西郷隆盛

西郷せごどん』の登場である。ペリー来航以後の幕末と言う現象を前々項、『島津斉彬』については『指導者』側から、前項『佐久間象山』についてはいわゆる先進エリート、技術専門的立場の『有識者』側から描いてきたが、ここでは『草莽そうもう』と言う観点から、描いてみたいと思う。ここがいわゆる草の根、私たち庶民にとっては、幕末、と言う現象の空気を身近に感じ取れるところではないだろうか。


 すでに多くの筆に尽くされ、議論も百出しているところであろうが、この『草莽』のレベルにおいては幕末と言う現象は、はっきりと『革命』であった。


 この時点で二百七十年の歴史を誇るいわゆるご公儀、江戸幕府を頂点とする問答無用のヒエラルキー社会に大きな亀裂が入り、意志と意欲を持った武士たちが全国的な意見力と発信力を持つようになったのである。これこそ本邦で初めてかも知れない言論革命であり、現代に先だった情報革命であった。


 それは戦国以来抑えつけられてきた支配を受ける側に甘んじていた武士たちの、蓄積したエネルギーを一気に開放するエポックだったのだ。


 これは薩摩、長州をはじめとしたいわゆる西南雄藩がすべて関ヶ原合戦の敗者として、徳川将軍家の軍門に降ったと言う経緯の連綿れんめんと表現しえる。そのため、この西郷隆盛や大久保利通、桂小五郎や高杉晋作にしても、初手から身の内に『反体制』を標榜ひょうぼうして出現した存在として、考えてしかるべきなのだ。


 この西郷隆盛の家も、無論、下級武士である。当時の鹿児島藩(これが正式名称、本来は薩摩藩の名称はない)では城下士じょうかさむらいを①一門②門閥③一所持いっしょもち④寄合⑤小番⑥新番⑦小姓組⑧与力の八段階に分けたが、西郷家はこの⑦の身分であった。


 鹿児島は公称六十四万石の大領ではあったが、火山灰が降り積もったいわゆるシラス台地のお陰で、実際の石高は、その半分に満たなかったと言う。米価社会は、薩摩武士たちが生きるには苛酷すぎる社会であった。財政も崩壊し、西郷の生まれた頃には、莫大な借財が藩体制そのものを圧迫していたのだ。


 前項『斉彬』の父、斉興なりおきは名君ではあった。調所広郷ずしょひろさとを登用した斉興は、この二百年以上の間に崩壊寸前だった薩摩の藩財政を盛り立て黒字回復を実現したのである。しかしその実態は、つまるところ借金の踏み倒しであった。


 煙草や砂糖と言った専売品の売買における返済計画を楯に調所広郷は、今で言う超長期ローンを組んだのである。その返済期限はなんと約二百年。厄介な借財の莫大さがうかがい知れる。


 不均衡な経済の仕組みは、下級層につけを回した。西郷が立ったのは、その苛酷な社会で横行する不正の糾弾であった。郡方奉行こおりかたぶぎょうの書役(いわゆる秘書官)として十年勤務した西郷は、不合理な制度のため藩で崩壊しかかっている農政復活のための意見書を提出した。これを島津斉彬が取り上げたのが、その名が世に残るきっかけとなったのである。


 市役所の民政課で事務職をしていたような人の意見書が、なぜ行政の首長たる斉彬の目に触れるようになったかは、西郷本人の談では「よく分からん」と言うまことに頼りないものだが、安政元年(1855年)三月には斉彬は西郷を『庭方』と言う気軽に会見が可能な身分に取り立てており、その信頼が並々ではなかったことは確かであったと言えよう。


 史実にも斉彬は西郷に、明らかに身分を越えた『特別待遇』を与えたのである。これについては安政三年の八月に、西郷が自分の上司である郡方奉行、相良角兵衛の意見書へ斉彬の求めで自分の意見を述べた上書が遺っていることでも明白である。当時の階級絶対社会では有り得ないことが起こったのだ。


 日本一と言っても過言ではない斉彬の先見性については本稿で述べるまでもないが、民政に精しい西郷の存在は、斉彬の『弱点』を補っていたとも言える。江戸住まいの長い斉彬の革新的な洋化政策については、地元薩摩の根強い反対を呼んでいた。(実は、その父、斉興自身がその黒幕だったのだが)ともすれば『よそ者扱い』の斉彬にとって、西郷は自分と同じ、しがらみない目で、お膝元に気を配ってくれる有用な人材だったのである。


 西郷にとっての『幕末』は、斉彬と言う名君からやってきた。これはある意味では万人に一人の『奇蹟』と表現しても過言ではない。高杉晋作にせよ、坂本龍馬にせよ、『幕末』には死の危険を覚悟して、脱藩するなり、地下活動をするなりして無理やり飛び込んだのだから。


