第3話 JKのパンツ

 ママチャリを走らせる氷華のあとを追い、太郞とケルベロスは彼女の自宅に向かった。

 時刻は朝の四時ごろで薄暗いのだが、もうすぐ日も昇るだろう。

 そこで太郞はふと気がついた。

 ママチャリの泥よけに、マジックでこのようなことが書いてある。


『旭山氷華』


 氷華のフルネームだ。

 しかも名前の横には、


『このママチャリを盗んだ者はぶっ殺す! 旭山組組長、旭山厳鉄』


 と、父親らしき名前で脅し文句が書かれていた。

 ヤクザの組長だけのことはあり、かなり荒っぽい性格であるらしい。

 なんだか自分の父親に似ている気がして、太郞はリアルに殺意を覚えた。

 そしてマラソンを続けること数十分。

 住宅街の中にひときわ大きな家が見えてきた。

 広大な敷地は忍び返しのついた塀で囲まれ、そこかしこに監視カメラも設置されていた。


「こっちに来て。カメラに見つからない場所に隠し通路があるから」


 氷華はペダルをこいで家の裏手に回り、太郞とケルベロスもそのあとに続いた。

 裏手に回ると氷華はママチャリを降り、塀の下のコンクリートブロックを外しはじめた。

 ここが隠し通路であるらしい。


「この隠し通路を造るのに、一ヵ月もかかったのよ。深夜にこつこつノミとハンマーを使って。コンクリートの中に通っている鉄筋を切断するのに苦労したのよね」

「つーか、おまえは脱獄犯かよ……」

「お父さんから逃げられるものなら、地獄の果てまで逃げたいくらいよ」


 おそらく、この親子は死んだら揃って地獄に堕とされる。

 それだけに、父親から逃げ切るのは不可能と思われるが、太郞はあえてそれを黙っていることにした。

 それからほどなくして、塀の下には人が這いつくばれるほどの通り道が開いた。

 そこから氷華は敷地の中へ入り、太郞とケルベロスも彼女のあとを追う。

 すると、敷地の中は日本庭園のように綺麗に管理されていた。

 三階建ての住居は、一般住宅と比べ物にならないほど大きく、相当な金持ちであることがうかがい知れた。

 窓のカーテンはすべて閉められている。

 今ところ誰かが起きている様子は見られない。


「静かに入ってきて。間違ってもくしゃみなんかしたらダメよ」


 氷華はそう念を押し、裏口のドアをそっと開けて家の中へ滑り込んだ。

 太郞は自分のシューズを両手に持ち、コソ泥のスタイルで彼女のあとに続いた。

 ケルベロスはお構いなしに土足でピョコピョコと歩いている。

 そんなとき――。


「へ、へ、へ、へっくしょん!!」


 廊下を歩いていたケルベロスがくしゃみをした。

 おっさんがするような爽快感あふれるものである。

 しかも、廊下は突き当たりが見えないほど長く、床は板張りになっているので、管楽器のように反響音が響いている。


「このバカ犬! なにやってんのよ! あたし言ったわよね!? 間違ってもおっさんのようなくしゃみをするなって言ったわよね!?」


 氷華は猛獣さながらの顔で牙を剥き、小声でケルベロスを叱りつけている。

 そんな彼女に身をすくめるケルベロスではあるが、どうやら不満があるようだ。


「たしかにくしゃみをするなとは言われたが……」

「言われたがなによ!」

「いや……おっさんのようなくしゃみをするなとは言われてないと思うのだが……」

「うるさい! おっさんのくせに言い訳するんじゃないわよ!」

「す、すまん……」


 ケルベロスは非を認め、申し訳なさそうに頭をさすった。

 初対面とは打って変わって、主従関係が決定づけられたらしい。

 太郞もこんなケルベロスを見るのは初めてだ。

 氷華には間違いなくヤクザの血が流れている。

 そして、一行は階段を上がり、しーんと静まりかえった廊下を歩いているとき――。


 プ~~~~~、プッ!


 なんとあろうことか、太郞は豪快に屁をこいてしまった。

 ステテコを着たおっさんがするような、二段構えのハーモニーである。

 ギャグを狙ったわけではない。

 たまたま肛門筋が緩んでしまい、オナラの勢いを止めることができなかったのだ。

 すると――。

 先頭を歩いていた氷華はグワリと振り返り、凶暴なブルドッグの顔で太郞を睨みつけた。


「この屁っこき虫! なにやってんのよ! くしゃみすら許されないこの状況で、オナラを全放出するバカがどこにいるのよ! 緊張感が足りないどころか、脳ミソがとことん足りてないんじゃないの!? てか、あんたわざとにやってるんじゃないでしょうね!?」


 小声ながらも暴力的なトーンで怒られた。

 しかし、太郞とていささか不満が残るので、一応それを訴えてみる。


「なんで俺が屁をしたって決めつけてんだよ……。ケルベロスがしたかもしれねーじゃんか……」

「どこの世界にあんな下手くそが吹いたラッパのようなオナラをする犬がいるのよ! もしそんな犬がこの世にいるなら、とっくの間にYouTubeで再生数ガッツリ稼いでるわよ!」

