189 教育

「あ、死んじゃった」


 アンリはフラスコに入った小さな胎児を見ながら呟いた。


「天然の胎児は大事だと言っていたのに何をしている。まさか、大事な物こそ壊したいという、理解できない衝動を持っていたりはしまいな? いや……何でもない物ほど無くなればその大切さに気付くという。まさか、その衝動は誰でも持ちうるものなのか? 我輩も試してみるか……ふむ、困った。アンリ、死体を殺すにはどうすればいい?」


「先生がどこまで本気で言ってるのか分からないよ。それとも魂を殺す方法を考えてる?」


 本気で悩んでいる様子のアルバートを余所に、アンリは別の試験管に目を向ける。


「あとね、天然の胎児は貴重だけど、今となってはそこまでかな。こっちの研究については、ほぼほぼ終わってるんだから」


 死体の殺害方法に答えがでないアルバートは、大人しくアンリの手元を見た。


「ふむ、やはり生き返らんか。生まれる前の魂は微弱すぎるのか? それともまだ魂が存在せぬのか……どちらにせよ、いくら死体であってもここまで小さくては好きになれんな。ふむ、ウラジーミルといったか、あの変態であれば好きになれるかもしれん。いや、奴は小さな子と性交がしたかったのか? ならば人の形を成していないと好きの対象にはならぬかもしれん。気になるな、本人に直接聞いてみるか。この死体を持っていくぞ。してアンリ、これは男か? 女か?」


「うーん、まだ性別の区別は難しいかなぁ。それに聞いてみたとしても、今のウラジーミル先生は女性の好みも何も考えられない状態だと思うけど」


「何を言う。やつはしきりに”会いたい、会いたい”と呟いているだろう。あれほど情を注いでいた貴様の妹が同じ部屋にいるのにも関わらずだ。その点においては我輩も奴に同情しよう。人は成長し、老いていく生き物だ。奴が小さな子供が好きなのであれば、その時の状態で死体にするしかないのだろうよ。ふむ、なるほど、もしや我輩と奴の根本は同一なのかもしれんな」


「あはは、違うよ先生。ウラジーミル先生が言ってるのは”痛い、痛い”だよ」


 馬鹿な会話をしながらも、二人の手は止まらない。


「それはそうとアンリ、お前が連れているのが例の魔族か。そのような汚いゴミを研究室に連れてくるとは、どういった要件だ?」


 アルバートの視線は、首輪を繋がれたヤールヤに向いた。

 自身の父、姉妹、同族を殺されたヤールヤは、目に生気がまるでなく死体のようだった。

 だが、実際の死体でないとアルバートの愛の対象にはならないようだ。


「汚いゴミって……なかなか綺麗な顔だと思わない? 片っぽだけ折れた角とか、風情があるじゃない。昔の勝気で生意気な彼女を知ってると、こんなにしおらしくなった彼女を更に好きになると思うんだけどなぁ。ギャップ萌えってやつ?」


「ギャップ萌え? なんだそれは。その理論では悪逆非道を働けば働くほど、後に得をするではないか。昔など関係ない、大事なのは今だ。そう、だから大事な今を保存する必要があるのだ。その魔族、我輩が本物の死体にしてやろうか? そやつもそれを望んでいるように見えるが」


 アルバートの言葉を聞きヤールヤの体は少し反応するも、死を望むことは無かった。

 通常の奴隷であれば、苦痛から解放される死は喉から手が出るほど欲しいものだろう。

 しかし、ヤールヤの境遇は他の奴隷達と違う。


 ヤールヤは首に鎖を繋がれ自由を奪われてはいるが、これといって拷問にかけられることは無かった。

 アンリは本気でペットのように思っており、あの恐ろしい魔族を服従させたのだと周りに知らしめる道具としても扱っていたのだ。


 すでにプライドを粉々に砕かれたヤールヤは、今の状況を恥ずかしがることもできない。

 ならば、生きる目的は無いにしろ、わざわざ死ぬことを望みはしなかった。


「あはは、ヤールヤは死を望んだりしてないさ。僕には分かる、飼い主だからね」


「生きることも望んでないように見えるが……いや、感情という見えない物を他人が推測することは意味の無い行為だな、止めておくか。それで? なぜそのゴミをわざわざ連れてきたのだ? 我輩に見せつけたかったのか? ならばその企みは失敗だ。あの邪竜を従えている事実の方が余程インパクトがある。今更お前が何をしようが、我輩が驚くことはないだろうよ」


「いやぁ、この子を呼んだのはね、例の件の相談に乗ってもらおうと思ったんだ。同じ魔族なら、分かることもあるでしょ?」


 アンリは首輪に繋がれた鎖を手にしたまま、別の部屋へと移動を始める。

 一切の気を遣われないため、首輪が喉に食い込みヤールヤは咳き込むが、なんとか苦痛を軽減するよう急ぎ歩を進める。

 どこに行き、どのような相談をされるのか分からず不安な様子のヤールヤに、アンリは笑って説明する。


「あはは、そう委縮しないでよ。君に手伝ってほしいのは子供の教育さ」


 子供の教育。

 その言葉を聞き、ヤールヤは過去を思い出し、その目に生気が宿る。


「子供って……まさか」


 ヤールヤのすがるような質問に、アンリは軽く頷いた。


「そう、君達魔族の子供さ。ジャイターンが沢山の子供をくれたからね」


 ヤールヤは目から涙を流す。それは嬉し涙だ。

 肉親と同胞は根絶やしにされたが、同族の子供達がまだ生き残っていたことが嬉しかった。

 魔族は自分だけじゃないのだと、安堵を感じた。

 子供達を立派に育てなければと、魔王の娘としての使命感に駆られた。


「戦争の光景を見てたら、僕も大規模な兵隊が欲しくなってね。メルの機械兵だけに任せるのも味気ないし、相性によっては詰む可能性もある。コストの問題はあるけど、やっぱり浪漫が優先だよね」


 余程楽しいのか、アンリはスキップするように早歩きになる。

 弱ったヤールヤは首輪に引っ張られる形になり、苦しみながらもついていく。


「それでね、まずは冷酷無比の蹂躙部隊を作ろうと思ったんだ。敵がどんなに泣き叫び助けを願っても、相手の声に耳を傾けずに処理できる人材を作ろうとしたんだ。そのためには、一切の情と言葉は不要だ。だから、それを与えずに育てたらいいと思ったんだ。対象は若ければ若いほど良い。ほとんどの幼児はこの部屋で育てたのさ」


 アンリはD-1と書かれた部屋の前につくと、扉を開ける。


「だからね、育て方としては餌を放り投げただけなんだ。勿論、衛生面には気を遣って掃除はさせたけど、子供に対して一切反応するなって育成係の奴隷達に命令しといたんだよ。この方法だと、誰の言葉も聞くことはないし、誰からも情を与えられることはないでしょ!? そしたらね、そしたらね!」


 徐々に興奮していくアンリとは対照的に、ヤールヤは目の前の光景を見て膝をつく。


「みんな、みーんな、死んじゃった!! あは、あははは! なんで!? なんでだろ!? 魔族の子供って話しかけないと死んじゃうの!? 愛情を与えないと死んじゃうの!? ねぇヤールヤ、教えてよ! あははははは!」


 ヤールヤの嬉し涙は、違う種類の涙へと変わったのだった。

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