242 side:カスパール

 全身が動かない。

 いくら力を込めようが、返ってくるのは痛みだけ。

 魔力は十分にみなぎっているが、唱えられる魔法は何もない。


「きひひ、なかなか粘ったがここまでだ。うざったかったが、これからの楽しみを考えりゃぁ、それも燃えるってもんよ」


 ダールトンは無遠慮に近づき、わしの髪を舐めるように撫でる。

 いや、よく見たら本当に舐めている、気持ち悪い。


「くき、きひひひ、ほら、叫べよ。泣いて叫んで、あのガキを呼んでみろよ!」


 衣服を剥ぎ取られ、潰れる程強く乳房を握られる。

 下手糞が。最悪じゃ。吐きそうになる。


「かっはっは、いざアンリを呼べば泣いて叫ぶのは貴様じゃろうに。アンリが怖いのじゃろ? 自分を大きく見せようとするほど小さく見えるぞ。貴様のナニも小さいのじゃろうな、虚勢を張るより、去勢したほうが世のため──」


 ──ごすっ。


 せめてもの意趣返しは、拳で無理やり防がれる。

 まだこっちの痛みの方がマシじゃな。


 だが、ダールトンはどうやってもヤリたいようだ。

 戦場だと言うのに下半身を露出させ──いや、もう戦場ではないか。

 わしらは負けたのじゃから。


 汚れたくないな。

 汚れた体になればアンリは……別に気にせんか。気にしてくれんか。


「くきき、きひひひひ! 安心しろ、一回じゃあ終わらせねえよ。お前もあの魔族の女も、飽きるまで何度も何度も、何度も何度も何度も何度も犯し尽くしてやる! 飽きたらゴブリンの巣にぶち込んでやろうか。ボテ腹になったお前らをあのガキに見せりゃぁ、少しは気が晴れるってもんだぜ!」


 アンリ以外の愛などいらぬのに、よりによって一番の下種に好かれるとは。

 まぁそれも仕方ない。

 運命として受け入れるしかない。


 わしが無表情を貫いているのが気に食わなかったのか、ダールトンはわしの頬にナイフを当てる。


「いや、それよりはさっさと殺すか。殺した後でも十分楽しめる体だしなぁ! そうやってあのガキの周りをどんどん殺して……きひひ、それもいいなぁ!」


 ふと、涙が溢れた。

 頬に伝わるそれを見て、ダールトンは口角を上げる。


「きひ、きひひ、きひゃひゃひゃ! おら、良い表情じゃねぇか、そそるじゃねぇか! 死ぬのは怖ぇよなぁ!? きひひひ!!」


 違う。

 別に死ぬのが怖いわけではない。

 貴様が怖いわけではない。


 ただ、気付いてしまった。

 死ねば、アンリに会えなくなる。

 それが何よりも怖い。恐ろしい。


「ひっく、ひっく、うぅ、嫌ぁ……」


 我慢できず嗚咽を漏らしてしまう。

 それは下種を喜ばせるだけなのに。


 違う、違う、わしは貴様に屈服したわけではない。

 わしは、ただ、アンリに、アンリに会いたくて──。


「くきき、きひひひひひ!! 怖いよなぁ!? 悲しいよなぁ!? いくらでも泣いてぐしゃぐしゃになればいいぜぇ!? 濡れた穴に入れるのは、得意だからよぉぉ! あぁ、たまんねぇなぁぁあ!! これだよ、これこれ! 奪うことが何よりの快感だぜぇぇ!」


 涙で視界が悪くなり、瞼の裏に映るのはアンリとの日々だけとなる。

 泣くな、泣くな。それは何の解決にもならん。


「こうやってあのガキの大事なものを奪い続けてやる! 次はあのメイドか!? いや、一番大事な妹かぁ!?」


 違う、違う、アンリの一番はわしじゃ。

 わしこそが、アンリの一番大事な人間じゃ。


「ひっく、ひっく、嫌ぁ……ひっく」


 死ぬ間際に走馬灯を見ると言うのは、本当のようだ。


 犬コロと愛の重さを競い合った光景が頭をよぎる。


 憎い、憎い。

 あの犬コロが憎い。

 若いことがそんなに大事か。

 お前など、アンリに釣り合うわけがないじゃろうが。


 アンリに初めて会った時の光景が頭をよぎる。


 憎い、憎い。

 ジャヒーが憎い。

 わしより早くアンリに会ったからと、何か優越感を持っておらぬか。

 わしが、わしこそがアンリにとっての特別じゃ。


 ついさっきアンリと会っていた時の光景が頭をよぎる。


 憎い、憎い。

 シュマが憎い。

 アンリの寵愛を一身に受けて、羨ましい。

 ヘルという子供を作れて羨ましい。

 ずるい、ずるい、ずるい、ずるい。

 わしとお主の何が違う。


 目を閉じたとき、思い描く顔はいつも笑顔だった。


 憎い、憎い。

 アンリが憎い。

 わしという女がありながら、なぜ他の女に優しくする。

 わしという女を、なぜお主は本気で愛さない。

 なぜ、わしの愛を受け止めてくれない!


 どうしようもなく、体の内から何かが爆発しそうな、やるせない気持ちが抑えきれない。


 辛い、辛い、全てが辛い。

 憎い、憎い、全てが憎い。


 あぁ、そうだ。

 この感情はもう、抑えきれない。


 この世界の全部、辛いことだらけ。

 この世界の全部、間違いだらけ。

 この世界の全部、全部が苦痛だ。


 あぁ、そうだ。




 この世界の全部が、どうしようもなく憎い。






『告 カスパールの魂に”嫉妬の大罪人”の烙印が押されました』




 瞬時に”嫉妬”の能力の大枠を理解し、昏く笑う。

 それは、アンリにはとても見せられない、邪悪な笑みだっただろう。

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