251 選別1

「………………」


 ソニアは天井を見つめている。

 既に日は昇り、空腹を強く感じているが起き上がることはない。

 ただ、天井を見つめている。


「………………」


 ソニアはレイジリー王国の民であり、今は城で務めている。

 テルルことイティールル・レイジリーの給仕をすることが主な業務内容だ。

 最近はテルルがいなかったので世話をする必要が無くなり、部屋の掃除をするだけで一日が終わり楽だった。


「………………」


 昨日からイドゥールネス・レイジリーことネスがどこかへ行ったので、突発的なわがままを言う者は誰もいない。

 今日のソニアも、ただ部屋の掃除をこなしていればいいだけだ。

 肉体的な辛さはあるが、精神的な負担となることは何もなく、昨日の夜は喜んでいたところだ。


「………………なんで?」


 ソニアは天井を見つめている。

 それはありえないことだった。


「………………なんでなの?」


 ソニアが給仕を務めているのは、ネスの”怠惰”の能力により命じられているからだ。

 今はテルルがいないとはいえ、普段のテルルが目覚めるよりも数時間は早く起きて、自身の身の支度と食事の準備をしなくてはならない。

 どんなに眠くても、どんなに体調が悪くても、体は勝手に動いてその命令に従ってしまう。


「…………ずっと寝ていられる」


 それが今日は、体が動くことは無かった。

 ソニアは、目の前で拳を開いたり閉じたりを繰り返す。


「……す、凄いっ!」


 自分の意思通りに動く体。

 数年ぶりに体験したそれは、新鮮であり感動すら覚えた。


 ソニアは着替える。

 命じられたわけではないが、それしかないので服は給仕のものだ。

 いつもより丁寧に化粧をし、いつもは付けられない髪飾りを付けて外に出た。


 とりあえず腹ごしらえをしようと台所に入ると、同僚のリリーが既に料理を始めていた。

 いつもより起きるのが遅かったので、おそらく昼ご飯だろう。


「ねぇリリー! ねぇ、ねえってば!」


 ソニアが声をかけるも、リリーにはそれが聞こえていないかのように鍋を振る。

 その目にはまるで生気が無く、いつも通りの傀儡のようだ。

 給仕たちは私語を禁止されている。

 なので、リリーの反応が普通であった。


「もう、リリーってば! ほらっ!」


 リリーは黙々と料理を続ける。

 無視されることに腹を立てたソニアは、作っている最中の料理を手で掴み口に入れた。


「んー! 美味しい! いい材料使ってるだけあるよね! いや、リリーの腕がいいのかな?」


「なっ!? ソニアったら何を……え?」


 反射的にソニアを咎めようとしたところで、リリーはやっと異常に気付いた。

 ”怠惰”の能力で命じられたことが、何年にも至る日課となっていたため、リリーは頭で考えるよりも先に勝手に体が動き料理をしていた。


 だが、料理を中断することができた。

 幼い頃にできた唯一の友人と、数年ぶりに話すことができた。


「……嘘?」


 自分への”怠惰呪い”が解けたのだと、初めて気づいたのだ。


「リリー! 私達、助かったんだよ! もう、無理やり働かなくていいんだよ!」


「……本当? 本当に? 私達、自由なの……?」


 ソニアとリリーは、自身の自由を知り涙を流す。

 他の使用人達はリリーと同様に、最初は”怠惰”の力が消えたことに気付いていなかったが、二人の喜びが段々と波及し、城が歓喜の渦に包まれるまで時間はかからなかった。


「自由だああぁぁぁぁぁぁ!! 俺達は自由だぁああぁぁぁぁあ!!」

「お母さん! 久しぶり、久しぶりぃぃ!!」

「体が動く! 座ってられる! ひゃっほぅ! 寝転んじまってもいいのかい!?」


 城の皆は、思い思いに体を動かし、感情を爆発させる。

 城が随分と賑やかになっても、ネスもテルルも姿を現さない。

 皆は歓喜し、同時に疑問が出てきた。


「救世主だ、救世主が俺達を助けてくれたんだ!!」

「誰だ!? 誰が助けてくれたんだ!?」

「”仮面のオズ”が最近出入りしていたぞ! 彼が助けてくれたのでは!?」

「いくら”仮面のオズ”でも、大罪人を相手に……? というか、あの豚の姿が見えないが、どこに行ったのだ? 今日の餌やり当番は誰だ?」

「他国で討伐対が編成されたのでは?」

「やっと他国が動いてくれたのか!? 何にしろ、俺達は救われたんだ!」

「誰でもいい、助けてくれたのが誰だっていい!! ただ、この奇跡に、そしてこの普通に感謝を!!」


 ”怠惰”の能力が消えたということは、誰かがネスの討伐に成功したのだろう。

 そのことは分かっていても、レイジリー城で争いが起こった形跡がないため、具体的に何がどうなったか分からず、使用人たちは不思議に思っていた。


(助けてくれたんだ……もしかして……)


 ソニアは両手を合わせ、胸に置く。

 思い出されるのは、少し前城に訪れた少年のことだ。

 今年誰にも祝われずに成人を迎えたソニアは、同年代と思われる他国の皇に興味を惹かれていた。

 優し気な表情をした色白で細身な彼は、ソニアがこれまで見てきた異性とはまるで種類が違っていた。

 少しミステリアスにも見え、王族であるテルルも興味を示すほどの男であり、自分などではとてもじゃないが釣り合わないだろう。


「あの人が……アンリ様が私達の救世主だったら嬉しいな……」


 ソニアが小さな願望を口にした時、バンッと大きな扉が開いた。

 それは玉座の間へと続く扉だ。

 ネスがいるべき──といっても、普段は自室に引き籠っているが──部屋の扉が開いたことに、当然皆は注目する。


 玉山の間から出てきたのは、色白の女の子と、褐色のダークエルフだ。

 いつかアンリがネスのもとに訪問した際の同行者である。


 ソニアは自分の願望が叶ったことに、小さな喜びを感じ──


「はいはい、皆さんちゅうもーく。今から、選別を始めまーす。兄様あにさまとエリュシオンには不要と判断された方には、死んでもらいまーす」


 ──大きな不安が胸を過った。

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