第9話 学校初日で大失敗
太郞が旭山家にお世話になってから、二週間が過ぎた。
そして、とうとう人生初の登校日がやってきた。
日本古来より伝わる、由緒正しき学生服に着替えも済ませてある。
夏用なので学ランは着ていないが、白いシャツと黒いズボンというスタイルだ。
肩から下げた学生カバンの中には、教科書や弁当が入っており、準備はすべて整っている。
それと厳鉄には内緒だが、志麻にはスマホも買ってもらった。
あとは夢と希望とロマンに満ちた学園生活を目指して突き進むのみ。
「ほら行くよ、太郞」
「おう!」
氷華に誘われ、太郞も元気よく玄関を出た。
風でも吹けばパンツが見えそうな短いスカート、そして背中から透けるブラ線。
そんな氷華のセーラー服姿がまたエロい。
しかし残念なことに、晴れ渡る空はとても穏やかで、そよ風ひとつ吹く気配はなかった。
ましてやバナナの皮が落ちているわけでもない。
これではパンチラは期待できないが、氷華のケツを眺めるだけでもじゅうぶんだ。
と思いつつ、太郞は奇跡の一瞬を逃さぬよう、食い入るようにして彼女のあとに続いた。
住宅街や商店街を歩くこと三十分。
ラッキースケベはなにひとつ起こらないまま学校に辿り着いた。
学校の名前は『桃色吐息学園』。
小高い丘の中腹に位置した学校で、安田講堂のように時計台がそびえている。
校舎の正面にはグラウンドが広がり、野球部の連中が朝練の後片付けに追われていた。
そんな光景を目にすると、いよいよ学校に来たんだな、という実感が沸き、太郞はワクワクと胸を弾ませた。
昇降口玄関で上履きに履き替えたのち、氷華と共に二年B組の教室に足を運ぶ。
彼女とは同じクラスだ。
太郞も学園生活にはいささか不安を感じていたので、氷華と一緒ならなにかと心強い。
「ここがあんたの教室。席はあたしの隣。でも、あんまりあたしに話しかけないほうがいいわよ」
氷華はぶっきらぼうに忠告すると、後方のドアを開けて窓際最後尾の席に着いた。
そして彼女は小説らしき文庫本を広げ、自分の殻に閉じこもる。
女の子の日かなにかで機嫌が悪いのかもわからない。
ひとまず太郞は右隣の席に座り、ホームールがはじまるを待つことにした。
「ねえ、あれ誰?」
「転校生じゃないの?」
「なんだか頭の悪そうな顔してるわね」
教室の片隅で、こちらをチラチラと伺いながら密談を交わす女子生徒たち。
聞こえないように話しているつもりでも、地獄耳の太郞には筒抜けである。
事実、頭はよろしくないので、それほどショックを受けることはない。
というか、登校するまでは、黄色い歓声を期待していた。
「転校生かよ」
「あいつ、見た目ちょっと怖くね?」
「だけど、頭は悪そうな顔してるぞ」
男子生徒のひそひそ話も聞き届く。
どうやら頭が悪そうなところは共通認識であるらしい。
そこはどうでもいいのだが、太郞はふとあることに気がついた。
クラスのみんなは朝の挨拶を交わしているというのに、氷華に「おはよう」と声をかける者は誰一人としていないのだ。
ただ、それはイジメの雰囲気とは異なり、どこかビクついた態度にも見受けられた。
もしクラスに一人だけ凶暴なヤクザがいたとしたら、こんな空気になるのかもしれない。
「ハッ!」
そこで太郞はハッと思い出す。
氷華はヤクザの、それも組長の娘として恐れられているのだ。
彼女自身、学校ではいつも一人ぼっちだと言っていたし、現にこの状況がそれを物語っている。
「おい、氷華、いいのかよこれで」
太郞はひそひそ声で訊いてみる。
いくらヤクザの娘であっても、本人はヤクザとは違うのだ。
すると彼女は、文庫分に視線を落としたままでこう答えた。
「いいわけないでしょ。でもしかたないじゃん。あたしがどうにかできるわけないし」
氷華はこんな学校生活を続けていたのだ。
それでも彼女は、休むことなく、ぶち切れることもなく、真面目に学校に通っている。
本当はみんなと仲良くしたいからこそ、こうして一人で耐え忍んでいるのではないか。
しかし、親がヤクザである以上、そのレッテルは簡単には拭えない。
仮に氷華が総理大臣の娘だとしても、世間はそういう目で見るだろう。
つまり、善人であろうが悪人であろうが、子どもは親の看板を背負う羽目になるのだ。
これはなかなか難しい問題だけに、太郞にも解決策は思い浮かばなかった。
そうこうしているうちに、担任の先生が教室にやってきた。
定年間近といった、ひ弱な感じの男性教師だ。