 だがだからと言って、西郷が楽をしていたのではない。初めから時代の最先端に引き上げられた西郷は、全身全霊で斉彬に尽くしたのである。


 証拠に斉彬から降って来るあらゆる仕事を西郷はこなした。参勤交代に同行し、京都では連絡役を務めたところまでは普通の武士の領分だが、あの天璋院篤姫てんしょういんあつひめの将軍輿入れの準備に奔走し、大奥との交渉や、引き出物、髪飾りや什器の吟味までしたと言う。斉彬もただこき使うばかりではない。水戸の名臣で第一等の攘夷論者、藤田東湖ふじたとうこに自ら紹介したり、越前の橋本左内など、最先端の行政エリートたちと交わらせた。


 西郷と言う人の不思議さは、徹頭徹尾、『受身の人』であったと言うことだ。幕末に限らず、熱狂的なブームと言うのは、多くは積極的に巻き込まれる人と言うものがまず目立つし、先頭に立つのが常なのだが、西郷の場合は先鋭的な主君から、ぽんと与えられた運命によって時代の急先鋒に至った。


 ただこれを棚から牡丹餅と言う人は、西郷と言う人の凄みを分かっていない。この人の巨大さは、このあとの運命の急降下ですらをあるがまま受け入れたことだ。


 自分を別世界に導いた斉彬が急死し、西郷は失脚。と言うよりは陽の当たる藩士人生の終焉と言っていい凋落ちょうらくを迎える。月照げっしょうと言う攘夷運動家を匿っていたことも問題になり、時代の寵児から一転、反逆の不穏分子として流人の身にまで落とされるのだ。


 どん底の中でも、西郷は足掻あがかない。斉彬の急死は毒殺の噂が高く、その犯人は旧藩主斉興派の身辺にいるとされていながらも(西郷は斉興側室のお由羅ゆらを『奸女』と罵倒するほど、疑っていた)自暴自棄なテロ行動を起こす気配はない。択んだのは、自分の信ずる志に殉じる自裁であった。


 自殺を肯定するつもりはもちろんない。しかし「綺麗ごめんさア」(往生際を悪くしない)と言われる薩摩武士の理想とされる気質を理解するのに、西郷が自殺を択ぶ判断の早さは、特筆すべきものだった。


 一貫して西郷は「求められて動く男」であった。しかもその行動が、言われたからやる、と言うようなおざなりなものや付け焼刃なものではなく、全身全霊でやる、時には死をもいとわない、それが余人の感動を揺り起したのだ。勝海舟が「大きく叩けば大きく響き、小さく叩けば小さく響く」と評したのは、正鵠せいこくである。そこに感動した意志ある人々が次々と現れて、この男を新時代の来訪を告げる警鐘として大きく鳴り響かせたのだ。


 島津久光に取り入った大久保利通によって、再び時代の主流に復帰した西郷は、復活した。復活したことによって、大きく響く西郷と言う鐘を時代を動かす多くの男たちが、叩き鳴らすことが出来たのである。それを坂本龍馬なり、勝海舟なりと挙げるのは容易いが、こうした意志ある人々でも承けたのが西郷以外であったのなら、成し得た結果は如何であろう。


 しかし「求められて動く」西郷は、新時代には方途を失くした。国家単位の巨大な利権が鼻先を動く世界に、大きな失望を感じたのだろう。こうした人は非常に珍しい。

 そう言えば西郷が熱狂的に支持される一方、大隈重信おおくましげのぶをはじめ同時代には少なからぬ「西郷嫌い」がいたが、その多くは新時代から何かを得ようと強烈な主張を持った人たちだった。


 彼らが強欲ゆえ無私の西郷が鼻についた、と言うような浅はかな洞察をするつもりはないが、薩長の藩閥政治の明治の世に抑えがたい反発意識と上昇志向を持つ彼らにしてみれば、何の苦学苦労の末でもなく、でんとその最上位に近い椅子に座りながら、利権を貪ることを放り出してしまった西郷が不可解の極みだったに違いない。


 降って湧いた西南戦争(明治十年)も、西郷が政治的野心を持って起こしたものではない。当時、薩摩で開発が進んでいたスナイドル銃の兵器工場の接収をめぐっての政府方と西郷方の若党たちの『小競り合い』(弾丸略奪事件)が軍事行動になってしまっただけであり、落としどころの無い暴動の延長線上であった。


 多くの革命家は『不満』から行動を起こすが、西郷だけは生まれつき違った。自分に不満はなく、だからこその『求められるまま』なのである。欠点を言うなら、西郷は常になし崩し的行動をする人だった。だがそれが優柔不断のそしりを免れているのは、その無欲さの巨大さゆえであるとしか思えない。概して優柔不断な人と言うのは、肝心の往生際は悪いのである。西郷のように言い逃れしようと思えば「自分に関係ない」と言い切れることで死まであっさり決意出来る人は、万人に一人、いるかどうか。


 このエッセイの姦人は、あくどいほどのごうを持つ『野心家』を取り上げている。しかしその業さえも丸投げ出来る西郷と言う男の業こそは、実は計り知れない大きさの『業』そのものなのではないか。世に稀有の姦人、それは無私の哲人とはげに人の世の皮肉なりや。


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