237 ”Z”

「あぁ、余は、余は…………」


 ネスの体には、まるで力が入っていない。

 ”怠惰の大罪人”の力を失った今、ここから形成を逆転することなど不可能だ。

 頭が決して悪くはないネスは、その事実を理解してしまった。


「余の負けだ……余は、どうなるのだ……」


 すがるようなネスの目。

 それにアンリは、憐みの目を向けた。


「ごめんよ、残念だけど僕の怒りを買ったら一律で”Z”って決まってるんだ」


 ネスにその意味は分からない。

 せめてもの慈悲なのか、それとも恐怖を与えたかったのか、アンリは説明を始めた。


「ほら、手紙に書いたでしょ? 苦痛の末に666回死んだら、魂が削れて生き返らないって。それさ、”Z”は死。虚無なんだよ」


 要領を得ない様子のネスに、アンリは丁寧に補足する。


「666回の死はね、苦痛と絶望を持って死ぬ必要があるんだ。自我を保ったまま、痛みをしっかりと受け入れて、もう生きたくないと魂の底から叫んでね。まぁ、つまり、簡単に言うとだね──」


 双子の笑みを見て、ネスは自分の運命を呪う。


「──僕たちが、悪意を持って、君を徹底的に苦しめるよ」


 ネスの呼吸は荒い。

 諦めたばかりだが、なんとか逃げようとする。

 しかし、今となっては全てが無駄だった。


 一体何からされるのかとネスが怯えている中、アンリが干渉したのはテルルのほうだった。


「あ、アンリ様!? い、一体、一体なにを!? お兄様は!? 私は!? また悪夢が始まるのですか!?」


 怯えるテルルの髪を、アンリは優しくなでる。

 そして、甘い声で囁いた。


「それは君がどうしたいかだよ。あのねテルル、君の悪夢は終わらせることができる。そして、終わらせることができるのは、僕だけさ」


 突如伸ばされた救いの手に、テルルは直ぐに飛びついた。


「お、終わる!? この悪夢が終わる!? は、早く、助けて! お願いします! 何でもします! だから助けてください!」


「いいよ、だけど一つだけ条件がある。君の代わりに、お兄さんに悪夢を見させてあげるんだ」


 ”自分が助かるために、兄を殺せ”

 暗にそう言っていると、レイジリー兄妹は直ぐに理解した。

 そして──


「はい! 分かりました! だから助けて!!」


 ──テルルは脊髄反射で了承する。


 ネスの心中で、どす黒いモヤモヤが蠢く。

 ネスとしては、「余の事は気にせずテルルが助かれ」と言葉をかけるつもりだった。

 だが、それを言う前に即決されたので、とてつもなくやるせない気持ちになった。


 一方で、久々にギロチン台から解放されたテルルの顔は晴れ晴れとしている。


「あはは、いい子だ。さて、ミイラ取りがミイラってとこだね」


「ごめんなさいお兄様。私のために苦しんでください」


 ネスに向き直ったテルルは、背後からアンリに抱擁される。

 一気に地獄から天国に変わったことに、テルルは頬を桃色に染めていた。

 快楽や羞恥といった感情はあれど、負の感情は一切無い。


「さて、少し長くなるから、キャスはどっかで時間を潰してきなよ」


 手持ち無沙汰になっているカスパールに、アンリは気を遣い提案する。

 今回の目的であった検証は終えたため、これからはアンリとシュマの個人的な時間だ。


「言われんでもそうさせてもらう。そうじゃな、こちらの大陸に来たドラゴン達の様子でも見てくるか」


「あぁ、それなら誰か連れていきなよ。直したとはいえ、竜王の指輪が完全に機能するか心配だからね。いきなりドラゴン達が暴れだした時、一人なら危ないでしょ? 人選は任せるからさ」


 そうさせてもらうとばかりに、カスパールは手を振り退出する。

 そして、長い長い地獄が始まった。


 ◆


「もう、許して……くれ……」


 ネスは慈悲を請う。

 だが、魂が消滅するまで拷問と死は繰り返される。

 頼みの綱のテルルは助けてくれない。それどころか、ギロチンを作動させる重役となっている。


「なんで余が……このような……」


 己の運命を呪った呟きは、答えを求めたものではない。

 だが、ネスの自我を保つためにも、アンリはそれを拾い会話する。


「あはは、自業自得だよ。”怠惰”の能力があれば負けないと思ってた? でも残念、そんな便利な能力を持ってるのは君だけじゃないんだ。僕は”憤怒”の大罪人だからね。怒らせた代償は払ってもらわなきゃ」


 苦痛に耐えるのみだったネスは、これに驚愕する。

 だが、すでに心身がボロボロなため、瞼をピクリと動かしただけだった。


「大罪人……貴様も……? そうか、そういうことか……だからあいつが……」


 何かに納得しているネスを見ながら、アンリはいつか聞こうと思っていたことを思い出した。


「そういえば、ネスはなんで僕に嫌がらせしてきたのさ。僕って、何か恨みを買ってたっけ?」


 アンリの問いにネスは答えない。

 今となっては隠すつもりはないが、わざわざ答える体力がないのだ。


「ほら、教えてネスさん。なんであなたは兄様あにさまの気に障ることをしたの?」


「別にアンリに恨みがあったわけではない……頼まれたのだ」


 だが、”色欲”の能力により強制的に口を開かされた。


「面倒だと思ったが、断った方が面倒だと思ってしまった……それが間違いだった。貴様も奴は知っているだろう。奴も大罪人だったが……そうか、大罪人同士で手を組めば、貴様を倒せると思ったのだろうな……」


「他に大罪人が……?」


 ネスの話を聞くアンリは、珍しく動揺する。





「……キャスが危ない」


 全ての話を聞き終えたアンリは、小さく言葉を溢した。

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