262 召喚2

 アフラシア王国とエリュシオン冥王国では、教会は大きく二つに分けられる。

 スプンタ・マンユを神とする「聖教会」と、アーリマン・ザラシュトラを神と崇める新宗教である「真教会」だ。

 元々は聖教会が広まっていた土地ではあるが、真教会の布教が始まって僅か三年でその勢力は大きく変わる。今ではもう、聖教会は異端者として追われる始末だ。


 では、ここユーリッシュではどちらの教会が勢力を握っているかといえば、どちらでもない。

 ユーリッシュは特殊な国であり、たった一つの教えを信じていた。

 そしてその教えは、ユーリッシュだけの独特なものだ。

 正式な名称はない。あえて言うならば──


 『勇者教』


 世界が闇に包まれる時、光と共に現れ世界を救う勇者をユーリッシュは信仰している。

 信仰というよりは使命に近いかもしれない。

 教皇であるステイルベンが生まれたヤードバッハ家は、代々に渡って勇者教を守り語り継いできた。

 正式に引き継ぎを受けたステイルベンは、酒と女を貪りつつも教皇としての自覚はあり、すべきことも認識している。


(なぜじゃなぜじゃ! なぜこのタイミングで勇者様が召喚されてきおった!)


 しかし、自覚はあれど覚悟は全く無かった。

 それも仕方のないことだ。

 ステイルベンが引き継ぎを受けた話の中では、次の勇者召喚の儀はまだまだ先の話と聞いていた。200年後に魔王の封印が解けるため、そこで訪れる世界の危機に対して勇者を召喚するはずだったのだ。


 つまり、ステイルベンが生きている内に勇者召喚をする予定はなかった。甘く見ていたのだ。

 こんなことなら、さっさと息子に教皇の座を渡してしまえば良かったと後悔するが、美味しい立場を手放さなかったのは自分なので自業自得だろう。


(と、とにかく今は勇者様をお迎えしなければ……)


 こっちは召喚してないのに勝手に来たのは勇者のほうなので、いくらでも待たせてしまえと脳裏に浮かぶのは、背信ではなく先ほどまで浴びていた酒のせいだと思いたい。

 早く対面しなければ失礼にあたるとだけは認識しており、ステイルベンは手に力を込めやっと扉を開けた。


「うっ!?」


 扉を開けると、更に強い魔力の波動が押し寄せてくる。

 耐魔の魔法具を複数つけているはずのステイルベンだが、思わず膝をついてしまった。


「ゆ、勇者様とお見受けします。勇者様のお力、身をもって十分に理解いたしました。ですのでどうか、どうか力を抑えてくれないでしょうか。周りの者達が魔力に当てられ伏しております。敵はここにはおりません」


「力を? 大分抑えていたつもりだが……いや、配慮が足りなかったか。失礼した」


 ステイルベンの懇願はすぐに聞き入れられ、つい先程まで感じていた圧は嘘のように霧散した。


「感謝申し上げます勇者様。お名前を頂戴しても……なっ!?」


 視線を上げ、初めて勇者の顔を見たステイルベンは絶句する。

 用意した覚えのない魔法陣の中心に仁王立ちしていたは、構わずに胸に手を当て自己紹介を始める。


「ユーシャダイ・ソーラス・ツァラトゥスラ。魔王を討ち、この世の平和を取り戻す者の名だ」


 簡潔な自己紹介は、ステイルベンの耳にまるで届いていない。

 それほど、勇者の外見は衝撃を与えるものだったのだ。


 翡翠色の髪は後ろで一つに結ばれているが、髪質がウェーブがかっているためまとまっておらず、可愛いというより神秘的な印象を与える。顔を作っているパーツは一つ一つが美しく、赤を基調とした服から伸びた手足はモデルのように細く長い。


「貴殿が教皇か? 名を聞いても?」


 非の打ち所がない美人のはずだ。

 しかし、無類の女好きであると自覚しているステイルベンであっても、なぜかこの女には情欲が掻き立てられなかった。髪と同じ緑色をした瞳が氷のように無機質だからだろうか、近づくことすらも躊躇してしまう。


「な、なぜ……」


 ステイルベンが絶句した理由は、勇者の外見ではあるが見栄えではない。


「お、女ぁ……?」


 極めて失礼ではあるが、心の声がそのまま口の外に出てしまう。

 それほどステイルベンにとっては、というより勇者教の信者としては、勇者が女性であることが衝撃だったのだ。


 文献によると、過去に召喚を行った回数は十を超えるが、召喚された勇者は全てが男性だった。

 魔法で身体強化ができる世界だ。確かに女性でも問題なく戦えるが、どちらかといえば大柄である男性のほうが戦いに有利なはずなので、当然のことだとステイルベンは考えていた。


(不具合だ! 世界の危機でもないのに勝手に召喚されてくるのがそもそもおかしいわ! それに、女じゃと!? なんじゃその短いスカートは! なんじゃその透けたマントは! 戦いに来たのであろうが! 男でも誘いに来たのか!?)


 ステイルベンは日頃から立場を利用して女性を抱いているためか、男尊女卑の考えがかなり根深い。

 ステイルベンにとっての常識は、これまでの人生で身に着けてしまった偏見ではあるのだが、当人には知る由もない。


「…………」


 別に教皇の名前に興味がなかった勇者は、対話を諦めて外に歩き出す。

 思わずステイルベンは声をかける。


「お、お待ちください殿! どちらへ行かれるのですか!?」


 呼び方一つにしても、ステイルベンは無意識に格下げしてしまっていた。

 勇者にとってはどうでもいいことだ。


「────に行く。魔王を討たねば」


 その言葉を聞いたステイルベンは口を開け呆けてしまい、そのまま勇者を見送ることとなった。


 一人になったステイルベンは膝をつき頭を抱える。


「こ、壊れた……勇者が壊れた……儂の代でこんなことになるとは……」


 勇者の行先を聞き、ステイルベンは勇者が壊れていると確信した。


「エリュシオンじゃと……? あそこに現れた魔王ジャイターンは、とっくに討伐されたと報告があったはずなのに……」

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