238 黒幕1

 時は遡る。


 アンリとシュマによるネスへの拷問が始まった時、カスパールはエリュシオン西部に位置する広大な山地に来ていた。


「かっはっは! 壮観よのぉ! わしの命令一つで大きなドラゴンが空路を変える。実に面白い!」


 レイジリー王国からやってきたレッドドラゴンは、この山地を巣としていた。

 アンリからはエリュシオンのどこを飛んでもいいと言われており、個体それぞれで思い思いの場所に散っているが、巣があるここが当然一番数が多かった。


「かっはっは! どれ、ちと乗させてもらうとするか。お主はどうする?」


 カスパールから不意に振られたのはヤールヤだ。

 アンリに誰か付き添いをつけろと指示をされたカスパールは、意外なことにヤールヤを指名した。


 それは消去法での選択だ。


 シュマはお楽しみ中で手が離せない。

 ベアトリクスは、そもそも馬が合わないので論外。

 ジャヒーを同行させても、戦力には全く期待できない。

 アリアの近くに入れば、心を読まれることが気持ち悪い。

 アシャはいつドラゴンを味見をして、アンリに怒られるか分からない。

 ヘルに至っては、その生まれを知っているので、見ているだけで頭がおかしくなりそうになる。

 結果、一番マシなのがヤールヤだった。


「あたいはいい。空なんて飛べるし、あんたが何をそんな喜んでいるか分かんねぇ」


 アンリとシュマがいる時とは違い、今のヤールヤは本来の立ち振る舞いをしている。

 関わりは強くはないが、他に比べると癖が強過ぎないヤールヤに、カスパールは思いのほか好感を抱いていた。


「わしだって空など飛べる。ドラゴンに乗るとは、ただ空を飛びたいという欲求からくるものではないわ。男のロマンじゃろうが」


「あたいは女だ」


「わしだって女じゃ。なんじゃ? 魔族にはこのように麗しい男がおるのか?」


「…………く、くく、けへへへへ。笑わせんなよ馬鹿」


 冗談が通じる。

 たったこれだけのことで、カスパールにとっては希少であり価値があった。


 ヤールヤにとっても、カスパールの存在はありがたかった。

 つまらない話をすることで、緊張と恐怖で疲弊していた心が多少なりとも潤った。

 年上にも年下にも見える掴みどころのないカスパールに、地獄へ落ちていった姉妹の影を重ねたのかもしれない。


「…………なぁ」


 だから、ヤールヤは忠告することにした。

 相手がカスパールでなければ、これはしなかったことだろう。

 もしそれで自分も巻き込まれ命を失うことになっても、それはそれでいいかと思っていた。

 だが、短い会話ではあったが、ヤールヤはカスパールを好ましく思った。

 ならこの忠告はするべきだ。


「くせぇ、家畜の臭いがぷんぷんするぜ」


 その言葉を聞いたカスパールは、先ほどまでとは打って変わって真顔になる。

 ヤールヤのその言葉を聞いたのは三度目だ。

 暗に何を言いたいのか、直ぐに悟ることができた。


「ふむ……二度は無いと思っておったが……」


 身を潜め、こちらを見ている者がいる。

 覗き見をよしとしないカスパールは、怒りから眉をひそめ大声を上げた。


「姿を見せろ下郎が! さもなくば、とっとと去ね!」


 正直なところ、カスパールには誰が隠れているのか見当がついている。

 だが、隠れている者が大きな悪意を持っているとは、考えもしなかった。


「どうじゃ?」


 カスパールの問いに、ヤールヤは首を横に振る。

 相手に引く気は無いと知り、カスパールは左耳のピアスに指を当てた。


「ったく……面倒じゃが、報連相は大事とアンリが言っておったからな」


 このピアスもアンリからの贈り物だ。

 魔力を通しながら話せば、アンリへメッセージを伝えることが可能となる。


 カスパールがアンリに伝えるべく、口を開こうとした時──


 ──どんっ!


 カスパールの耳は左手ごと吹き飛んだ。


「ぐぅぅぅ!!?」


 気を抜いていたわけではないが、そこまでの攻撃を受けると思っていなかったカスパールは、痛みに耐えながら戦闘態勢を整える。

 だが、相手の姿はまだ見えない。


「おい、大丈夫かよ!? こっちだ!」


 慌ててヤールヤはカスパールの隣に立ち、臭いのする方向を指で示した。

 カスパールのちぎれた左手が宙に浮いているので、襲撃者が拾い上げたのだろう。


「き、貴様っ!? 止めろ! それはわしのじゃ!!」


 千切れた左手の薬指から竜王の指輪が抜き取られる様子を見て、カスパールは激昂する。

 アンリにとっては少しレアなアイテム程度の認識だが、カスパールにとっては人生で一番嬉しかった贈り物だ。


「貴様ぁぁぁ!!? 楽に死ねると思う……な……よ?」


 竜王の指輪を奪うことが本命だったのか、不可視の魔法を解き襲撃者が露わになる。

 今にも飛び掛かろうとしていたカスパールだが、その勢いは完全に止まった。

 ヤールヤの変化は更に大きい。いつかのアンリを見た時のように、全身を固くし震えている。


「…………か、勝てねぇ……」


 敵が魔法の原典アヴェスターグを持っている。

 それだけで、ヤールヤの戦意は喪失したのだ。



 ヤールヤが膝をついている中、カスパールはなんとか言葉を絞り出した。





「ダールトン……生きておったのか」


 襲撃者は、”強欲の大罪人”だった。

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