187 side:ヘイラ 中

「ぁ……ぁ……ぁ……」


 有り得ない。

 そう叫びたいけど、あまりの驚きに、私は声の出し方を忘れてしまった。


 もう一度大男をよく見る。

 青い肌に巨体だが、角が生えてはいないので、以前聞いた魔王とは別人なのだろう。

 背中に人が一人は入れる豪華な棺桶を背負っている。私は、あれに入れられるんだろうか。

 左右の腰に剣が二本ずつ。刀と呼ばれる形をしているけど、私の武器と同じ呪いの類が籠ってそうな雰囲気。


「ねぇバアル。あの人、私を凄く見てくるんだけど……」


 そして、一番の問題が、男が左手に抱えているものだ。

 それは生首。女の生首。

 いや、確かに生首を抱えていることは問題だ。

 その生首が話していることも問題だ。


 だけど、私にとっての問題はそこじゃない。


「ルミスが可愛いからだよ。でも、俺のほうがルミスをよく見ているよ、ほんとだよ?」


 大男がルミスと呼ぶ女の首。

 それは、私の顔なんだ。


「か、か、か、返せぇぇぇええぇええ!! 私の顔ぉぉぉおおぉおおお!!」


 今の失敗した顔じゃない。

 神様が真剣に作ってくれた顔。

 少し前まで、私が持っていた顔。


 ふざけるな、それは私の顔だ。

 返せ、返せ、返せ。

 ふざけるな……ふざけるなぁぁ!


「ふざけるなぁぁあ!!」


 その言葉を叫んだのは、私ではなく大男だった。


「ふざけるなよこのアバズレがぁ! ルミスの顔を返せだと? ルミスは俺のだ! 俺だけのものなんだ! えぇそうよバアル、貴方だけの私よ。それ見たか! それ聞こえたか! ルミスも俺のもんだと言っている! えぇ、貴方のものよバアル。安心して、私はどこにも行かないわ」


 言葉が出なかった。

 反論できないとか、そういうもんじゃない。

 何が起こっているのか、全く意味が分からなかった。


「このビッチがぁぁ! お前が手に出来るもんなんて、ゴブリンの精子ぐらいしかないだろうがぁぁぁ! まぁ、バアルってば少し下品じゃないの? あ、あ、あぁ、ごめんよルミス、本当にごめん!! 女の子の前で使う言葉じゃなかったね……えへへ、いいよバアル。正直私、嬉しいの。私のためにバアルが怒ってくれてることが、本当に嬉しいの」


 あの大男が喋れば喋るほど、何が起こっているのかますます分からなくなる。

 一人で叫んで、一人で謝って、一人で許して……これは何の冗談?

 この事態を唯一分かっていると思われるアンリクソガキは、笑いを堪えることに必死になっていた。


 しばらく大男の様子を見ていた生首が、久しぶりに声を出す。


「バアル、本当にありがとう。私のために怒ってくれてありがとう。私もあの女が許せないわ。さぁ、早く罰を。断罪を。裁きを。アンリ様の言うことに従って」


 私から見れば、どこから指摘すればいいのかも分からなくなる訳の分からない光景だ。

 だけど、目の前の大男には何も違和感はなかったらしい。


「あぁ、そうだねルミス。嘘つきには罰を与えないと」


 駄目だこいつ……早く何とかしないと……いや、手遅れとかそういうレベルじゃない。

 本気で、完全にぶっ壊れてる狂人だ。


「この……気狂いが……こんなやつ、さっさと教会に連れて行きなさいよ……私を誰だと思ってるのよ」


 別にどこの誰でもないが、ゾロ・アスタに住所を持っているというステータスは、私を強く支えるものだ。

 私の呟きを拾ったのはアンリクソガキだった。


「あはは、ジャヒーのお情けで職にありつけた運のいい女の子かな? そういう君こそ、バアルを誰だと思ってるのさ」


 その前置きに、私は少し嫌な予感がした。

 たしか目の前のガキは、めいおーだとか凄い偉い身分だった。

 私のことは一旦棚に置くとして、そのお偉い様にタメ口を利いているこの大男の正体はなんなのだろうか。

 その疑問の答えは、すぐに分かることになる。


「最高司法長官”雷光のバルタザール”。その役職が示す通り彼は司法の最高権力者、つまり法の番人だよ。君に分かりやすく言うと、国会議長のカスパールと同じぐらいに偉い人かな。あはは、犯罪者の君とは対極にいる存在だね」


 ほ、法の番人? とんでもなく悪い冗談だ。

 このどう見ても精神を壊してる気狂いが、最高権力者?

 こんなのが、この国の、偉い人?


「ふ、ふざけるなよクソガキ! そんなやつ、とっとと殺すか牢獄に閉じ込めなさいよ! その気狂いに権力を与えた奴も与えた奴よ! そいつはどこの馬鹿よ!」


 アンリクソガキは、人差し指で私を指してきた。


「君だよ」


 その言葉の意味が、全く分からなかった。

 私? 私が選んだ? この気狂いを? 一度も見たことすらないこの病人を?


「あはは、正確に言えば君達国民だよ。君達は選挙でキャスを……カスパールを議長に選んだじゃないか」


 選んだ。確かにそれは選んだ。

 だけど、それは私の意思じゃない。

 あのメス豚を選ばないと、私は働けなくなっちゃうもの。

 それに、私が選んだのはメス豚だけだ。


「国会議員議長になったカスパールが、行政府の長にメルキオールを任命したんだ」


 いきなり、アンリクソガキが持っている不気味な本の表紙が動き出した。

 ギョロギョロと動いていた一つ目は、私を見据え声をだす。


「どうもヘイラ嬢、ワタシがメルキオールです。ワタシは行政府長の権限の元、このバルタザールを司法長官に任命しました」


「おう、任命されたぜ! だから俺が、このアバズレビッチを裁くんだ!」


 ここで私はやっと気づいた。

 この国の在り方を。

 完全に詰んでいる国民の在り方を。


「な、何それ……あんまりじゃない。全部あんたの身内で固めて……国民が変えようないじゃない。そんなの、民主主義じゃないわ!」


 涙を流し、膝に力が入らなくなる。


「あはは、こういうのを民主主義って言うんだよ。好きでこの国に住んでおいてよく言うよ。さぁバアル、問答はお終いだ。後は任せたよ」


 大男が近寄ってくる。

 もういくら反論しても無駄だろう。

 いくら無実を訴えても無意味だろう。

 私はこの国の邪魔になったんだから。

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