばった衣服を集め、それらを全部クローゼットの中に押し込んだ。

 普段は綺麗に片付けているのだが、この三日間はなにもする気が起きなかったのだ。

 カーテンと窓もひらき、悪しき穢れ(空気)を浄化し、部屋の隅々までチェックする。

 それで準備完了と思いきや、自分は今パジャマ姿だった。

 しかし、着替えている暇はない。

 正確に言えば、この状態でクローゼットを開けてしまうと、パンパンに押し込んだ衣服がドバッと逆流してしまうのだ。

 だから着替えている暇はない。

 ひとまず、はだけた胸元のボタンを留め、姿見の前で軽く身だしなみを整えておく。

 これで一応、準備完了だ。


「太郎、入ってもいいぞ」

「お邪魔します」


 太郎はドアを開け、乙女のプライベート空間に足を踏み入れた。

 そこでひとみは気がつく。

 ベッドとフローリングの隙間に、ブラジャーの紐がチラッと見えているのだ。


「ダーーーーーーーーーーッ!!」


 ひとみは謎のスライディングを華麗に決め、ブラジャーを奥の方に押しやった。

 今度こそ、見られて困るような物はどこにもない。


「それで生徒会長、相談のことなんですけど、なにかいい方法は思いつきましたか?」

「話はあとだ。ちょっと茶を入れてくる。そこらへんに座って待っていろ」


 話すことなどなにもないのだが、無下に追い返すのも気が引ける。

 それに、客人を丁重にもてなすのが神居家のならわしだ。

 ひとみは太郎を自室に待たせ、キッチンでその準備に取り掛かった。

 そして、茶と菓子を用意し、自室に戻ったところ――。


「――ッ!!」


 ひとみの目に信じられない光景が飛び込んできた。

 なんと、太郎がタンスの前で膝をつき、パンツを頭から被っているのだ。

 一番下の引き出しはひらかれている。

 その下着収納スペースから、パンツを取り出しのだ。

 しかも、それは神事のときに身に着ける、水玉模様の勝負パンツである。


「き、貴様! 私のパンツを被ってなにをしている!」

「す、すみません! ちょっとした出来心だったんです!」


 太郎はハッと振り向き、頭に被ったパンツを脱ぎ捨て、両手をワナワナと震えさせた。

 出来心もなにも、誰がどう見たって、プロの犯行としか思えない。

 さすがのひとみもプッツン切れた。


「太郎! 覚悟はいいな! 今日が貴様の命日だ! うおおおおおおおおおおおおお!」


 ひとみは盆を放り投げ、イノシシが祟り神になったような姿で猪突猛進。

 そして、ヘッドバッドで太郎の脳ミソをぶちまけてやろうとしたところ――。


「わッ!」


 まるでバナナの皮に足を滑らすように、ひとみはパンツに足を滑らせた。

 太郎が今しがた被っていた、水玉模様のパンツである。

 その勢いでひとみは前のめりに倒れ込み、抱き合うような形で太郎を床に押し倒す。

 そしてあろうことか、偶然にも二人の唇が重なった。

 互いで目を見開き、互いで見つめ合い、唇をブチュッと押し付け合う、ひとみと太郎。

 一瞬、ひとみの思考が停止し、脳内で時も止まった。

 実際、三秒も経過していないはずなのに、永遠とも思える長い時間に感じられた。

 しかし、今キスをしている相手は、パンツを頭から被る変態のクズ。

 そう自覚したところで、ひとみの時が動き出す。


「クッ! 帰れ! もう帰れ! おまえの顔など、二度と見たくない!」


 ひとみは太郎を押し離し、立ち上がってドアに指を突きつけた。


「すみませんでした……」


 太郞はしょんぼりと肩を落としてドアノブに手をかけた。

 そんな彼に対し、ひとみはパンツを拾って投げつける。

 穢れたパンツなど履けるわけがない。


「それを持っていけ! ほしいならくれてやる!」

「マジっすか! もらってもいいんですか! ありがとうございます!」


 気落ちした様子は一変。

 太郞は眩しいほどの笑顔でパンツを受け取った。

 そして彼は宝物のようにそれを胸に抱き、軽い足取りで神居家をあとにした。


「あいつは本当に閻魔大王の息子なのか……。どこからどう見ても職務質問待ったなしの変態ではないか……。なんか……疲れたな……」


 ひとみはどっと疲れを感じ、布団を頭から被ってベッドの中に潜り込んだ。


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