第13話 神眼のひとみ(その一) ※別視点

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 生徒会長の神居ひとみは、廊下に面した窓から二年B組の教室を覗き込んでいた。

 昨日、太郞から相談を受け、旭山氷華をこうして観察しているのだ。

 時は昼休み。

 氷華は窓際最後尾の席に座り、一人で小説と思しき本を読んでいる。

 しばらくこうして見ているのだが、彼女に話しかける生徒は誰もいない。

 仲のよい者同士で数人のグループを形成し、各々がおしゃべりに花を咲かせている。

 氷華が孤立しているというのは紛れもない事実だ。

 ただ、双方がそれを意識している様子は見られない。

 生徒らは陰口を叩くわけでもなく、氷華もまた、粛々と本のページに目を通していた。

 これが日常の風景なのだろう。

 そして、ひとみは氷華を観察してわかったことがある。

 己の神眼で捉える彼女の体には、ドス黒いオーラのようなものが漂っていた。

 これは憑き物だ。

 彼女は憑き物からの呪縛を受けているのだ。

 それだけではない。

 憑き物の力はクラス全体に伝播し、その負の作用のせいで、生徒らは無意識のうちに氷華を遠ざけている。

 ヤクザの娘どうこう抜きにして、彼女が孤立するのも無理はなかった。


「これはやっかいだな」


 チッ、と舌打ちを鳴らしてひとみはつぶやいた。

 なにせ、憑き物の正体は生きた人間の霊魂――つまり生霊だ。

 地縛霊のような低級霊とは違い、生霊は対象者以外の人間には取り憑かない。

 言い返せば、それだけ執着心が強いということだ。

 しかも、この生霊の念の力は強固にして絶大。

 対象者の氷華一人だけにはとどまらず、クラス全体に悪影響を及ぼしている。

 近年稀に見る、Sランク相当の生霊と言えるだろう。

 そんな鑑定を下したひとみではあるが、魔法使いでもなければ霊能力者でもない。

 宮司の娘として生を受け、幼いころから神職に携わる巫女である。

 実家の神社の祭神は、出雲大社と同じく大国主神おおくにぬしのかみ、日本をつくった神様だ。

 神に身を捧げるひとみのまなこには、生まれながらにして大国主神の力が宿っている。


「一番の謎はこいつだ」


 ひとみはすっと視線を移した。

 氷華の隣の席、その机でうつ伏せとなり、鼻ちょうちんを膨らませて寝ている太郎。

 人間でないのは確かだろう。

 かといって、あやかしや悪霊の類とは大きく異なる。

 なぜなら、太郎は日本神話に登場する神にも似た格式を持っているからだ。

 あの全身からみなぎる、恐ろしいまでの畏敬のオーラ。

 間違いなく、神の中でもトップクラスの格式を持つ。

 仏教で例えるなら不動明王に近い気もするが、己の神眼はそうではないと言っている。

 そもそも、不動明王の別名は、インド神話に登場するシヴァ神。

 そのような位の高い神が、人間界に降りてくるとは考えにくい。

 それなのに、不動明王クラスの格式を持つ太郎が、こうして人間界に降り立っている。

 謎は深まるばかりだ。

 ひとまず、太郎についての疑問は先送りし、氷華の憑き物落としを優先しなければならない。

 この状態を放置したままでは、彼女の精神にまで支障をきたす可能性があるからだ。

 そんなところに、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。


「なに! もうこんな時間か! 急がねば!」


 生徒会長でありながらたまに遅刻するひとみは、全速力で廊下を突っ走って校則を破り、午後からの授業にギリギリセーフで滑り込んだ。




 住宅街のど真ん中。

 そこだけ樹木がこんもりと生い茂った場所に、神居神社がやしろを構えている。

 社殿じたいはそう大きなものではなく、一般的な民家よりもひと回り小さいぐらいだ。

 老人は散歩のついでに参拝し、小学生は学校の帰りに境内を駆けずり回る。

 どこの街にでもあるような、近所の住民のちょっとした憩いの場、それが神居神社である。

