205 被検体7734番

 施設は嵐が過ぎ去ったかのような静寂が訪れている。

 それもそのはず、今この施設で生きているのはたったの二人だけなのだ。


「おめでとうヘル。君が一番になることは確信してたけど、それにしてもよく頑張ったね」


 アンリからの称賛に、ヘルは慌てて背筋を正す。


「あ、ありがとうございます! 死ノ神タナトス様に褒めて頂けるなんて、僕、僕、本当に嬉しいです!」


「あはは、大げさだなぁ。それにしても、まさか君が7734番ヘルだったなんてね」


 過去、アンリは元ペリシュオン大陸の酒場でヘルと出会っている。

 にも関わらず、今の今までそのヘルが被検体7734番とは気づいていなかった。


「いやぁ、僕はデータしか確認してなかったから、前に会った時は気づかなかったよ、ごめんごめん」


 データとはいうが、それには彼らの顔写真もついていた。

 アンリのこれは只の言い訳であり、外見には興味が薄かっただけである。


「そ、そんな! 死ノ神タナトス様が謝ることなんて、何もないですよ! ね、ねぇみんな! 起きてよ! 死ノ神タナトス様がいらっしゃるんだよ!? アムル! ハル! ナイト! 早く起きてよ!!」


 ヘルは呼びかけるが、子供たちはみんな命を落としている。


「な、なんで起きないの……? みんな、いくら何でも失礼が過ぎるよ……」


 途方に暮れているヘルに、アンリは堪らず噴き出した。


「ぷっ、あはは、違うよヘル。彼らは起きたくても起きられないんだ。もう死んでるからね」


 アンリの指摘に、ヘルはやはり不思議な顔をする。


「し、死んでる……んですか? だって、心臓を潰されたり、首を落とされたぐらいですよ? そ、そんなに簡単に、人って死んじゃうんですか……?」


「あぁ、そうだよ。彼らはすぐに死んでしまう。でも、君はそんなのじゃ死なないよね。なんでだと思う?」


 その解答を、ヘルは知らない。

 それでも何か答えないと失礼と思ったのか、ヘルはひどく焦るが、アンリは肩に手を置き優しく教える。


「ヘルは成功作品だからさ。そして、彼らは失敗作なんだよ。君のその魔法刻印は、間違いなく成功の証。だけど彼らは、どうしてもそれを刻めなかったんだ」


 その答えは、ヘルを十分に驚かせるものだった。

 ヘルは自分が、アンリの手により作られたホムンクルスだと知っていた。

 しかし、ナイトやアムル、ハル達が自分と同じホムンクルスだとは思ってもみなかった。


 だが、ヘルが一番に驚いたのはそこではない。


「た、死ノ神タナトス様でも、失敗することってあるんですか……?」


 一番は、アンリが失敗作を生み出したことに対しての驚きだった。

 これにアンリは苦笑いする。


「あはは、誰だって失敗することはあるさ。でもね、その失敗を糧にできるか、枷にしてしまうかは人それぞれかな。PDCAサイクルは大事だからね。Plan計画Do実行は終わった。これからCheck検証Action改善さ。決して、どこかのおばさんのように、改善を忘れて過去の栄光に縋ってはいけないよ」


 そこまで理解が出来ていないと思われるヘルに向かって、アンリは言葉を続ける。


「まぁまだ過去の栄光って年齢でもないか……。どうだいヘル、何か質問したいことはあるかい?」


 アンリとしてはPDCAサイクルの話をしていたが、ヘルがこの時思いついた疑問は全く別のものだった。


「えっと、僕ってなんでヘルなんですか?」


 それは、”私はなぜ私なのか”という、哲学的な質問ではない。

 ヘルの元の名は被検体7734番。

 7110番が語呂合わせでナイトとなったように、7734番にもアンリは意味を持たせてヘルと名付けていた。

 何か理由があるとだけは聞いていたヘルは、それが短い人生で一番興味を惹かれるものだった。


「あはは、なんだ、そんなことかい。それじゃぁヘル、逆立ちしてみなよ」


 アンリからの指示に、ヘルは疑問を感じる前に行動に移した。

 上下が逆さまになったヘルを見て、アンリは笑いながら指摘する。


「あはは、ほら、やっぱりhELLヘルじゃないか」


 ヘルは逆立ちをした状態で首を傾げる。


「た、死ノ神タナトス様、やっぱり僕、分からないです」


「あはは、まぁまぁ、いいじゃないか。ほら、他に質問はない?」


 尤もな更問を、アンリは放置することに決めた。

 何も知らないヘルに、アルファベットから説明をすることを億劫に感じたからだ。


「えぇと……じゃあ、あと一個だけいいですか? あの、一人逃げちゃったみたいですけど、良かったんですか?」


 ヘルはナイトと戦いながらも、エルリントスが逃げ出したことを察知していた。

 索敵能力にも感心しながら、アンリはヘルに答えを告げる。


「あはは、あれはわざとさ。恩を売っておきたいからね」


 なぜエルリントスに恩を売る必要があるのか、ヘルには全く分からなかった。

 それでも、アンリの思惑通りなのだと知り、理由は分からずとも納得するのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る