第4話 返り討ち

 太郞が意識を取り戻すと、ローテーブルの上にはサンドイッチが用意されていた。

 ケルベロスはすでにそれを平らげたらしく、「ゲップ」と、ベッドの上で腹を膨らませている。


「あんたよく生きてたわね。さすが閻魔大王の息子だけのことはあるじゃない。そこだけは褒めてあげる。でも、今度やったら殺すから。確実に地獄へ送ってやるから」


 勉強机のイスに座り、仏頂面で腕を組む氷華。

 そんな彼女に土下座で深く詫びを入れ、太郞はサンドイッチを頂くことにした。

 壁掛け時計を見ると朝の五時半ちょうど。

 氷華の父親をフルボッコにするにはまだ時間が早い。

 だから太郞はテレビをつけて時間を潰すことにした。

 チャンネルを合わせると、朝のニュースがはじまる。


『一年ほど前、北海道A市で失踪した女子高、行方田歩芽子(ゆくえだふめこ)さんが、昨日の早朝、同市近郊の路上で発見されました。しかし、行方田さんは自分の名前や失踪時のことを覚えておらず、かなり衰弱しているとのことです。すぐに病院に運ばれましたが、胸部にはなにかで突き刺したような傷が二ヶ所あり、警察では事件と断定し捜査を進めていくとのことです』


