177 楽園を目指した女 7

 初のエリュシオン国会議員総選挙にて、二位以下と圧倒的な大差をつけカスパールが国会議員議長に任命された。


 このことは、エリュシオンに住む全ての人に希望を与えた。

 どこの国にも男尊女卑の精神が根強く残っており、女性が社会で活躍することは難しい。

 勿論、資質や実績によって、上への階段を昇ることは可能だが、ある一定の段階でどうしても先に進むことが難しくなってしまう。

 その見えない障壁は、しばしばガラスの天井として例えられる。

 ガラスの天井をいとも簡単にカスパールが打ち破ったことは、エリュシオンが他国とは根本的に違うことを知らしめるには十分だった。


 選出されたカスパールは予め受けていた依頼の通り、メルキオールを行政府長に任命する。

 そして行政府の長となったメルキオールは、司法長官としてバルタザールを任命した。


 ”閃光のカスパール”

 ”神光のメルキオール”

 ”雷光のバルタザール”


 ではあるが、それぞれの二つ名に”光”という文字がはいっていたことに由来し、この三者は”光の三賢者”と呼ばれるようになる。


 光の三賢者による三権分立。

 三つの機関の長全てがアンリの部下となっており、その言葉の意味は最早失われていた。

 国会議員総選挙で議長にカスパールが選ばれる限り、それは変わることはないだろう。

 だが、国民のほとんどはカスパールに票を入れなければ平穏な暮らしができないと半場脅しに近い圧力を受けている。

 詰んでいるのだ。


 それでも、実際に過半数以上の票をカスパールに入れたのはヘイラ達国民自身だ。

 三権それぞれの役割がよく分かっていないヘイラは納得し、エリュシオンは民主主義である素晴らしい国だと喜んでいた。

 カスパール以外に票を入れた少数派の者達は、多少の不満は抱えつつも、それが民主主義だというところで納得せざるを得なかった。


 メルキオールは三権の上に、全てに干渉できる権限を持った役職を設けていた。

 実際に非道な強行が無いことと、元々王政に慣れきっていた国民は、特に気にすることもなく受け入れていた。


 こうして、エリュシオンの政治情勢はアンリの理想通りとなった。

 国民からの反発も少なく、一定の幸福感を与えられたと思っていたのだ。

 これが、アンリが推測した国民の幸せの形であった。



 エリュシオンは順調に歴史を刻んでいるが、ヘイラの日常はそうでもなかった。


「ねぇハーリッヒ、私の事好き?」


 ハーリッヒはため息をつく。

 最近は暇さえあればこの質問が飛んでくるため、同居するのが少し億劫になってきていた。


「あぁ、好きだよ」


 いつもの返事をするハーリッヒに、ヘイラは勇気をふり絞り更問する。


「本当に? 私のどこが好きなの?」


 男にしてみれば面倒くさく、着地点が分からない質問だ。

 だがそれも仕方ないだろう。

 あの日、カスパールを見たハーリッヒの表情は、これまでヘイラが一度も見たことがないものだった。

 あの日以来、ヘイラはハーリッヒの言動や行動の端々に、どこか冷たいものを感じていた。


「可愛いところさ。お前みたいに可愛く、美しいはいないよ」


 今回もそれも感じた。

 ヘイラは悲しくなり、かと思えば許せなくなった。

 ハーリッヒが店で一番のホストとなれるよう、必死に貢いできたのだ。

 そこまでしてきたのに、ハーリッヒの一番が自分ではないと確信めいたもの感じてしまった。


「それよりヘイラ、今月もっと高いのを頼んでほしいんだけど。二位のやつが大分迫ってきてるんだ」


「もう、これ以上はまずいの……」


 ヘイラの拒絶に、ハーリッヒは少し顔を険しくする。


「お金か? なら、店を変えたらどうだい? お酒ばかり飲むのもしんどいだろ? 他に、男と寝ているだけでお金になる仕事もあるらしいよ? しかもそっちのほうが支払いがいいらしい。なら、いっそそういう店で働いたほうが効率がいいと思うんだ」


 氷が割れる音が聞こえた。

 冷たい水の中に落とされたヘイラは、ついに何かがきれた。


「そんなに……」


 ヘイラはハーリッヒの胸倉をつかむ。


「そんなにあのダークエルフがいいの!? カスパールってばばあがいいの!? 私の扱いはそんななの!? 私を見てよ! あんなブスより、私を見てよぉぉ!! 私のほうが可愛いじゃない! 私がいくらあなたに──」


 ──ぐるんと視界が回った。

 それが殴られたからだと気づいた時には、少なくとも三回は蹴られていた。

 痛みに堪えながら見上げれば、いつもの優しい王子様はいなかった。


「お前が、お前がぁぁぁ! カスパールさんより可愛いだとぉぉ!? どの口が言ってんだ人間の分際でぇぇ!! 俺達エルフを舐めるなよブスがぁぁぁ!!」


 ヘイラが知らなかったこと。

 エルフやダークエルフの長命種は、帰属意識が極端に高いのだ。

 特に人間のようにエルフに似ている種族は、忌むべき種族とも思われていた。

 人間と親しくするカスパールは、あぁ見えて異常の代表ともいえる存在だが、それはまた別の話だ。


「お前の、価値はぁぁぁ!! 俺を一番にすることだろうがぁぁ!! 金のないお前など、多少見てくれのいいゴミでしかないだろうがぁぁぁ!!」


 ヘイラは頭を抱え座り込み、嵐が過ぎるのを待つ。

 至る所から出血し体が熱いが、心は氷よりも冷たかった。


 何十回も蹴られ、殴られ、ついに嵐は過ぎ去った。

 その後に来たのは、温かいぬくもりだった。


「ごめん、ごめんよヘイラ、俺がどうかしてた。本当にごめん、許しておくれ」


 急に人が変わったかのようなハーリッヒではあるが、ヘイラにとっての本当はこっちが良かった。


「ううん、いいの、私が悪かったの」


 だから、ヘイラは受け入れた。


「さっきの話……やってみる。ハーリッヒが一番になるのが、私の夢だから」


 そうしてヘイラは店を変えた。

 ヘイラは薄い氷の更に下。深い深いところまで堕ちていった。

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