263 闘技場の夜 1

 大きな魔力が観測されたその日の夜、アンリはエリュシオンの首都ゾロ・アスタの外れに訪れていた。後ろを歩くのは二人の女だ。


「つい先程までは何かしらキラキラと輝いておったが、ここらは更地か。……よもや区域の設計ミスじゃあるまいな」


 一人はカスパールだ。光の三賢者として実力が認められている彼女は、アンリの護衛という名目で同伴していた。

 アンリが危険な目にあうことはほぼ無いに等しいので、護衛というのはあくまで名目で、ただ単に一緒に歩きたいだけだった。


「お祖母ちゃん! アンリ様がミスをするわけがないじゃない! し、失礼しましたアンリ様、祖母が大変な失礼を……」


 もう一人はジャヒーだ。

 元々は星占術を買われてザラシュトラ家に雇用されたが、アンリが産まれた時から世話をしていた彼女は、いつのまにかアンリ専属の使用人となっている。


「あはは、ここはわざと空けてたんだよ。随分放置しちゃったけど、そろそろ稼働させないとね。近く必要にもなったことだし……まぁ、今日はやっと建設しにきたってわけ」


「わざと空けるにしても、こんなに広い土地をか? そこらの貴族の屋敷なら百は建つぞ」


「エリュシオンの統合型リゾートにとって、ここは目玉の一つでもあるからね。まぁ見てなって」


 アンリはエリュシオンの中でも特定の区域をIR──観光集客施設──となるよう設計していた。

 先程まで見て回り、カスパールがキラキラと揶揄していたのはショッピングモールのことだ。

 他にもホテルやレストラン、劇場といった様々な施設が並ぶが、購買意欲を高めるために特に華美な装飾が施されたショップをカスパールは気に入っていた。


「統合型リゾート……あぁ、アフラシア王国で建てた夢の島のようなものか。となれば、ここに建つのはゴールドリームのようなカジノか?」


「カジノは違法な奴隷売買で手に入れた資金の洗浄が目的だったかと。エリュシオンの法はアンリ様ですし、奴隷売買を指摘されることはありえませんよ。であれば、わざわざ建てる必要ないのでは?」


「ふむ、最近ではカジノ自体でも大きな黒字と言っておらなんだか? ほれ、あの……アシャの身内の……誰じゃったか」


「アールマティさんよ。お祖母ちゃんって人の名前を覚えるの苦手だっけ? そんなので、過去に戻ったときにトラブルにならないの?」


 アンリは魔法の原典アヴェスターグを捲りながら、後ろの二人の様子を気にしていた。

 ジャヒーは自身がカスパールの孫だと思っているが、実際は里に捨てられた男の子供だ。このことを知っているのはカスパールとアンリだけであり、アンリにとっては最近知ったばかりの事実だった。

 知ってしまったからか、カスパールとジャヒーの関係が上手くいっているのか、少しだけ気になっていたのだ。


「ふむ、最近は記憶が少しごちゃごちゃしておってな。まぁ、興味がないというのが一番じゃが」


「ふふ、私が知ってるのは魔法にしか興味がないお祖母ちゃんだったけど、今はちょっと違うわよね」


「ふむ、アンリと出会った今こそがわしの本質じゃ。興味などという簡単な感情では表せんものじゃが……」


「分かってるわよ。神様の寵愛を受けられるよう、私も毎日祈ってるわ」


 内容は聞こえないが、特に問題なく会話をしている二人を見ると、アンリの心配は杞憂だったようだ。

 二人の心配は完全に脳裏から消え、今ではバニーを見たいからカジノを建ててもいいかなと、損益分岐点の計算を始めていた。

 しかしそれも、前世では頭を抱えていた固定費や変動費などは冥王の立場を活かせればスライムよりも小さなハードルのため、楽観していいと直ぐに結論づけるのであった。


「あはは、仲が良いようで何よりだね。さて、『<創造魔法・地クリエイト・アース>』」


 アンリの魔法により、何もなかった広い敷地から大きく土が盛り上がる。

 それは段々と姿を形成していき、分を待たずに一つに建造物に成り代わった。


 普通なら腰を抜かし驚くところだが、目撃者はカスパールとジャヒーの二名のみ。

 魔法の所業よりも、所業による成果物に興味を示していた。


「なんとまぁ……魔法学園にあるものより、何倍も規模の大きいものじゃな」


「アンリ様の雄姿、皆に刮目させるには十分な舞台でしょう」


「あはは、僕がここで闘う予定は、とりあえずは無いんだけどね」


 アンリが魔法により生み出したのは、円形闘技場コロッセオだ。

 ローマ帝政期に建てられた物より何倍も大きいそれは、100万の観客でも余裕をもって収容できるだろう。


「しかし、いくら何でも広すぎとは思うが……端の奴など、顔が識別できなければ何が起こっておるかも分らんぞ」


「あはは、スマートスタジアムとして機能するから、そんな心配はいらないよ。観客は円形闘技場コロッセオのどこにいたって、目の前で命のやり取りを楽しめるさ。マルチアングルビューやリプレイビューの機能をつけて……まぁ、正直この手の観戦客は細部を見たいというより、他人と同じ空間にいて雰囲気を楽しめればそれでいいとは思うけど。エリュシオンではキャッシュレス決済の普及に成功したからそれなりのデータは収集出来る。動線分析も楽にできるし、混雑緩和はメルの稼働で解決できる……集まった顧客情報を更に分析すれば、新たな事業が始まるだろうなぁ。メルに任せるのが一番効率はいいけど、自分でも分析したい……いや、これはただの趣味の範疇だけど」


 アンリの言葉が段々と理解が出来なくなっていくのはいつものことだ。

 自分の世界に入っていくアンリを、カスパールは億劫そうに引き戻す。


「それで? あれもお主の魔法で創造したとは言わぬよな?」


 カスパールが指さしたのは、いつの間にか観客席に座っていた一人の女だ。

 翡翠色の髪をした神秘的な女は、異性のタイプとしてはカスパールとまるで違う。

 三人に気付かせずに円形闘技場コロッセオに侵入した女は危険度が高いはずだが、カスパールは全く別の心配をしていたのだった。

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