204 侵入者

 時は少しだけ遡る。

 蠱毒こどくの試練が始まり、ナイトが子供達を蹂躙している頃。

 エルリントスは興奮しており、ずり落ちた眼鏡を掛け直すことも忘れていた。


「素晴らしい……彼は戦闘力だけではない。その判断力や覚悟も、他の有象無象とは別格です」


 ナイトがいち早く蠱毒こどくの試練を開始したことは、施設職員にとって嬉しい誤算だった。

 これまでの試練では子供達が争うまでに多くの時間を要し、酷い時は誰も戦わず全員が餓死することもあった。

 長丁場になると予想していた職員達は大量の食料を買い込み、施設に泊まり込みで監視するつもりだった。

 交替で監視するつもりだったが、あまりにも早く蠱毒こどくが始まったので全員で注目している。


「間違いない……ナイトが今年の一番だ」

「彼は既に完成されている……惜しいな」

「確かに……あのままでも十分な戦力だが……」


 顔色が冴えない職員達を代表して、古参の男がエルリントスに意見する。

 首が飛ぶかもしれないが、どうしても確認したいことだった。


「室長、ナイトは今のままで完成でよいのでは? 蠱毒こどくを開始するしかないと直ぐに判断し、障害となりえる友を一番最初に排除する……彼はこの年で、もうプロフェッショナルです。あえて精神を捻じ曲げる必要は思います……だけに」


 ──ぷすっ


 意見した男は、解雇を宣告される前に首に注射器を打たれた。

 それほど許せない意見だったのか、それとも最後の言葉が余計だったのかは不明だが、エルリントスは機嫌を悪くする。


「くどい、くどいですよ。私の教育に何か問題でも? だって、私たちはこうして最強の人間を生み出してきたじゃないですか! 最強の人間には、ロボトミー手術は必要不可欠です!」


 ロボトミー手術。

 それはこうとも呼ぶ。


 前頭葉摘出手術。


 精神病の治療を目的として行われたそれは、実際に過去の地球でも行われノーベル賞も受賞している。

 精神病の改善には一部効果があったものの、副作用として嘔吐や便失禁、眼球運動障害や無気力、異常な飢餓を感じると言った精神症状を引き起こす、文字通り人体を壊す手術だった。


 おおよそまともな思考で行う手術ではないが、エルリントスは過去の成功体験から、ロボトミー手術が必要不可欠なものだと妄信していた。

 明らかに正常な人間の考える所業ではないが、過去に大きな実績を残したエルリントスに反対できる職員はいなかった。


「あの手術をするからこそ、特別な人間が生まれるのです。手術失くして、教育の完成はありえない!」


 エルリントスが病的な声を上げる。

 誰も反対できず、また一人教育の元に犠牲者が増える。

 職員の誰もがそう思ったが、今回は明確に反対する者がいた。


「あはは、いやぁ、それは止めといた方がいいんじゃない? ただでさえ費用対効果コスパの悪い実験なのに、唯一残った被検体で一か八かの手術なんて、正気の沙汰とは思えないよ」


 アンリである。

 何処からともなく、そして誰も知るはずがなく入れるはずがない部屋に侵入者がいる。

 あまりにも驚くと、人は声を出すことも忘れるのだろう。

 職員達は、夢でも見ているかのように呆然としていた。


「経験は糧にするものだよ。今の貴女のように、決してすがるものではないはずさ」


 続く指摘を受け、ようやく我に返ったエルリントスは侵入者を見ると複雑な表情を浮かべる。


「……アーリマン……ザラシュトラ。勿体なかった。あなたも、あなたの妹も私が教育したかった。貴族というだけでその願いは叶いませんでした。全く持って、勿体ない」


 何処から入ってきた。

 誰からこの場所を聞いた。

 どうやって身を隠していた。


 職員達には様々な疑問が浮かぶか、エルリントスが真っ先に感じたのは、アンリを教育したいという欲だった。

 だが、それは貴族という特性上、実現できない夢だった。


「ここに来たということは、この子も私の教育を受けたがっている……? いくら貴族といえ、ナイトと同じくロボトミー手術をすれば従順になるでしょうし」


 考え込むエルリントスに、アンリは声をかける。


「室長さん? そのナイトは、手術をすることにはならないようだよ?」


 そこで、初めて職員達は蠱毒こどくの異常に気付いた。

 圧倒的な力を見せつけ他の子供を蹂躙していたナイトが、落ちこぼれと思っていたヘルに手も足もでないでいるのだ。


「ば、馬鹿なっ! ナイトが! なんであんな子供に……あんなやる気のない子、勝ち残るべきじゃない!」


「あはは、やる気よりもパフォーマンスじゃない? やる気のある50点より、やる気のない90点だよ」


 睨みつけてくるエルリントスに、アンリは更に言葉を続ける。


「それに、最後にロボトミー手術するんでしょ? 前頭葉を摘出すると、何事にも無関心なロボットみたいな欠陥品が出来上がる。それなら、やる気もへったくれもないじゃない。それともやっと気づいた? あんな手術、やる意味ないって」


「何も知らずに口出しするな! あの手術は絶対に必要です! それが、特別であり最強になる道なのです!」


「それなら子供を集めた時点で全員にやればいいじゃない。生き残った一人が副作用で使い物にならなくなったらどうするのさ。貴女のやり方は効率が悪過ぎると言うか……本当に考えて生きてる? 明日死ぬかもしれないと思って、よく考えて生きてみれば?」


 最早話はここまで。

 ここまで教育を馬鹿にするのであれば、いくら貴族といえ生かしてはいけない。


 後処理のことを考えながら、エルリントスはポケットに忍ばせている注射器に手を伸ばした。

 その時──


 ──バジィィィィィ!! という激しい音とともに、部屋を眩いばかりの閃光が襲った。


「な……何がっ……!?」


 エルリントスは手足から血を流しながらも、周りを確認して絶句する。

 自分以外の職員は倒れ、部屋もボロボロになっている。


 ナイトが使った一つ目の切り札、『<雷神のトール・滅度ニルヴァーナ>』の余波は、この部屋にまでやってきたのだ。


「あの魔法は……あはは、さてはキャスが渡していたんだね。全く、子供に弱いのはどっちだよ」


 それでも無傷のアンリを見て、エルリントスは部屋から飛び出していった。


「あれ? 子供を置いて逃げちゃうの? 折角だし、僕は最後まで見ていこうかな。ジャヒーを連れてくれば良かった、他所のコーヒーは飲む気しないんだよなぁ」


 勝負の様子を楽しんだアンリは、決着がついたのを確認すると、ゆっくりと勝者の元へ歩き出した。

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