小学生とケンカをしても負けそうなので、彼にクラスの問題を解決する力はないだろう。
そんな担任に促され、太郞は自己紹介をすることになった。
やや緊張しつつもすっと席を立ち、「ウホン」、と咳払いをひとつ。
そして、寝る間も惜しんで考え抜いた、渾身の自己紹介を解き放つ。
「ホニャララ太郞といいます。趣味は深夜アニメの観賞や、ギャルゲー、エロゲーをプレイすることです。読書も大好きで、よくラノベを読んでいます。読むだけでは飽き足らず、『なろう』と『カクヨム』に自作のラノベを掲載しています。タイトルは、『トラックに轢かれてハーレムワッショイ』という異世界転生もので、ペンネームは『チーレム太郞』です。ググればすぐわかるので、もしよかったら読んでみてください。転校生でまだわからないことばかりですが、みなさんどうぞよろしくお願いします」
最後にペコリとお辞儀をし、太郞は満足げに席に着いた。
ホニャララという仮の名字で素性を隠した、非の打ち所のない完璧な自己紹介である。
これなら黄色い歓声がキャーキャー飛んできてもおかしくはない。
ちなみに、小説投稿サイトに小説を掲載しているのは事実だ。
すると――。
「きんもー」
「チーレム太郞だってよ」
「こいつ、アホじゃね?」
「よくこんな気持ち悪い自己紹介できるわね」
「死ね。地獄に堕ちろ」
教室のいたるところで罵詈雑言が囁かれた。
とくに最後の生徒の言葉は、心にグサッと突き刺さるほど辛辣だ。
担任もやれやれとため息を漏らし、氷華は「なにやってんのよバカ」と一言つぶやいた。
ただ、一人だけ感心したような眼差しを向ける者がいた。
太郞の右隣の席に着く、黒縁メガネをかけた小柄な男子生徒だ。
どこかオタク臭を発しているので、共感めいたものがあったのかもしれない。
しかし、自己紹介が失敗したことに変わりはない。
太郞は目尻にブワッと涙を浮かべ、敗残兵のようにがっくりと肩を落とした。
誰にも話しかけられることなく放課後となり、太郞は氷華と一緒に帰ることにした。
今日は散々な一日だった。
自己紹介は黒歴史に終わり、気まずさから休み時間はずっとトイレの個室にいた。
弁当もそこで食べたのだが、ご飯の上にはケチャップでハートマークが描かれていた。
オムライスではなく、鮭弁当のご飯の上にデコレーションされていたのだ。
その気持ち悪い弁当を作ったのは菊代ばあさんだ。
一応、感謝して食べたものの、歪んだ愛情が感じられた弁当だった。
とりあえず、すべてにおいて最悪の一日である。
「俺さ、氷華の気持ちがわかったような気がする」
太郞は夕暮れの商店街を歩きながら、氷華の背中に向けて語りかけた。
そこらを駆け回るちびっ子とは違って、太郞の心はどんよりと落ち込んでいる。
すると氷華は、「なにが?」と、こちらを振り返らずにそっけなく聞き返す。
「友だちもいなくて一人ぼっちってこと。今日の俺がまさしくそれじゃん」
太郞はぼうっと空を眺めながらそう答えた。
沈黙を一泊置いたのち――。
「あんたにあたしのなにがわかるのよ!」
氷華は髪を跳ね上げて振り返り、語気を荒げて言い放つ。
さらに彼女は堰を切ったように激情を吐き出した。
「小学校、中学校、高校まで友だちなんて誰もできなかった! 友だちのフリをしてくれる子はいたけど、それでも嬉しかった! そんな子たちもヤクザの組長の娘から離れていった! 遊びに行けば、お父さんの部下の監視がつくし当然よ! あたしはそんな生活をずっと続けてきたの! 初日でつまずいたからって、ふざけるんじゃないわよ! あんたにあたしの気持ちなんて、わかるわけないじゃない!」
氷華は唇をギュッと噛み締め、今にも零れ落ちそうな涙をその瞳に湛えた。
「ひょ、氷華……」
太郎は返す言葉が見つからない。
自分はたった一日、独りぼっちを味わっただけなのに、彼女が積み重ねた孤独を理解できるはずもなかった。
軽々しく口にしてはいけないことを、相手の気持ちも考えずに吐露してしまったのだ。
今すぐにでも、ごめん、と謝りたい。
しかし、そんな謝罪の言葉すら軽々しく思えて、太郞は黙りこくるしかなかった。
すると――。
氷華は手の甲で涙を拭い、くるりと背を見せた。
そして、ついてくるなと言わんばかりに、商店街の中を走り去っていく。
茜色に染まるアスファルトには、そんな彼女の長い影が落ちていた。
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