 その敷地内にひとみの自宅が佇んでいた。

 古めかしい神明造の社殿とは違って、ごくごく普通の二階建ての家屋だ。

 ひとみは学校から帰宅するやいなや、二階の自室で太郎に電話をかけることにした。

 制服のままベッドに腰をかけ、スマホに登録した太郎の番号を呼び出す。


『しもしも?』


 太郞はすぐに出た。

 最近の高校生にしてはギャグのセンスが古い。

 やはりこいつは見た目以上に年を食っている。


「私だ。神居ひとみだ」

『ああ、生徒会長でしたか。こんな晩飯時にどうかしましたか?』


 ひょうひょうとしゃべる太郞に、ひとみは少し恐れおののいた。

 自分は今、人間を超越したなにかの存在と会話をしているのだ。

 それを自覚しなければならない。


「旭山の件だが、わかったことがある。彼女は生霊に取り憑かれている。それも、とてつもない力を持った生霊だ。旭山が孤立していたのは、それに起因するところが大きい。あのままでは、旭山の精神と体は生霊にむしばまれていくだろう」

『マジっすか!! 氷華は生霊に取り憑かれてたんですか!!』


 ひとみは思わずスマホを耳から遠ざけた。

 電話越しから唾が飛んできそうな勢いだ。


「とりあえず、今から私の家に旭山を連れてきてくれ。彼女の憑き物を落とさねばならん」

『どうやって落とすんですか? 石鹸で洗ったぐらいじゃ落ちないと思いますよ?』

「私はこれでも巫女だ。私のやり方で憑き物を落とす」

『生徒会長、巫女だったんですか!! それってもう、最強のキャラ設定ですよ!!』


 ひとみはまたスマホを耳から遠ざけた。

 あまりの大声で、リアルにスマホの強化ガラスにヒビが入っている。

 このスマホは買ったばかりだ。

 しかも、親のお古のガラケーから買い替えた、人生初のスマホだったのだ。

 ひとみは今にも爆発しそうな怒りを堪え、プルプルと震える手で話を続けた。


「わ、私の家は……『神居神社』の敷地内だ……。旭山に訊けば場所はわかるだろう……」

『わかりました! 今すぐ氷華を連れて行きます! って、ケルベロス! 勝手に俺のカレー食ってんじゃねーよ! 犬コロのおまえはドッグフードでも食ってろ!』


 ドタバタと慌てた様子で通話が切れた。

 どうやら、ケルベロスという名の飼い犬に、カレーライスを横取りされてしまったらしい。

 神と同等の格式を持つくせに、飼い犬のしつけもできないとは笑止千万。

 この様子では、それほど警戒する必要はないだろう。

 それに、知能もそれほど高いとは思えない。

 なにせ、オタク丸出しの自己紹介でクラスをドン引きさせたのだ。

 おまけに自分で書いたネット小説のタイトルまで明かしたという。

 物は試しと思い、ひとみはその小説を読んでみた。

 だが、めちゃくちゃな内容の設定がそこには綴られていた。

 大まかに要約するとこうだ。

 主人公は剣と魔法の世界に転生し、魔王を倒すための冒険に出発、その旅の途中で数々のヒロインと出会い、ハーレムを築くというファンタジー小説である。

 やや陳腐な設定に感じるものの、問題はそこではない。

 一番の問題は、主人公が冒険初日にして、百人のハーレムを築き上げたということだ。

 この時点で設定がぶっ飛んでいる。

 しかも、一話ごとに各ヒロインと朝チュン(セックス)し、百話までそんなどうでもいい話が延々と続く。

 そこまでが第一章だ。

 そして第二章では、さらにヒロインが二百人に増え、朝チュンを繰り返すという無間地獄。

 そんな百万文字を超える長編小説を、最新話まで読んでしまった自分が恥ずかしい。

 おまけにブックマーク登録し、感想欄にコメントまで残してしまった。

 ひとみは性格上、なにごとも中途半端を嫌う。

 それゆえ、評価ポイント0の、誰も見向きもしない、超絶不人気作に最後まで目を通してしまったのだ。


「私はなにをやっているのだ……」


 ひとみは自分の性格にほとほと嫌気がさしつつ、割れたスマホで最新話をチェックした。

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