245 魂の邂逅1
アンリは転生者であり、前世で結婚していた。
カスパールはその事実をメルキオールから聞いていた。そして、どうしても許せなかった。
自分の容姿に自信を持っているカスパールは、アンリが自分に
だが、アンリの素行を誰よりも知っている身としては、女というものに興味がないのだと思っていた。
そのアンリが結婚していた。
つまり、アンリは女に興味があり、人を愛した経験があるということだ。
今世で女性への興味を強く示さないのは、前世での妻を強く愛しているが故だと、勝手に解釈をしたカスパールは怒りを抱える。
その怒りはいつしか憎悪となり、嫉妬の感情を何よりも高めるものとなった。
(わしも焼きが回ったかの。こんなことをしても、アンリの愛を横取りできるわけはないのに……)
首を絞めながら、カスパールは自己嫌悪に陥る。
それでもその両手を離すことはない。
その首が、夢の世界へと渡る綱にでも見えているのだろうか。
叶わぬ愛を掴み取るかのように、強く、強く握りしめる。
理不尽な死を直視することに罰の悪さを感じたのか、自然と視線は周りに移る。
カスパールがやってきたのは、アンリが死んだ後の家だ。
娘がいるとは聞いていたが、今この部屋には嫁が一人。おそらく別室で寝ているのだろう。
アフラシアでもエリュシオンにも無い、異国のデザイン性を感じさせる家具達は、なぜか強い安心感をもたらしてくれた。
(アンリの部屋の雰囲気に近いからか……)
興味を惹かれる物は他にもある。
ピカピカと光る黒い箱。
ウィィンと継続して音が鳴る空間。
(既視感がある……あれはどこじゃったか……いや、それにしても──)
──ふと、カスパールは違和感を抱える。
「貴様、なぜ抵抗せん」
違和感をそのままに、嫁にぶつけた。
自分しかいないはずの自室で背後から首を絞められたら、普通はパニックになるだろう。
誰もいないはずの部屋での凶行だ。その恐怖は尋常ではない。
いかに恐怖に対する耐性がある者でも、頸動脈が圧迫される苦しみから逃れるため、なんらかの抵抗を示すはずだ。
それが、この女は全く驚く様子もなく、カスパールの絞殺を受け入れている。
明らかな異常だった。
「解せぬ。貴様、旦那が死んだのじゃろう? なぜ悲しまぬ。喪に服すのが普通じゃろう」
明らかな異常は勿論、明らかな日常も奇怪だった。
折りたたまれた洗濯物。
丁寧に積み重ねられた書籍。
湯気の出ているティーカップ。
カスパールがやってきたのは、前世のアンリが死んだ翌日の世界だ。
なのに、何もかもが日常の延長であり、どうしても旦那を亡くした翌日の妻とは思えなかった。
「気分が悪い。普通、愛する者が死ねば悲しいだろうよ。答えろ」
このまま首を絞め殺しても何の鬱憤も晴れないと、カスパールは両手を離し背中に蹴りをいれる。
力は入っていなかったが、押された形になり女は倒れ、カスパールを見上げた。
そこで初めて、両者の視線は交差する。
カスパールは舌打ちする。
女は黒髪のショートカットに優しい雰囲気を持っており、いかにもお嬢様といった顔立ちだ。
つまり、アンリの好みが自身とは真逆であると推測してしまった。
対して、女の口角は大きく上がる。
いきなり自室に見知らぬ者が侵入し、後ろから首を絞められ蹴りを入れられたというのに、歓喜の笑顔を浮かべていた。
「くす、あの人好みの顔。閲覧動画に付けられたタグの最頻値は褐色肌……昨年度は美尻だったし……文句なしね。あぁ、良かった。奇跡ね、本当に嬉しいわ」
先ほどまで首を絞められていたというのに咳き込むこともなく、女は一人喜びの声を上げ、訳の分からないことを呟いている。
自分の理不尽な復讐が、相手に何のダメージも与えていないことに、カスパールは苛ついた。
「何を笑っておる。状況が分からぬなら教えてやろうか? 貴様はここで死ぬのじゃぞ」
「くす、失礼だったかしら、ごめんなさいね。そうね、ここで適切な行動は命乞いよね。嬉しくてついつい……えっと──」
「──カスパールじゃ。貴様の名は? なぜ喜んでおる? 旦那が死んで悲しくないのか?」
直ぐに殺そうと思っていたが、少しでも鬱憤を晴らすため、様子のおかしい女と対話を試みることにした。
折角の機会だ。アンリの趣味嗜好を把握するために、女の一挙一動を観察する。
「カスパール……カスパール……そう、カスパール……くすくす」
だが女は言葉のキャッチボールをする気がないのか、自身が名乗ることはなく、名乗られた名前を反復し納得するだけ。
一人納得しニヤニヤする女に嫌悪し、カスパールは死なない程度に腹を蹴る。
「何が可笑しい。こっちの質問に答えろ。会話よりも痛みが好きか?」
鳩尾を蹴られ、流石に「ごほっ」と反射的に声を漏らした女は、尚も笑みを浮かべ逆に質問をする。
「カスパール、いい名前ね。メルキオールとバルタザールは元気かしら?」
未来から来た自分の同僚を知っている。
カスパールは、剣も魔法も使えない一般人に、底知れぬ恐怖を感じた。
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