第6話 尿漏れババアのパンツで変態仮面

「オラ! しっかり働かんかい! クソガキが!」

「は、はい……」


 厳鉄の指示の元、太郞は朝っぱらから廊下の雑巾がけをやらされていた。

 この家にお世話になってから、一週間は経っている。

 氷華はというと学校に通っているので、顔を合わすのは朝と帰宅してからだけだった。

 食事などは住み込みのばあさんがつくってくれていた。

 いかつい組員たちと無言の気まずい朝食を済ませたあとは、この広い家の掃除が待っている。

 朝から晩まで掃除や雑用が続くのだ。

 それに太郞の部屋は、一階の物置き部屋のようなところで独房のごとく狭かった。

 組員のお下がりと思われる継ぎはぎだらけのジャージを着せられ、これではまるで丁稚奉公だ。

 氷華と交際しているという嘘もバレたし、彼氏という権限はもう通用しない。


「おいコラ! そこちゃんと拭けや! 汚れとるだろが! 雑巾がけの次はワックスがけだ!」

「は、はい……」


 厳鉄は仕事に出かけることもなく、旭山家の癌とも言わんばかりに太郞を四六時中見張っていた。

 三日前には、掃除をしているときに花瓶を割ってしまい、鉄拳制裁も受けた。

 昨日は夜中に叩き起こされ、意味もなく腕立て伏せを百回やらされた。

 どこの軍隊だよ、と思う太郞だが、指揮官の命令は絶対だ。

 今日も迷彩服姿の指揮官は、木刀を片手にあれこれと太郞に命令している。

 気が休まる暇はない。


「く~ん」

「お! ポチか! ポチはかわええのう!」


 そんなところに、ケルベロスがちょこちょこと歩いてきた。

 厳鉄の足元に擦りより、愛くるしさをアピールしまくっている。

 ポチと呼ばれ、かわいがられるケルベロスもまんざらではない様子だ。

 コンビーフの缶詰や、ビーフジャーキーと、人間が食べるような餌を毎日与えられているからだろう。

 地獄界では残飯が餌だったので当然ともいえた。

 おまけに今日の太郞の朝食は、そっけない精進料理のようなものだったが、ケルベロスは霜降りステーキを食べていた。

 納得がいかない。


「よし、次は洗濯だ! 俺はポチの散歩に行ってくるからな! サボるんじゃないぞ!」

「は、はい……」


 厳鉄はケルベロスを連れて家を出たので、太郞は言われたとおりに洗濯を開始する。

 洗濯をする場所は脱衣所だ。

 脱衣所に設置された洗濯機で、組員たちのジャージやパンツを洗うのである。

 住み込みの組員が十名ほどいるので、洗濯するのも楽ではない。

 ちなみに、この家には風呂場が二ヵ所あり、その一つは厳鉄の家族専用となっている。


「こ、これは……」


 脱衣所でせっせと洗濯をはじめる太郞だが、とんでもないものを発見した。

 洗い物が詰め込まれた洗濯カゴの中に、女もののパンツが一枚混ざっている。

 黒色のレース柄のパンツだ。

 太郞はパンツを手に取り考える。

 このセクシーなパンツは、氷華か志麻のものではないのか。

 なにかの間違いで、パンツがここに紛れ込んだのかもわからない。

 氷華のパンツであればもちろんウェルカム。

 神社で出会ったときは妖怪にしか見えなかったが、氷華はとてもかわいいし太郞の好みの女の子でもある。

 これが志麻のパンツだったとしても、まったく問題はない。

 志麻の年齢は定かではないが、どう見ても氷華の姉にしか見えない若々しさだ。

 そこに大人の魅力が加わり、麗しさをかもし出している。


「だ、大丈夫だよな……? 誰も見てないよな……?」


 太郞は興奮しながらも冷静沈着に脱衣所の中を確認した。

 幸い、近くに人影はなく、フラグになるような物も見当たらなかった。

 釘バットや鎖鎌、ハンマーに拳銃といった危険なアイテムが、もしここに一つでもあれば断念しただろう。

 太郞が今からおこなおうとしている行為は、大変危険なものだった。

 一度は夢見た行為、パンツを頭から被るという変態マスクマンだ。

 これではオタクを遙かに超越し、犯罪者の道に片足を突っ込んでいる。

 しかし、太郞は高まる衝動を抑えることができなかった。

 先日、あと一歩のところで、氷華のクマさんパンツを頭から被ることができたのだ。

 それが悔やまれるだけに、この絶好のチャンスを逃してはならない。


「や、やってやるぜ……俺は変態マスクマンになってやるんだ……」


 太郞は震える手でパンツを広げた。

 そして、人間をやめるつもりで、頭からパンツをゆっくりと被っていく。

 厳密には人間ではないが、仮面を被るときはそれなりの覚悟が必要というものである。

 そして――。

 パンツ、装着完了。


「すぅ~、すぅ~、すぅ~~~~~~~~~~」


 鼻から思いっきり息を吸う。

 すると、酸っぱいようなツンとした匂いが鼻孔をくすぐった。

 だが、氷華や志麻のパンツだと思えば、その匂いさえもアロマテラピーと化す。

 やってしまった。

 とうとう越えてはならない一線を越えてしまった。

 もう引き返すことのできない領域(変態)へと足を踏み入れた瞬間だ。


「どれどれ……」


 己の姿はどう映るのか、それを確認するため、太郞は洗面台の鏡の前に立った。

 するとそこには、自分でも泣けてくるような変態の姿が映し出されている。

 しかし、これは氷華、もしくは志麻のパンツであり、香しい匂いも染みついている。

 そんなお宝アイテムと一体化できて、太郞は股間から沸々と満足感が込み上げてきた。

 そんなとき――。

 ガラガラガラ。

 と、脱衣所の引き戸が解き放たれ、そこからひょっこり顔を覗かせる者がいた。

 よく見ると、それはこの家に住み込みで働く、食事係のばあさんだった。

 腰の曲がったしわくちゃのばあさんで、みんなからは『菊代ばあさん』と呼ばれている。


「……………………」


 太郞は変態マスクマンのままで棒立ちとなり、股間からサーっと血の気が引いていく。

 そして悟った。

 このフラグの成立は、ある意味、最悪の展開だということを。


「あんれまあ~。わしのパンツを被って、なにをしておるんじゃ? 最近は尿漏れがひどくてのう。ばっちぃからやめんさい。ほな、洗濯頑張るんじゃよ。ムフフフ」


 そして菊代ばあさんは、少し頬を染めて脱衣所をあとにした。

 太郞の予感はズバリ的中。

 このツンとした臭いは、菊代ばあさんのおしっこだったのだ。

 そんな生物兵器に等しい汚臭を、肺の隅々にまで行き渡らせてしまった。

 おそらく、なんらかの形で後遺症が残ることだろう。

 太郞はあまりのショックでパンツを外すことも忘れ、老人のように枯れた姿で洗濯を続けた。

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