「わ、わかったよ……。俺が悪かったよ……」


 太郞は素直に謝った。

 これ以上反論しようものなら、鉄拳制裁が飛んできそうな勢いだ。

 というか、もともと屁をこいたのは自分なので、反論するほうが間違っている。

 それからほどなくして、三階に位置する氷華の自室に辿り着いた。


「ちょっと待ってて。キッチンから食べ物持ってくる」


 氷華は白装束を脱ぎ、その下に着ていたピンクのジャージ姿でキッチンへ向かった。

 太郞はローテーブルの前で腰を落とし、しげしげと室内を見渡す。

 室内は十畳ちょっとの広さ、そこらにはぬいぐるみが置かれ、とてもかわいらしい雰囲気だった。

 女の子の部屋ということもあり、甘いような芳香もたち込めている。

 太郞の部屋はイカ臭い匂いしかしない。

 三次元の女の子の部屋に入ったのは人生初だし、太郞の胸は高鳴るばかりだ。

 そこで太郞は、吸い寄せられるようにして視線をあるものに定めた。

 ロックオンしたのはタンスである。


「もしかしてあの中に……ブラジャーとかパンツがしまってあるんじゃ……」


 一度でいいから実物の下着を見てみたい。

 アニメやエロゲーではなく、本物のブラジャーやパンツを見てみたい。

 そんな感情がどくどくと込み上げ、閻魔大王の息子の息子も熱くなる。

 しかし、ドアの近くには、護身用と思しき釘バットが立てかけられていた。

 いわゆる、世紀末的な釘バットである。

 もし下着を拝見し、それを氷華に見つかれば、五体満足では済まされない。

 最悪、自分自身が地獄に墜ちることになるだろう。

 とはいっても、それは見つかればの話だ。

 見つかることがなければ、決してフラグは成立しないのだ。

 太郞はそう結論に達し、抜き足差し足でタンスへ向かった。

 そして、そ~っとタンスの下段を引き開けたところ――。


「ぬおおおおお!」


 太郞は目ん玉をひん剥いてガン見した。

 なんとそこには、引き出しを埋め尽くすほどのブラジャーが収納されていた。

 そのひとつを手に取ってみる。

 でかい――。

 このカップサイズを見ると、氷華のおっぱいはかなりでかい。

 Fカップ、いやGカップはあるのではなかろうか。

 氷華は細身ながらも巨乳の持ち主だ。

 もちろん太郞は大きなおっぱいが大好きだ。


「すぅ~、すぅ~」


 ブラジャーを顔に押しあて、クンスカクンスカ息を吸う。

 良い香りがする。

 これではオタクというよりただの変態だ。

 変態は恥ずべき行為と理解しているのだが、こうしてクンスカしていると、変態最高! なんて思えてくるからあら不思議。

 ブラジャーをたっぷり堪能したのち、太郞はその上の引き出しを開けてみた。


「おお……おおお……」


 震える声が漏れるほどの驚愕。

 なんとそこには、色とりどりのパンツがお花畑のように収納されていた。

 くりんくりんに丸められたパンツ、それをひとつ手に取って広げてみる。

 なんと、クマさんのバックプリントだ。

 アニメで見たことはあるものの、まさかこれが実在するとは思いもしなかった。

 太郞はあまりの感動で涙が込み上げてきた。

 そんなとき――。

 ガチャリ。

 と、ドアがひらき、サンドイッチを載せた盆を手にした氷華が舞い戻る。


「あ、あ、あ、あんた……な、な、な、なにしてんのよ……」


 狼狽する氷華だが、やがてその顔は悪鬼の形相へと変わった。

 太郞はひざまずき、パンツを両手で天にかざしている状態だ。

 あわよくば、それを頭から被ろうとも思っていた。


「こ、これはその……染みがないかチェックしてただけで……」


 咄嗟に染みチェックでごまかしたのだが、よくよく考えれば最悪の弁明である。

 普通の洗濯物の染みと、パンツの染みでは、その意味合いが絵本とエロ本ぐらいかけ離れているのだ。

 つまり、パンツの染みは、とても不謹慎な染みに属する。

 氷華もそう受け捉えたらしく、盆をそこらに放り投げ、禍々しい釘バットを手に持った。


「この変態クズ野郎!! 天誅を下してくれるわ!!」


 くれるわ、のニュアンスは、女の子のものではない。

 うぬ、とかそんな感じの響きだ。


「お、俺が悪かった……もう二度としないから……だから許してくれ……」

「絶対に許さん!! 絶対に許さんぞ!! キエエエエエエエエエエエエエ!!」


 氷華は釘バットを後方に回し、ブン! と空気を切り裂く勢いでフルスイング。

 その無慈悲な天誅は、太郞の横っ面を的確に打ち抜いた。

 そして太郞は水平に吹っ飛び、壁に激突して気を失った。


「バカな奴だ」


 ベッドの上でくつろいでいたケルベロス。

 冥府の番犬は呆れたようにつぶやき、後ろ足でポリポリと耳の裏をかいた。

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