 なにかベタな伏線を匂わすような不思議な事件だ。

 一年前に行方不明になった女子高生が、記憶喪失となって路上で発見。

 しかも女子高生の胸には、牙で刺したような二ヵ所の傷があるらしい。

 ニュースによれば、ここ数年、似たような事件が続いているとのことだった。


「なあ氷華、この犯人もしかして吸血鬼じゃないのか?」

「あんたバカじゃないの? 吸血鬼みたいな化け物が本当にいるわけないでしょ」


 太郞の問いかけに対し、氷華は呆れたようにため息をついた。

 吸血鬼以上の化け物(ケルベロス)がここにいるのだが、そこには触れない方が賢明だ。

 彼女の機嫌を損ね、またボコボコにされてはたまらない。


「そんなことより、これからどうするか作戦を立てるわよ。もうすぐお父さんが起きてくるんだから」

「わかってるって」


 作戦もなにも、氷華の父親を叩き潰してやるだけだ。

 相手はだだの人間、いくらヤクザの組長でも、赤子の手をひねるようなものである。

 だが、氷華の話によれば、父親の腕っ節は相当なものであるらしい。

 嘘か本当かは知らないが、素手でヒグマを倒したという逸話があるとのことだった。

 むろん、太郞はそんなホラ話は信じない。

 どんなに強かろうが、人間には限界というものがあるのだ。


「今日は日曜だし、お父さんは家にいると思うけど、どうするの? この家には住み込みで何人もの組員がいるのよ?」

「何人いたって大丈夫だ。俺に勝てるわけがない。みんな蹴散らしてやるって」


 オタクに目覚める前は、地獄界の鬼から格闘術の手ほどきも受けている。

 それにパワーで自分が人間に劣るわけがない。

 家の者が起きれば堂々と暴れてやればいいのだ。

 太郞はそう余裕をぶっこき、準備万端とばかりに拳をボキボキと鳴らした。

 そんなところに――。


「氷華ぁ~朝でちゅよ~。パパと一緒の朝食でちゅよ~」


 ドアの向こうから、とんでもなく気持ち悪いおっさんの声が聞こえた。

 パパとの言うからには、氷華の父親だ。

 旭山厳鉄である。

 すると厳鉄は、ドアノブをカチャリと回し、室内にひょっこりと顔を覗かせた。


「やばッ! 鍵かけるの忘れてた!」


 しまったという表情で動転する氷華。

 そんな彼女に対し、鼻を膨らませて微笑む厳鉄ではあるが――。


「おいコラァ……。貴様はどこのどいつだぁ……。俺の娘の部屋でなにをしているぅ……」


 太郞の存在に気がつくと、阿修羅の顔と野太い声で威嚇し、室内へ足を踏み入れた。

 角刈り頭で頬には十字傷。

 筋骨隆々の大柄な体格で、Tシャツとスウェットは、はちきれんばかりにパンパンだ。

 おまけに体の周りには、ドス黒いオーラが漂い、双眸からは怨念のこもったような瘴気が噴き出していた。

 まさに化け物、ヒグマを素手で倒した逸話は本当なのかもわからない。

 とはいえ、今は閻魔大王の息子として鉄槌を下すのみ。


「俺は閻魔大王の息子、閻魔太郞だ! おっさん、覚悟しろよ!」


 太郞は立ち上がり、厳鉄と向かい合う。

 己の身長は百八十センチ。

 しかし、厳鉄はそれを優に上回り、プロレスラーのように横幅も広かった。


「閻魔大王の息子だとぉ……? なにわけのわからんことをほざいとんじゃ……このボケがぁ……」

「ボケはてめーのほうだ! 俺に勝てると思ってるのかよ! これでも食らえ!」


 太郞は右フックで厳鉄の頬を貫いた。

 一応手加減はしているが、普通の人間なら頬骨の粉砕骨折は必至。

 将来の閻魔大王の力はだてではない。

 しかし――。

 厳鉄の頬は鋼のように硬く、逆に太郞の拳が跳ね返された。


「嘘だろ……俺のパンチが効かないのかよ……」


 太郞はじんじんと痛む拳と、厳鉄の顔を交互に見やった。

 確かに相手の防御力は信じられないほどに鉄壁。

 しかし、それとは別に、自身のパンチ力が激減している。

 本来、軽く力を入れるだけで、岩をも打ち砕く攻撃力を誇っているのだ。

 なぜパンチ力がここまで激減しているのか、それは自分にもわからない。

 だがこうして厳鉄と対峙した以上、やるだけのことをやるまでだ。

 太郞は一歩後ずさり、両手のひらを突き出した。


「我が盟約に従い、炎の精霊が古より蘇らん! 地獄の業火よ、すべてを焼き尽くせ! ギガントファイアースネーク!」


 これは炎が蛇のように対象物に巻きつく業火の力だ。

 むろん、この詠唱は太郞の考えた中二的文言なので、業火の力とはまったく関係がない。


「くッ! これもダメかよ!」


 サンドイッチを食べたというのに、業火の力を解き放つことができなかった。

 それどころか、手のひらからは、炎自体がまったく出現していないのだ。

 太郞は半ばパニックになるも、力強い味方がここにいることを思い出す。


「おいケルベロス! おまえの出番だ! 冥府の番犬の力を見せつけてやれ!」


 しかし――。


「ぐぴ~、ぐぴ~」


 ケルベロスはベッドの上で鼻ちょうちん。

 しかも大の字で腹を見せ、警戒心ゼロで眠りこけている。

 こんな役立たずの番犬がいようものなら、年がら年中、泥棒が入り放題だ。

 そこへ厳鉄が拳を引いて攻撃の構えを見せた。


「俺様に勝とうなんぞ百兆年早いんじゃ! このチンカスが!」


 チンカスの一言とともに放たれた、超重量級の一発。

 それはドスン、と鈍い音を立て、太郞のミゾオチを深々とえぐり、そこから突き上げるようにして拳を一気に振り抜く。


「くはッ!」


 ミゾオチへの一発で呼吸が停止。

 それとともに、太郞は体をくの字に折ったままで吹き飛ばされ、背後の壁に大の字でめり込んだ。


「人間サンドバッグじゃ! オラオラオラオラオラオラオラ!」


 厳鉄の追撃は止まらない。

 マシンガンのごとく連打する左右の拳。

 その一発一発が、ヘビー級のボクサーのような破壊力である。

 太郞に痛みはもうなかった。

 意識が途切れかけ、目の前にはお花畑が広がっている。

 そして三途の川の向こうでは、亡くなった先代の閻魔じいちゃんが、「太郞や、こっちにおいで」と、にこやかに手を振っていた。


「お父さんやめて! 太郞とあたしは真剣に付き合ってるんだから! あたしの彼氏に暴力を振るわないで!」


 そこに氷華からの助け船が入った。

 それを耳にした厳鉄の拳はピタリと止まり、オロオロした様子で娘に振り向く。


「つ、付き合ってるだと……? このチンカスは、氷華の彼氏なのか……?」

「そうよ! そのチンカス――じゃなくて、太郞はあたしの彼氏よ! それ以上やったら、お父さんと絶縁だから! だからもう出て行って! 詳しい説明はあとでするから!」


 氷華は押しやるように厳鉄を部屋から追い出した。

 片や厳鉄はドアの向こうで、


「俺の娘にエロいことしたら脳天カチ割って体じゅう引き裂いてヒグマの餌にしてくれる! わかったか、このチンカスが!」


 と、荒ぶるように叫んでいる。

 そんな二人の会話をおぼろげに耳にし、太郞は完全に意識を失った。

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