235 試練

「ここは……牢獄か? まさかテルルをこのような陰気な場所に閉じ込めているのか……?」


 転移魔法のスクロールを使ったネスは、一人薄暗い廊下にやってきていた。

 無機質な石畳を挟み、数えきれない程の牢が構えられている。

 出口の見えない長めの一本道を、ネスは迷うことなく歩いていく。

 だが、その足取りは慎重だ。


「弱点をつくつもりか……いや、そんなことは百も承知だ」


 ”怠惰”の弱点。

 それは、能力が生物にしか有効ではないということだ。

 つまり、自動的に作動する罠であれば、問題なくネスに害を与えられる。

 ネスは大罪人になって初めて、命の危険を感じていた。


「余を舐めるなよ……」


 それでもネスは歩を進める。

 ネスに対して罠は問題なく作動するが、ネスを嵌めるために罠を作ることはできない。

 つまり、わざわざ今回のために新たに準備することはできないため、そこまで悪意のある罠があるとは思っていない。

 そして、ネスは体形はトロールと見紛うほどの巨体ではあるが、怠惰になる前はそれなりに鍛えており、多少の体捌きには自信がある。

 有り合わせの罠などにやられるつもりは毛頭なかった。


 じわり、じわりと歩を進める。

 進行方向の左右に牢屋が並んでいるため、中から敵が現れるかもと常に注意していた。

 床を踏んだ瞬間に毒の矢が降り注ぐかもしれないと、上下にも意識を向けていた。

 いつ、何が起こっても対処できるように、油断なく構え全神経を集中する。

 汗が流れ、服が濡れるが気にしない。

 今のネスは、歴戦の勇士だった。


 じわり、じわり──


 じわり、じわり──


「…………」


 警戒しながらなのでゆっくりとだが、確実に歩を進める。

 相当な距離を進んだが、一時間もすれば流石に集中は切れてきた。


「ガキが……人を馬鹿にするのも大概にしろよ……」


 だが、罠は一つも作動しなかった。

 ネスが避けたわけではない。

 そもそも、罠が無いのだ。

 ネスの極限にまで高められた集中は、全くの無駄に終わった。

 ここでキレては敵の思惑通りと、必死に感情を抑え込む。とその時──


「──はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」


 怒りを抑えながら歩くネスの耳に、ふと荒い息遣いが聞こえてくる。


「はぁ、痛い、痛い痛い、はぁ、はぁ、誰か、誰か」


 冷静に努めていたネスだが、それが誰の声か分かった途端、罠への注意を忘れ走り出した。


「まだ覚めない、はぁ、はぁ、お願い、夢から覚めて、はぁ、誰か、助けて、はぁ」


 そして──


「──テルルゥゥゥゥゥゥウウウ!!」


 大声で叫ぶ。

 ずっと探していた、自分の妹を見つけたのだ。

 散々生首を見てきたが、テルルが生きていることに安堵した。


「お、お兄、様!? あぁ、いつもと違う!? 助かる! きっと助かる! 助けて! 助けてお兄様!」


 テルルはギロチン台に拘束されている。

 通常では下に向く顔の面を上にされており、無理な体勢を強いられているため常に苦痛を味わっていた。


 苦痛に顔を歪めているテルルを救出すべく、ネスはテルルに近づいていく。


「テルル! 待ってろ、今助け──!?」


 そこで、テルルの元に辿り着けないことに気付いた。

 それは、敵がいるからとか、罠があるからとかではない。

 通れないのだ。


「ちょ!? え? おい、ふざけんなよ!」


 テルルの元に行くには、空いている牢屋の扉を通るだけだ。

 だが、ネスにはそれができなかった。


「馬鹿な! ま、待ってろテルル! 今行く! 今行くから!」


 常人であれば、難なく通れる扉だ。

 だが、ネスの体は常人ではない。

 これまでの不摂生が祟り、お腹が邪魔で通れなかった。


「まじかよ! 冗談だろうが! おい、頼むよ!」


 情けなかった。

 自分の怠惰な生活のせいで、愛する妹を助けられないことが悔しかった。

 期待を裏切られた妹の、絶望が宿った瞳が痛かった。


「余は、絶対に、家族を助ける!!」


 ネスは覚悟した。

 扉の傍にはたまたまノコギリが落ちていたが、敵の罠かもしれないので使う気がしない。

 ネスは、自身が持ってきた剣を腹に当てる。


「お、お兄様!? そんな、やめ、やめ……」


 ネスが何をしようとしているのか分かったテルルは、止めようとする。

 だが、どうしても「やめて」という言葉が出てこない。

 悪夢から解放されることが第一優先だったからだ。


「ああああぁぁああぁっぁぁぁぁあああ!!」


 ──ぐしゅり


 ネスは、自身の腹に剣を入れた。

 躊躇しては痛くなるだけ。それが分かっているため、思い切り腹を斬り落とした。


「ああぁぁぁ!! 痛ぇええぇえぇええ!!」


 苦しみながらも、ネスはテルルの元に辿り着くことに成功する。


「お、お兄様! お兄様ああぁぁあ!!」

「テルルゥ! 助けに来たぞ! はぁ、はぁ! 助けに来たぞぉぉぉお!!」


 二人共、涙を流し大声を上げる。

 ネスのそれは、テルルに再会できた喜びだ。


「お兄様、お腹が、血が、あぁ、お兄様ぁぁぁ!!」


 テルルのそれは、ネスの身を案じてのものだった。

 体系が変わるほどの肉を斬り落としたネスは、大量の血が流れている。

 脱出するまで体がもたないのは明白だった。


「し、心配するなテルル。余の思惑通りならば──」


 ──ガチャリ──


「──ほらみろ。余が死ぬことはない」


「あはは、ネス、よく来てくれたね」


 奥の扉から、アンリ、シュマ、カスパールの3名がやってきた。

 脱出を図るのなら、敵の登場は良くないことだが、ネスにとっては真逆だった。


「糞外道が! おいアンリ、俺の傷を回復しろよ!」


 如何に強大な敵でも、生物が相手ならば、ネスにとっては全てが味方だからだ。


「はいはい、<回復魔法ヒール>」


 アンリ魔法によりネスの傷は完治し、元の怠惰な体に戻る。

 強力な回復魔法にテルルは驚くも、ネスにとっては想定通りだったようだ。

 腹に手を当てているネスは、落ち着きを取り戻していた。

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