186 side:ヘイラ 前

「あはは、どうしたのヘイラさん。なんだか顔が怖いけど?」


 その余裕な態度が癪に障った。

 その上品な服が許せなかった。

 私とあの子の間に、勝ち組と負け組の明確な壁が見えた気がして、段々と腹が立ってくる。

 めいおーだとかよく分からないけど、とにかくエリュシオンで偉い立場を持っていることも、怒りの感情に拍車をかけた。


「いえいえ、生まれつき酷い顔なのでそう見えたのでしょう。アンリ様ったらひどいじゃないですか。傷心した女の子を、買ってはくれませんか? アンリ様なら、お安くしときますよ?」


 ばれないように背中の後ろで淑女の嗜みレディ・ダガーを握りしめたまま、大げさに媚びて近づいていく。


「あはは、僕はまだ未成年だよ? 残念だけどやめておくよ。もし買うにしても……チェンジかな」


 ……脈無しみたい。そういえばこいつ、私を即キャンセルしたことあったっけ。

 あぁもう、ほんとイライラする。とっとと終わらせよう。そうしよう。


 私はこの躾のなってないガキの息の根を止めようと、右手を振り上げた。


「あれ?」


 だけどその時には、彼の右手が私のお腹を貫いていた。


「なに……これ?」


 正確にはお腹の少し下。丹田の辺りに彼の腕が突き刺さっている。

 何かが掴まれた感触があったと思えば、一気に腕を引き抜かれた。


「げほっ!? え? なに……?」


 分からない。何が起こったのか分からない。


 貫かれた位置を見ても何も傷は無いから、ついさっきの光景が幻かと思えてくる。

 だけど、確実に感じる痛みと破れた服が、決して幻では無かったことを告げていた。


「あはは、天然の胎児は貴重だからね。悪いけど貰ってくよ。でも、君も良かったでしょ? どうせこの子が育っても、君みたいな凶悪犯罪者がもう一人出来上がるだけさ」


 たいじ……? なに? この子何を言ってるの?

 い、いや、それよりも聞き捨てならない言葉があった。


”凶悪犯罪者”


 これまで完璧に証拠を消してきたから、私の行為はバレてないはず。

 バレるどころか、疑われることすらないはずなのに、この子は一体なんで……


「は、犯罪者ですって? 何を失礼な。確かに借金はあるけど、別に犯罪じゃないわ」


「いやいや、返すあてがないから詐欺になるんじゃない? それに、そんな小っちゃなこと言ってるんじゃないんだ」


 ずいっと体を前のめりにし、下から覗き込んでくる。

 その赤い瞳の輝きは綺麗で、だけどとても恐ろしかった。

 身分の違いをを肌で感じ、目を逸らしたくなる。


「16人。いやぁ、面白くて傍観してた僕も悪いけど、大分殺しちゃったね」


 全身から汗が止まらない。

 私が何回絶頂に達したなんて覚えていない。

 だけど16という数は、寝室に飾ってある肉棒の数と同じだった。


 なんてこと……こいつには、完全にバレてる……


「ど、どうして……? 誰にも見られてなかったの──」


「──見られてたさ」


 私の言葉を遮った彼の肩に、一羽の鳥が止まった。

 それは、エリュシオンでよく見るアフラシアデビルだ。


”この国での悪行はすぐにばれる。鳥さん達が見ているからね”


 いつだったか、目の前の男から言われた言葉を思い出した時、全身から力が抜けた。


「私は……終わり?」


「あぁ、夢の生活は終わりだね」


 言い逃れはできなさそう。

 かといって、こいつを殺すのはどうも難しそうだわ。

 魔法使い殺しの武器はあるけど、さっきの感じじゃ私の手に余る。


 だったら、私は女の武器を使う。


「た、助けてください! 狂った男に言い掛かりをつけられているんです!」


 後ろに人の気配を感じたから、私はそこに向かって走り出した。


「助けてくれたらなんでもします! 一晩私の体を……好きに……え?」


 ムカつくガキより、強い男だと嬉しかった。

 だけど助けを求めた先を見て、私は固まってしまう。


「狂った男? そんなのどこにいるんだよ。アンリのことを言ってるのか? おいおい、アンリは神様だぜ? 狂ってるのはお前のほうじゃないのかよ」


 私の希望よりも強すぎた。


 その男は、青い肌の大男だった。

 戦いに素人の私でも分かる、本物の強者だ。

 見つめられるだけで足が竦み、走ることすらできなくなった。


「あはは、さぁバアル、君の初仕事だ。罪には罰を。犯罪者には断罪を」


 さらに最悪なことに、この大男はガキの仲間らしい。


 まずい、まずいまずい。

 このままじゃ本当に捕まっちゃう。

 折角楽園に来たのに。折角愛を知れたのに。


「任せろよアンリ。犯罪者は嘘つきの始まりだからな。こういう輩は野放しにしちゃ駄目なんだ」


「凄いよバアル、格好いいよバアル」


 私と、ガキと、大男。

 三人しかいない場所に、綺麗な女の声が響いた。


「さぁ早く、バアル、早く。その剣を手に取って? アンリ様の言うことに従って?」


 どこから話してるのかと、声の発生源を探す。

 そして、私は有り得ないものを見た。


「勿論だよルミス。アンリの役に立てるなら、いくらでも剣を振るよ。俺は愛と勇気の戦士なんだから」


 大男は、私の首を抱えていた。

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