246 魂の邂逅2
「な、なぜ貴様がメルキオールのことを知っている……?」
カスパールは驚愕し、震える声を絞り出す。
自分と同じ”嫉妬”の能力を持っているのかと危惧したが、それはないと瞬時に判断する。
いかに並列世界が無数にあろうが、システムの一環であり時を超えることができる”嫉妬”は、一人にしか宿らない。
そのことを本能的に理解したカスパールは、相手が”嫉妬”である可能性を抹消した。
であれば、ますます目の前の女が不気味に思えてきた。未知なのだ。
「くすくす、くすくす、知っていて当然よ。有名ですもの」
女としては、カスパールという名前を聞き、新約聖書に登場する東方の三博士の話を思い出しただけだ。
冗談で聞いただけではあるが、カスパールが酷く狼狽していることが可笑しかった。
別にカマをかけるわけでもなく、嫌がらせをするつもりもなかった女の興味は、直ぐに別のものに移る。
「教えて、あの人の今の名前は何? ゼウス? ヤハウェ? アッラー? まさかアマテラスだったりするの?」
「……アンリだ」
カスパールは正直に答える。
女の予想が違うことが嬉しかったのだ。
「
その疑問は、前世の一般的な名づけを知らないカスパールには伝わらない。
「何を言っておる。アーリマンは男の名じゃろうが」
「アーリマン…………?」
女は初めて驚きの顔を見せた。
その顔を見たカスパールは、なぜか優越感を感じる。
勝手に始めた何かの勝負に勝ったのだ。
得意気な表情を作っていたカスパールだが、直ぐに不快な顔に歪む。
「くす、くすくす、あはは、あははははははは!!」
女が、心底楽しそうに笑い出したのだ。
「
喋る内容の意味は分からなかったが、女が心底楽しそうに笑っていることが不快だった。
カスパールは倒れた女に馬乗りになり、胸倉を掴む。
「なぜ貴様が笑っておる! 最初の問いに答えろ! 貴様、旦那が死んだのじゃろうが! なぜ悲しまぬ! なぜ泣かぬ! 貴様は、アンリを愛しておらんかったのか?」
「愛していた? いいえ、違うわ」
見下ろしているはずのカスパールは、なぜか見下ろされているかのような錯覚に陥った。
「愛している。今も愛しているわよ。勿論、あの人も私を愛しているわ。くす、私は世界で一番可愛いんだもの、当然よね。それで? あの人が死んだ? えぇ、それが何か?」
死んだからといって、愛する行為が過去形にはならない。
勿論、アルバートのような
「死んでもまだ愛していると言うか。見上げた心意気じゃとは思うが、それなら尚更悲しくはないのか?」
悲しいと言わせれば、自分はアンリに会えると優越感に浸れる。
意地悪な質問だった。
「悲しい? くす、まったく悲しくなんてないわ。だって、魂はここに残っているもの」
女の回答は、カスパールに大きな衝撃を与えた。
悲しくないというのは、これほど独特な女のことだ。本心だとしてもおかしくはない。
驚いたのは、魂について女が述べたことだ。
「……魂など存在しないのでは?」
アンリは魂の存在を知らなかったため、あれだけ研究に苦労していた。
だとすれば、それは前世で一般的な認識であるはずだ。
「くす、魂はあるわよ」
女は断言する。
アンリだけが知らなかったのか、自身の見解が間違っていたのか。
思考に埋もれたカスパールに、女は言葉を続ける。
「あれは確か、3世紀程前の実験だったかしら。アメリカ……といって通じる? まぁ、どこの国かは重要じゃないわ」
物理的にマウントをとられ胸倉を掴まれているというのに、女はカフェでコーヒーを飲んでるかのように、上品に言葉を紡ぐ。
「魂を証明しようとしたお医者さんがいてね、成人の人間が死ぬときの体重の変化を観察したの。呼気の水分や発散される汗も計算して、死ぬ瞬間を何度も記録したの」
カスパールは女の説明を聞き入ってしまう。
アンリの趣味嗜好の材料を見つけるという目的は忘れていた。
「するとね、人間が死ぬ時に体重が少しだけ減るのを確認したの。おかしいわよね? 肉がそぎ落とされたわけでも、毒物を吐き出したわけでもないのに、体重が減るのよ。つまり、それが魂ってわけ。犬や猫では減らないの。人間だけが死ぬときに体重が減るのよ」
女の笑みを浮かべるが、その目は笑っていない。
「その重さは21グラム。分かる? 1円玉が1グラムだから、くす、面白いわよね。人の魂の価値は、21円ってことかしら。笑っちゃうわよね」
エリュシオンの通貨と同じため、21円の軽さについては理解できた。
だが、カスパールは何も笑えない。
「それでね、昨日のあの人の体重は71,964グラムだった。汗や水分を考慮できる特注のスケールで測っていたけど、死んでも21グラム減らなかったの。つまり──」
女の説明は、カスパールの胸にすとんと落ちた。
「──あの人の魂は、あの人の体から離れてないの」
喉の渇きを感じながら、カスパールは言及する。
「アンリの体重を……よく分からぬが特別な方法で測っておったのか? いつ死ぬか分からぬのに? 毎日? いつも? なぜ?」
「当たり前じゃない。私はあの人の妻だもの。あの人の全てを知る義務があるわ。昨日は71,964グラム。その前日は72,014グラム。その前日は71,014グラム。その日のあの人は……くす、激しかったから、カロリーも凄く消費したみたい」
駄目だ。これ以上この女の声を聞くべきじゃない。
そう判断したカスパールは、気付けば再度首を絞めあげていた。
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