第5話 ヤクザの家に居候

 気がつくと太郞はベッドの上に寝かされていた。

 体中のあちこちがズキズキとうずき、顔はボンボンに腫れている。

 三途の川を半分渡ったのは覚えているが、どうやら生きて戻ってきたらしい。


「ねえ、大丈夫?」


 氷華が心配したように覗き込む。

 今すぐ入院させてくれと言いたいところだが、太郞は彼女の口から出た言葉を思い出す。


「なあ氷華、俺はいつからおまえの彼氏になったんだ?」

「ああでも言わなきゃ、本当に殺されてたわよ。あれだけ自信満々だったくせに、あんたって弱いのね」


 そこが太郞にもわからない。

 サンドイッチしか食べていないとはいえ、それが弱体化の理由とは考えられなかった。

 むしろ、親のしつけが厳しいだけに、飯抜きの罰などはよく受けていた。

 それでも体に異常はなかったし、業火の力も普通に使えていたのだ。


「おい太郞、もしかして神社の水を飲んだせいじゃないのか?」


 そこでケルベロスが枕元から問いかける。

 たしかにこの冥府の番犬は鼻が利く。

 だからこそ、手水場の水から異変を感じ取り、それを飲もうとはしなかったのだ。

 かたや太郞はその水をガバガバと口にした。

 それでも、今のところお腹を壊した様子は見られなし、オナラも快調に放出できた。

 ゆえに、太郞には弱体化の原因が皆目見当もつかなかった。

 すると、氷華が小バカにしたように眉間にシワを寄せた。


「神社の水って、まさか手水場の水を飲んだの?」

「ダメなのか? 俺には綺麗な水にしか見えなかったぞ?」

「綺麗とか汚いとかじゃなくて、手水場の水は穢れを清めるための水なのよ?」

「それは知ってるけどさ、俺の体はそこまで穢れてねーし」

「バカ言うんじゃないわよ。あんたは頭の隅々まで穢れまくりでしょ」

「……………………」


 太郞はなにも言い返すことができず、しょんぼりと口をつぐんだ。


「それに、閻魔大王と神社と神様って、なんか正反対な感じがするし、それが関係してるんじゃないの?」


 氷華の言うとおりかもわからない。

 閻魔大王は古代ペルシアを起源とする古い神格であり、神道とはまるで系列が違うのだ。

 相反する神というわけではないが、手水場の水が負の作用をもたらしたとも考えられる。

 それでも太郞はさして気にもとめなかった。

 あくまでも飲んだのはただの水であり、毒を飲んだわけではないのだ。

 いずれ業火の力も回復するだろう。


「ところであんた、これからどうするの? 行くあてはあるの? てか、なんで家出することになったのよ?」

「父ちゃんにエロゲーがバレて、パソコンぶっ壊された。それで頭にきて家出した」

「あんたバカじゃないの? 閻魔大王の息子がエロゲーはないでしょ、エロゲーは」

「いいだろ……エロゲーぐらい……」


 プレイしていたエロゲーは18禁なので、高校生が遊んでいいようなものではない。

 しかし、いくら見た目の年齢が高校生とはいえ、太郞の実年齢は百歳を超えている。

 ゆえに、18禁のゲームをプレイしてもなんら問題はない。

 だからこそ太郞は、『JK陵辱恋物語2』で鬼畜の限りを尽くしていたのだ。

 ちなみに、シリーズをすっ飛ばして購入してしまったので、第一作目はプレイしたことがない。

 そこが悔やまれるところだ。

 そんなとき――。

 氷華の部屋のドアをコンコンとノックする者がいる。


「ま、まさか! あの化け物オヤジが戻ってきたんじゃ!」


 今、横になっているのは、氷華のベッドだ。

 そんなところを目撃されては今度こそ本当に殺される。

 太郞は全身打撲の痛みも忘れ、光の速さでフローリングの床にビシっと正座した。


「氷華、ちょっといいかしら?」


 だが幸いにも、ドア越しから聞こえてくるのは女性の声だ。

 氷華に訪ねたところ、その者の正体は母親とのことだった。

 太郞は一応、人的被害はないのかも訊いてみたのだが、母親にその心配はないらしい。

 すると氷華はドアを開け、母親を室内に招き入れた。


「はじめまして~、母の志麻です~、娘がいつもお世話になっているようで~、オ~ホホホホホ~」


 母親は満面のスマイルを浮かべ、口元に手の甲を添えてほがらかに笑い声を上げた。

 なんだが逆に恐ろしい。

 それでも見た目は美しく、ストレートの黒髪が肩下あたりまで伸びている。

 白いワンピース姿も可憐に映り、氷華の姉かと思うほどの若々しさを保っていた。

 とりあえず太郞は、やや警戒しつつ挨拶を交わしておく。


「はじめまして……俺は太郞です……」

「あら、太郞君って言うの~、今どきの子にしては珍しい名前ね~、オ~ホホホ~」

「おたくの娘さんにもバカにされました……」

「バカにしたわけじゃないと思うわよ~、だって、二人は付き合ってるんでしょ~?」

「ま、まあ……」


 太郞は気まずいながらも話を合わせておいた。

 とりあえず、この状況さえ乗り切れば命だけは助かる。


「バカにしたように見えても、それは愛情表現のうちなのよ~、ねえ? 氷華?」

「ま、まあ……」


 太郞と同じく、氷華も気まずそうに応えた。

 母親の頭の中は軽そうなのだが、室内の空気はとんでもなく重い。


「氷華の彼氏って聞いてびっくりしたのよ~。うちの子にもとうとう彼氏ができたんですもの~。お父さんは死ぬほど号泣してたけど~。オ~ホホホ~」

「そのまま死んでくれると助かるんですけどね……」


 太郞は話を合わせながらも帰る隙をうかがっていた。

 今、目の前にいるのは、普通の主婦でなく極道の妻なのだ。

 あの化け物の女房だけに、それ以上のパワーを秘めている可能性すら考えられた。

 太郞の家もそうである。

 泣く子も黙る閻魔大王とて、妻の万寿には頭が上がらない。

 とにかく、この家にいること自体が危険なのだ。

 氷華との約束は守れなかったが、なによりもまず、己の命を最優先しなければならない。


「ねえ、お母さん、太郞をこの家に居候させてあげることできない?」

「太郞君をこの家に?」

「うん、ちょっとした事情で、行くあてがないんだって。ダメかな?」


 隣に座る氷華はとんだ暴挙を口にした。

 居候とはすなわち同居、この家で一緒に暮らすことを意味する。

 氷華にとっては哀れな捨て犬を保護する心境かも知れないが、こちらにとってはクマ牧場に放り込まれたシャケの心境だ。

 そんな救いのない提案は、間違っても受け入れることはできない。

 しかし太郞はよく考えてみる。

 厳鉄という化け物がいるとはいえ、ホームレス生活よりはマシだろう。

 地獄界に帰るつもりはまったくないし、仕事を見つけてお金を貯めてからでもこの家を出るのは遅くはない。

 なにせ太郞はビタ一文持ち合わせてはいないのだ。

 それに氷華は友達もいなく一人ぼっちだと言っていた。

 そんな彼女の提案だけに、友達がほしいのかもわからない。


「部屋ならいくらでも空いてるし、大丈夫じゃないかしら? お父さんにも私からお願いしておくわね。オ~ホホホ~」


 あっさりと許可は下りた。

 ならば、ひとまずこの流れに乗るのも悪くはない。

 父親の存在は目の上のたんこぶではあるが、寝込みを襲ってボコボコにしてやればいいのだ。

 それで父親が大人しくなれば、この家を出るまでは順調に事が運ぶ。

 太郞はそう考え、居候の提案を受け入れることにした。


「太郞! よかったじゃん!」

「いってーーーーーーーッ!」


 氷華は喜色満面、太郞の肩をバシンと叩く。

 太郞は体中に激痛が走り、蛇のようにのたうち回った。

 そこで、ケルベロスが愛らしく「く~ん」と鳴く。


「あら? な~に、この子犬! かっわいいい~!」


 志麻はくったくのない顔を浮かべると、ケルベロスの頭をよしよしと撫でた。

 ケルベロスはベッドの上で仰向けとなり、チンコ丸出しで尻尾を振っている。

 さすが神話の時代から生き長らえるおっさんだ。

 取り入るべき相手をよくわかっている。

 こうして太郞とケルベロスは、旭山家でお世話になることが決まったのだった。

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